結果は、一体……?
学校祭最大の目玉イベントが幕を閉じた。
体育館を背にして歓声を遠く聞く俺は、両隣を歩く女の子二人に軽い調子で謝った。
「ごめんね、あとは結果発表だけだったのに」
「いえ、たいちさん具合悪そうですから。昨日あまり寝られていないのではないですか?」
ユウちゃんの事実を正確に言い当てた言葉には苦笑いで返し、
「全然、ちゃんと寝たんだけどなぁ」
そんな、誰が見てもわかるようなごまかし方で頭をかいた。
それくらい今の俺には余裕がなかった。
ユウちゃんもミナちゃんも、そのことに気づいていて、だから再度質問を重ねることはなかった。
「でも誰が優勝したのかは気になるから、お姉ちゃんに聞いとくね」
ミナちゃんがスマホをささっと操作するとポケットにしまう。
「あの感じなら、三好さんが優勝だろうね。男子の方はよくわかんないけど」
「男子の方は完全に内輪な感じでしたからねえ」
顎に人差し指を当てながらユウちゃんが思案する。
「じゃあ、誰が優勝したか当てっこしませんか?」
「お、いいね」
「やろやろ! 私、龍童寺さん!」
ミナちゃんが先んじて人の名前を口にした。昨日も聞いたような気がする名前だったが、気にせずユウちゃんを見る。
「私は、じゃあ三村さんにします」
じゃあ消去法で残った一人が俺の賭ける対象になるわけだ。
「残りの一人は、えーと」
パンフレットを開いて確認しようとすると、「上原だよ」とミナちゃんが教えてくれた。
「お兄さん本当に人の名前覚えられないんだね」
「今日初めて聞いた名前だったし、仕方ないと思うんだけど、どうかな」
「私は全員覚えてますよ?」
「私も、まあ三次審査以降の人のフルネームくらいなら言えるよ」
どうやら名前を覚えるというのはそんなに難しいことではないらしい。
「二人とも凄いなあ」
とはいえ、人には得手不得手があるものだ。俺には不得手なのだ。仕方ない。そう仕方ない。
「まあお兄さんの場合、思い出そうと思えば思い出せるんだろうけどさ」
そんな風に過大評価してくれるミナちゃんには申し訳ないと思いながらも、俺は首を振る。
「いやぁそれが出来ないから困ってるんだなぁ」
「名前、そんなに難しいですか?」
その問いに、俺は少し考えて、んーと唸る。
「簡単な話、そこに咲いている花の名前がわからないのと同じかな。一種類名前を教えてもらっても、見分けがつけられないのと似てる」
「お兄さんの中では人も雑草扱いなのか」
「わ、私たちの名前って、覚えてますか?」
「そりゃもちろん。悠梨ちゃんと深波ちゃんでしょ? ユウちゃんミナちゃんって言いやすくていいよね」
「なんで私たちのことは覚えてるのに」
ミナちゃんの疑問はもっともだと思う。でも、自然に覚えられる人もいる、それだけなのだ。
「結局、興味があるか、関心があるかというところに収束していくような気がします。たいちさんは優しい人ですから」
「……?」
ユウちゃんが最後に付け足した言葉の意味が、俺には理解できなかった。
しかし、どうやら姉妹では通じ合ったようで、ミナちゃんはその言葉に深く同意し「そっか、優しいもんね」と頷いた。
「ところで、これどこに向かってるんですか?」
片付けの始まったテントなどを横切り、校門の前にたどり着くと一時足を止めてあたりを見渡した。
ユウちゃんはそんな俺の行動に首をかしげて聞いてきたのだ。
「もうそろそろ暗くなってくるからね───あ、いた」
俺は探していた人物を見つけて手を振った。
相手はそれに気がつくと戸惑う素振りを見せたが胸の前で小さく手を振り替えしてくれた。
「ほらあそこ」
俺はそう言って二人にその人物の方を指し示した。
「お母さんだ」
ミナちゃんがつぶやく。
「あんなところにいたんですか」
ユウちゃんがぼやく。
長い髪を後ろで一つに縛った女性は、校門から三十メートルほど離れた場所。そこにそびえる木の陰に隠れていた。
ユウちゃんとミナちゃんにも気づかれたと悟ると、スタスタとこちらに歩み寄って来る。
「どう、楽しめた?」
二人のお母さん、司さんは、二人の頭に手を置くとそう訊ねた。
「うん、凄い楽しかった」
ミナちゃんが笑顔で答えると、ユウちゃんも続いた。
「たいちさんが色々案内してくれたおかげで凄いいっぱい楽しめたよ!!」
二人が満面の笑顔で答え、司さんは「よかったねぇ」と頭を撫でて、今度は俺を見る。
「今日はありがとうございました。結局綾音は合流できなかったみたいで、ご迷惑をおかけしました」
丁寧に頭を下げられ、俺は慌てて、
「いや、俺も楽しかったですし! 迷惑なんて全然! むしろ二人のおかげで学校祭を楽しめたくらいですから!」
友達いないし、何だったら部室で今日一日過ごして終了だったかもしれなかったですし、二人には感謝しても仕切れないです、とは言葉には出来ず。
頭を上げてくれた司さんは、ユウちゃんとミナちゃんにもお礼を言うように促す。
二人ともぺこりと頭を下げて、「ありがとうございました」と双子らしくぴったりそろった挨拶で言った。
