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一歩の早さより必勝の一手。



 帰りに乗ったタクシーの運転手は何やらやたら喋る人で、最近の天気はどうも天気予報を当てにするのはいけないだとか、近日公開される映画に昔はやった江戸っ子のおっさんが主役の映画があってそれはどうしても見に行きたいんだとか、次から次にめまぐるしく話題の変わるおじさんの話に相づちを打ちまくりながら、正直疲れてるからもう少しペース落としてくれないかなあと、面白いとは思いながらも延々と続くおしゃべりに耳を傾けるほかなかった。

 アパートに到着すると、お金の話を一切することなく去って行くタクシーに、呆然としながら見送るような体勢で見えなくなるまで立ち尽くした。

 先輩から返してもらったパーカーを着ても若干肌寒い気温に、身を震わせるとまあいいかと部屋に向かった。

 ポケットから鍵を取り出すと、差し込む前に扉が開いた。

「お帰りなさい!」

 飛び出してきた小学生に抱きつかれ、後ろに一歩足を引くと、軽くその頭を撫でる。

「ただいまです。まだお風呂入ってないんですか?」

 髪の毛の感じから読み取った情報で訊ねる。

「うん、今から入るところ。ちょっと料理に気合い入れちゃった」

「何ですって? それは急いで実食せねば」

 話しながら、抱きついていた由利亜先輩が俺の手を取って二人で部屋の中に入ると、料理のいい香りが鼻腔をくすぐる。

「まだもうちょっと時間かかるの。あ、じゃあ太一くんさきお風呂入ってきなよ。私、料理見てなきゃだから」

「何をすればいいかだけ教えといてもらえれば俺が料理のほうやりますよ?」

 いつもならすでに船をこぎ始める時間だ。早くお風呂に入った方がいいんじゃないかと思っての台詞だった。

「あ、あのね、実は帰ってきてからちょっと寝ちゃって、それで、遅れてるだけなの……」

「ああ、なるほど。じゃあ、俺がお風呂先もらっていいですか?」

「うん、そうして。出来たら後から行くね」

「それやったら明日から銭湯に通います」

「ぐぬぬぬぬ」

 平然と一緒にお風呂~といいだす女子高生(小学生)に、即答で降伏を言い渡す俺。

 そんなことされて、そのあげくあの先輩にばれたらどんな汚名を着せられるかわからない。それだけはあってはならない。

「むー、わかったよぉ……。じゃあ先どうぞ。出来たら呼ぶね」

「はい、お願いします」

 一見残念そうにしながらも、どこかほっとした様子の由利亜先輩。今日の出来事をまだ気にしているのだろうか。いつもは多分、一人で全部どうにかしてるんだろう。その状況を俺に見られたくなかったのか。

 しかし、俺は今日の一件であるところの龍童寺某とのことを見ていたことについてはまだ言っていない。

 だから、気にしているのはクラスであった、あの出来事のほうで。それはつまり、俺が殴られそうになったことを意味しているのだ。

 俺はあのクラスの人間に、何かあれば容赦なく殴られる程度のことを現状しているのだと、再認識してしまった。

 由利亜先輩的にはそれがお気に召さなくて、今まで通りのやりとりで俺との距離を測り直している。

 そんなところだろうか。

 財布を自室に放り投げてタオルと部屋着を持って風呂場に向かう。

 脱衣所には母親から由利亜先輩宛に届いた化粧品やらが一箱の段ボールに収まっておかれている。

 先輩宛にも届いているのだが、あの人は化粧の仕方とかわからないから私はいいやと開けて中身を物色し大人になったら使いますと電話口で告げていた。

『大人になったときにはもっといいものがあるから、今のうちに少しくらい勉強しとかなきゃだめよ~ 由利亜ちゃんに習っておくこと』

 などと説教くさく言われていたが。

 母曰く、これがくノ一が存在する時代なら、学校で女性向けの化粧の講座なども開かれていただろうが、現代に化粧を教える授業は存在しない。それをもって高校生のうちに少しくらい触っておかないとだめ、と、そういう考えらしかった。

 言いたいことはわからんでもないが、男の俺としては、先輩や由利亜先輩ほどの顔の人間に化粧というのはあまり効果がない気がしてならないのだが、女性目線になると違うのだろうか?

