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160回 お前に何が出来る。



 ギリギリ病院前の駐車場に空きがあり、御牧さんが止めてくれたところで車を降りて、斉藤さんを背負い直す。

 ぐったりとした状態のアラサー女性は、「歩けます」と苦しそうに囁いてくるが、無理矢理降りられるほどの腕力を振るうことが出来なかった。

 俺は御牧さんにお礼を言って、車に背を向ける。

 歩いて正面口へと向かう俺に、御牧さんは車からでて手を振って見送ってくれていた。

 しかし、たたっと音がして、横にさっきまで手を振っていた人が来たときに、俺はこの人の目的は財布を届けてくれた事ではなかったのだと覚った。

「一つだけ、聞きたいことがあったんだ。それと、伝えないといけないかも知れないことが」

 その二つは両立しないと思いますとか、そんな野暮なことは言わないで、俺はただ質問を待った。

 正直、人を背負っているので早くして欲しい気持ちが大きかった。

「君は、あの誘拐事件の事、レストランでのこと、どこまで分かってるんだい……?」

「どこまでって、そうですね……。いろんな人の都合とか、思惑が合致した結果って感じじゃないかなと、思ってますけど」

 言葉にするのが面倒で、一言に纏めるとそれは暗号のようだった。

「そう、か……。やはり君には見えているんだな……」

「……?」

 小さくて聞こえなかった言葉を聞き返そうとして、しかし御牧さんはかぶりを振って、

「君はあの女の子のことを信じていないのかい?」

 質問の意図があまりにも不明瞭で、その言葉にただ応えると言うことは憚られた。

 それでも俺は少しの逡巡の後で、その女の子というのが由利亜先輩であることと、信じていないのかという質問の組み合わせから、答え方だけは導き出した。

「もちろん由利亜先輩の事は信じてますよ。それ以上に、俺は人間という生き物が嫌いなんだと思います。ただそれだけです」

 自分のことも、あまり好きではない。

 だからこれも嘘ではないのだ。

 そんな俺の解答に、一瞬驚いたような顔をした御牧さんは、すぐに笑顔を作ると「じゃあ、説明はいらないね」と言い、引き留めて悪かったと本当に最後の挨拶をして、俺は自動ドアを潜って別れた。





 七時前の病院内は、必要以上の明かりを消した消灯モードと言えた。

 俺はいつも通りの道筋をたどり、一般の人には立ち入れない隔離病棟へと這入ると、男が一人廊下を右往左往して頭を抱えていた。

 斉藤さんはそんな男の姿に気付くとあばれだし、俺は流石にその抵抗を受け入れてゆっくりと足から地面に下ろした。

 斉藤さんの背中から自分のブレザーとブランケットを取り、少しでも速く歩こうとしてよろめく彼女の後ろについて転んでも支えられるように身構えていた。

 パタパタという足音に、男が気付くのにそう時間はかからなかった。

 そして、見つけたと同時、走り出した男は前のめりに倒れかける斉藤さんを抱き留めて「よかった」そう言った。

「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 力なくごめんなさいと謝り続ける斉藤さんに、男、山野一樹は「大丈夫。無事ならそれでいいんです」と抱きしめる腕の力が少し増す。

 殺そうとした事に対しての謝罪は、そういえばされてないなと思って、鼻で笑って切って捨てた。

「……太一」

 二人だけの時間が数分続いて、もう俺返ろうかなと踵を返そうとたところで兄に呼び止められた。

 その手は腕の中の女性の頭を柔らかく撫でている。

「悪かった」

 何に対しての謝罪かなんてわかりきったことで、俺がそんなモノを望んでいないことも分かった上でやっているのだから、この場合の俺の対応は簡単に済ませることではなくて。

 数秒して、首を傾げて見せてから、俺は二人の近くまで寄る。

 斉藤さんが泣いていた。

 俺は口の中にある言葉を呑み込んで、この時間が終わるのを待った。

 兄もそれを察して、背中をさする手を止めなかった。

 すすり泣く声が落ち着いて、斉藤さんが睡っていたのは予想通りだった。

 自分に寄りかかる斉藤さんを兄が横向きに抱え歩き出すと俺もそれに続いた。

 自分が殺されそうになった理由を、思い出しながら歩いて、二人の病室の扉を兄に代わって開けると、先に通した兄は斉藤さんを寝かせ布団を掛ると、廊下に戻ってくる。

 俺は何も言わないまま兄がついてきていることを確認してエレベーターまで歩き乗り込んで、食堂のある階のボタンを押す。

「お前が俺に話があるのは珍しいな」

 茶化すように言う兄に、俺はやはり返す言葉が見当たらず口を開かないままエレベーターの到着音を聞いた。

 

 食堂につくと、ポケットから財布を取り出して自動販売機で飲み物を買う。

 つめたいお茶とあったかいお茶を一本ずつ手に持って、兄の座る席の対面側に腰をかけると、両方を差し出して見ると、冷たい方に手を伸ばしたので温かい方を引っ込めて、開いた方の手でキャップを捻った。

 口を湿らせる程度に口にふくむと、じわりと暖かさが染み渡り、俺はふうと息を吐いた。

 今日は疲れた。

 そんな言葉が口から出そうになってすんでの所で呑み込んだ。

 今は、一度呑み込んだ方の言葉を言うタイミングだった。

「それで、話ってなんだ?」

 同じく、飲み物を一口飲んだ兄が、なんの事も無いように訊ねる。

 俺はため息のような息を吐き、言葉を始めた。

 なあ、兄さん。と。

 




 目の前に座る男に、俺が言えることなど何もない。

 だから俺は問いかけたのだ。

 たった一つの、愚かしい質問を。

 きっと、言葉にしてはいけないような滑稽な質問で、一笑にふされるようなくだらない質問。

 ただ俺とこの兄の関係性を考えるだけで、その質問の意味はガラリと変わり、答え次第で全て一変してしまうようなそんな質問。

 逃げるべき状況で、本当に逃げるべきなのかを問うような投げかけに、兄は固まり、そして答えあぐねる。

 何度も答えを口にしようとして、そうではないと口を噤む。

 歯を食いしばり、ギリと音が鳴る。

 彼の目に、俺はどう写っているだろう。

 俺の兄は一体、俺をどう見ているだろう。

 そのことについても聞いてみたかったけれど、答えあぐねる彼の姿に、言葉を重ねて問い直した。

 生死の境をさまよう人間に。

 俺は兄に問いかける。

 そして都合三度目の同じ問いかけで瞳の奥が揺れるのを見て、俺は席を立った。


 ━━━134話前書きより━━━

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