「こちらこそありがとう。また一緒に遊んでね」
俺は二人の前に手をかざす。
その行為の意味を察してくれた二人は、顔を見合わせるとまた、息ぴったりに、
「「もちろん!」」
パンと、ハイタッチで締めくくった。
* * * * *
一般参加者があらかたはけて、後は生徒会やその他の委員会が未だに校内に残っている生徒ではない人々を追い出し、いや声かけて退校を告げて回る頃。
テントが張り巡らされていた校庭は普段通りの何もない平地に戻り、しかし、いつもとは違いど真ん中に丸太で組まれたジェンガみたいな名前のわからない積み木ができあがっていた。
キャンプファイヤー、で間違いないらしかった。
ユウちゃんとミナちゃんとのハイタッチから30分が経とうとしている現在、俺は校庭を見下ろせる階段の上、の階段の上り下りの邪魔にならない場所に腰を下ろして時が過ぎるのを待っていた。
ユウちゃんやミナちゃんといたときはそれなりに冷静さを自分で取り繕っていたが、一人になり、初めて学校という場所でお祭り騒ぎを体感した衝撃がここに来て体を満たしていた。
中学の時も文化祭という行事は確かに行われていて、俺は確かにそれを知っているのだが、様々な事情で俺はそれに三年間一度として参加していない。
準備は手伝ったし、険悪なムードに耐えて教師の言いつけを全うしたのも確かだったが、当日の二日間は全く別のことをしていて、参加できずに終えていた。全く別のことというのが私情であったならそれはそれとして納得も行くものだったが、しかしその納得は出来ずじまいな所がキモだったりする。
「むぎゅー」
ブレザー越しにもわかる柔らかな膨らみが、俺の背中に押しつけられる。
その効果音は口で言わないといけないのかとか、肩をたたくとか他にも声のかけ方はいくつもありますよとか、そういういつものやりとりをすべて省いて、俺は振り向くこともせずに後ろの人物に声をかけた。
「お疲れ様です、由利亜先輩」
「むぎゅー」
相当お疲れのようだった。
「改めて、お疲れ様です」
隣に座った由利亜先輩に、俺は言い直しを強調してねぎらいの言葉を口にした。
「うん、ありがと」
淡泊な返事には、含みのある心情が透けて見える。
背中から引き剥がして隣に座らせてからこっち、俺の方をかたくなに見ようとしない小動物に対して俺も同様にそちらを見ないという対抗措置をとっていた。
この行為に意味があるかは謎だったが、さっきの今で、この先輩に何かを言えるメンタリティは俺にはなかった。
昨日の今日、だから。
「キャンプファイヤーの周りで踊ったりもするんだよ」
由利亜先輩は目下にあるそれを見つめている。
「そうなんですか。俺そういうの参加したことないんですよね」
「えー、じゃあ太一くん踊れないの?」
「踊れませんねぇ、残念ながら」
「誘ってくれるの楽しみにしてたのに」
「昨日の今日じゃないですか、クラスメイト、大事にしないと俺が刺されます」
お互いに下で行われる作業に目を向けて、そんな風に淡々と言葉を交わす。
「そのときはまた守ってあげるね」
「そのときまた間に入ったりしたら、今度こそ俺は由利亜先輩と縁を切ります」
昨日の情景が脳裏をよぎり、刺される光景が自らの脳に描かれる。凄惨な現場で、頽れる自分だけが想像できた。
「だったら太一くんはちゃんと自衛してよね。私と縁、切りたくないでしょ?」
さっきまでの声とは違い、少しウェットなその声音に、ドキリとする。
「そうですね、由利亜先輩のご飯が食べられなくなるのは嫌ですかね」
だから、そんな自分の感情をごまかすように話しをはぐらかす。
「私って太一くんにとって家政婦くらいの立ち位置だったりする?」
「うちでやってることは家政婦ですしね」
どこからどう聞いても俺が最悪な男であることは明らかなのに、由利亜先輩はなんとなく嬉しそうに、
「太一くんのそういうところ、私は好きだよ」
とか簡単に言って来るあたり、友達の家を転々としていた時期に色々あったんだろうなぁと察することは出来た。
「別に俺、由利亜先輩のことを女の子として見てないわけじゃないんですけど……」
「だから、そういうところだってば」
クスクス笑う由利亜先輩になぜか負けた気がした。
目の端で、由利亜先輩が立ち上がるのが見えた。
「何か用事が?」
もうこのまま帰るものだと思っていた俺は、そんな問いを投げかける。
由利亜先輩は困り顔で笑った。
「キャンプファイヤー、踊ろうって誘ってくれた人に断ってこないと。答えはその時でいいとかってみんな言いたいことだけ言って答え聞いてくれないから」
モテる女の子は大変だな。その点に関してだけは、良い容姿に生まれなくて良かったと思う。
「いま、モテる人大変だなって思ったでしょ」
「……」
「人ごとだと思ってるところがむかつくっ」
吐き捨てると、由利亜先輩は背中を向けて去って行った。
そうだ。他人事じゃない。
昨日の、今日なのだった。