それなりで、いつも通りで、平凡で。
まずしなければいけないのは感謝の意思を示すことだった。
敵意を持っているのは俺ではなく、俺と一緒に住んでいるロリっ子であって、俺自身ではないのだということは、いっても理解されないだろう。これに関しては本人の罪悪感が先に来て、誰かの意見としてではなく変にバイアスがかかってしまっているから俺の言葉でどうこうなることでもないだろう。
それに、敵意を持っている人物と一緒にいるという時点で、あまり歓迎はされないのだろうし。
いや、敵意をもたれるようなことをしなければよかったのだという単なる事実も存在するのだが、それはそれとして、本人の意思とは別に俺を気絶するほどの威力で殴ったのには無理からぬ、というか、それなりの真剣な感情が動いたということを俺は理解している。その理解を他人に共有できるかは別なのだが。
そんなこともあって、俺はこの人に対して悪い感情を持っていないのだが、まあ好意という感情を暴力という形で表現してしまったことには良い印象は持っていない。
俺個人に対するもので終わるとは考えることができないから、その感情のはけ口がどこに向かうか、自分の衝動を抑えられる程度に人間を作ってもらわない限りは、同級生の許嫁という立場は返上してもらいたく思う。
その部分を除いて見れば、俺個人にこの人に対して思うところはない。
そもそも何かを思えるほど関わっていない。
だからとりあえず、俺の願いを聞いてもらった感謝を伝えなければと、こちらに向かって歩いてくる生徒会長に体を向けて、呼びかけた。
「山野くんか、文化祭は楽しめたかな?」
「おかげさまで、何に気兼ねすることなく楽しめましたよ。それにしても生徒会はかなり忙しいイメージだったんですけどそうでもないんですか?」
「今年のメンバーは俺を除けばかなり優秀揃いなんだよ。用意は全部事前に終わっててね、当日に何かをする必要性が生まれる余地は一切ないんだ。だからこうしてみんなと同じくらいの時間で帰ることもできるわけだ」
得意げに語る生徒会長。自分一人をおとしめるように言うが、この人だって選ばれている時点でそれなりに優秀だろうと思うのだが、まあ別にこちらがとやかく言うことでもない。
「なるほどです」
「それで、なにかようかな?」
その問いに俺は呼び止めた理由を思い出しつつ、
「この間のこと、お礼を言っておきたくて」
前置きとしてこう言った。
その言葉に対する生徒会長の反応はそれなりで、
「そうか、いや、こちらとしても人助けができて良かったよ」
警戒心が薄れた。
いらんことまで言わないようにしなければいけないこちらとしてみれば、緊張するべきはこちらなのだが、まあ向こうが話しやすくなる分には別に損はない。俺がミスらなければいいだけのこと。
「あれだけ大がかりなことになると、こちらとしてもかなり手間がかかったし、何より時期も時期だっただけにかなり厳しかったけれどね。人の命がかかっているとなれば学校行事を優先させることもできないし、本当に周りに救われたよ」
久しぶりの事情説明である。
賢明博学である読者諸兄にはすでにおわかりかもしれないが、一応説明しておこう。
先輩の両親を助ける、という依頼に加味して俺が請け負っていた、弓削さんの母親プラス五人の神主、眠れる杜の巫女を起こすという依頼の解決を引き受けてくれたのが、この生徒会長なのだった。
より正確に言えば、由井家。その一家総員が、許嫁の母親を救う人を負った。
細かい説明はこの際一切合切省かせてもらうが、とにもかくにも、修学旅行が終わった次の瞬間には生徒会長は実家に舞い込んだとんでもな依頼を引き受け許嫁の家に行き、魔を追い払う儀式を行った。
その儀式が成功した暁に、由利亜先輩による追放を免れた。
そういうわけで、俺はその依頼主として、感謝の言葉を告げに来たのだった。
「ほんと、俺がいなかったら今頃アフリカかどっかで自給自足ですもんね、周りが優しくて本当に良かったですよね」
「嫌味なんてらしくないように思うんだけどね?」
俺にらしさなんてない。その場の思いつきだ。そんな風に言おうとしてやめる。
「そりゃ、殴られたあげく気絶までさせられてますからね。それのおかげで学校に知り合いが一人増えましたけど」
「いわれのない嫌味より、感謝してもらいたいね。あんなにかわいいことお近づきになれたんだから」
「いわれしかないんですがね」
「そういえば、うちに正式に許嫁を断る書面が届いたよ。色々と理由が書かれていてね、うちの方もそれを受け入れて、家の間での取り決めを一切廃止することになった」
これはめでたい。弓削さんが聞いたら大いに喜びそうだ。そういえば今日は弓削さんに会わなかったな。今更だけど。
「まあまだ分家に説明をする段階だから相手方には伝えていないんだけれど、良ければ君の方から彼女に伝えておいてくれないかな」
「それはまあ、いいですけど、俺が弓削さんに会うのいつになるかわかりませんよ?」
「まあ、会う機会があればでいいよ。話は以上かな?」
「以上ですね」
「じゃあ俺はいくよ」
そう言い残して生徒会長が消えると、昇降口には俺一人なっていた。
気づかないうちにそんなにも時間がたってしまっていたのかと柱にかかった時計を見ると、体感と大して変わらない時間しかたっておらず、人のいないのが異常な空間であるように感じられた。
さっきまで賑わっていた空間に、突如として生じた空白のような静けさ。
ただ一人、どことなく異空間化したその場所で、なんとなく立ち尽くす。
吐いた息に混じる疲れが、何気ない感情のように自らに問いかけてくる。
『俺は今、何をしているのか?』
四月にこの学校に入ったとき、俺は一人息巻いていた。一人の楽しさを満喫して、何も起きない普通な日々を送ろうと。
蓋を開けてみれば夢に描いた普通とは、縁遠い人たちと行動し、普通でない異常な日々を送っている。
俺はまだ、まともだろうか?
あの異常な兄のようにはなるまいと、躍起になって生きてきた俺は、普遍的な凡百として生きているだろうか?
答えなど、聞きたくはなかった。
問うてみて、帰ってくるのは多分俺の望んだものではないと、なんとなく察しがついているから。だから俺は俺自身で俺自身に言い続けるのだ。俺は普通で平凡だ。と。だから、俺にできることなど、誰にでもできることなのだ。
そっと頬を触られた。
びっくりして身をのけぞらせると見知った顔があった。
不安そうにこちらを見る目に微笑みかけて、頭を撫でる。
「もう、私が慰めてたのに」
怒った声に生気が戻っているのがわかった。
「クラスの人たちとは仲直りできたんですか?」
「ちゃんと謝って、ちゃんと許した」
「そうですか」
よかった。そうほっと胸をなで下ろした俺に、唇をとがらせる。
「なんか太一くんの方が先輩みたいでやだ」
「こればっかりは、精神的な問題ですからねぇ~」
しらーっと俺の言葉を無視して下駄箱の方に向かう由利亜先輩がぽしょとつぶやくのを、俺は聞き逃さなかった。
「今日の夕飯覚えてろよ……」
「食べ物で遊んじゃだめなんですよ……?」
普通の音量の俺の声を、由利亜先輩は受け取ってくれない。