 なんやかんやと考えながら、服を脱いで浴室に入ると体と頭を洗って湯船にダイブした。

 由利亜先輩好みの少しぬるめのお湯は、じんわりと冷えた体を温めてくれる。

「というか、俺にはなにも送ってこないのは何でだ?」

 世の中には仕送りなる制度があるらしいじゃないか。

 お金じゃなくても、お菓子とか生活必需品とか、そういうものを送ってくれてもいいのではなかろうか? 

 少なくとも居候二人に送る時間があるのなら、息子に仕送りをする時間だって用意できるはずではなかろうか?

 …………。

 まあ、別に困ってないからいいのだけれど。

 昔から、あまり縛られた記憶もなければ、特別何かをしてもらったという記憶もない。

 普通で、普通の家だった。家族の形としては歪だと思う。それは認めざるをえない。だが、どこよりも家族らしかった。と、思う。

 俺には、居心地の悪い場所だったけれど━━━。

 いやな方向に思考が向き始めたのに気づいて頭まで湯船に突っ込んだ。

 ザバっと頭を出す勢いのまま立ち上がると、耳に水が入ってしまってハッキリと音が聞き取れないが扉の向こうから由利亜先輩の声が聞こえる。

「今出ます」

 そう言うと脱衣所の扉が閉まる音がした。

 首をぶんぶん振って耳から水を抜くと、風呂を出た。





 由利亜先輩が風呂から出ると、二人夕食の時を迎えた。時間は九時を回って十時になろうとしている。

 明日は学校祭最終日だ。

 そんなちょっぴり忙しい日。由利亜先輩が用意してくれたのはビーフシチューだった。ブロック肉から通常よりも大きく切り分けた角切りの牛肉が、ほろっと口の中で解けるほど煮込まれた、極上の。

 ご飯とは器を別にして、スープを味わい米を食うという無限ループ。最高の美味だった。

「ごちそうさまでした……。……めっちゃクチャうまかったです」

「お粗末様~ よかった~」

 由利亜先輩の分の食器も一緒に流しに入れ、お茶を用意すると、机に振り向こうとする俺の腰にふわりと柔らかいものが押し当てられ、腹部に腕が巻き付けられた。

 なんだ……?

 ………今度は何事だ?

 確かに普段からちょくちょく抱きつかれてはいたが、今回は何かが、何かが違う。

 いや、これは、違うのは俺の方か?

 先輩にあんなことを言われたから、意識してるのか?

「あの、えっと…… 由利亜先輩?」

 自分を落ち着けるべく、いったん持ち上げたお盆を置き直し、回された腕に手そっと触れる。

 すると、少しだけ締め付けが強くなった。

「太一くんは、長谷川さんの事が好き?」

 また、この手の話題か……。今日何度目だろう。どこもかしこも恋愛一色だ。

「そうですね、好きですよ。先輩としてで好けど」

「そういうことじゃなくて、付き合いたいとかキスしたいとか、そういう」

「それは、無いですね。正直ちょっと怖いくらいです」

「じゃあ、私とは付き合いたいと思う?」

「ロリコン呼ばわりされるのでお断りします」

 ギューっと締め付けが、締め付けが━━━

「ギブ!! ギブっ!! ごめんなさい冗談です!!!!」

 食ったものが出る!!!

「今真剣に話してるから、変なこと言ったら刺すよ」

「…………」

 目の前が台所だけあって、冗談では済まされない脅しだった。

「私と、付き合いたいと思う?」

「その質問、今日二度目ですよ」

茶化そうとする俺を、

「良いから答えて、真面目に」

由利亜先輩はピシャリと遮る。

諦めて、俺は答え始めた。

「………正直、思いますよ。可愛いし、優しいし。由利亜先輩ほど俺の事好きって言ってくれる人はもう現れない様な気もします。でも、俺は由利亜先輩に何も返せません。付き合うって言うのはお互いがお互いを立てられる立場に居てこそでしょう? 俺には由利亜先輩ほど器量も才覚もありません。所詮平凡な一般人Aなんです」

 これも、逃げ口上。

 分かってる。

 ただ自分が惨めになりたくないだけ。

 先輩には通じなかったこのやり方は、しかし由利亜先輩は真っ向から言い返してきたりはしなかった。ただ、俺の言葉を聞いて、抱きついている腕の力を少し強めるだけ。

 押し当てられた二つの感触に、またデカくなったか? などと適当な思考で現実逃避して拘束を解かれたとき、無理矢理振り向かされた先にいた真っ赤な目をした由利亜先輩が、俺の唇を奪った。






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