教室での先輩と、部室での先輩の違い。
鷲崎由利亜は俺が通う学校の二年生である。
鷲崎由利亜という人物を語る事になれば、これが冒頭にくる文言であることはまず間違いなく、それ以上の情報の開示は俺の方からは控えるべきであろう。
なにしろ俺が知っている鷲崎由利亜という人物の情報は、学校側の把握している物とは大きく異なっているし、彼女が教室で振る舞うその仕草一つとっても、俺のあずかり知らぬ彼女であることは確かだからだ。
俺が知っている彼女は、学校の人間の知らない彼女であり、学校に居る間の彼女は、俺の知らない彼女なのだ。
だから、俺が彼女について語るとき彼女が公にしている情報以上に語れる内容など持ち合わせていないのだ。
家で何をどう過ごしているのかも、俺と先輩がこれまでどれだけの量の料理をうまいと言って食べてきたのかも、風呂に入る時間も、着替えるときの順番も何もかも全て、俺が知っているからというだけで話して良い内容ではないから、だから、俺が鷲崎由利亜という人物について話すとき、多分誰もが少し異常なものを見る目をすることだろう。
何しろそれは、未知の事について話す開拓者を見る目なのだから。
保健室にたどり着くと扉が施錠されていて、由利亜先輩は居なくなっていた。
扉の前で膝をつき耳を澄ませ、中から物音も息づかいも衣擦れの音すらしない事を確認すると、あきらめの息を吐いて立ち上がった。
「どこいったんだ……?」
俺は首を捻りつつ移動を開始した。
「鍵返しに行ったんだったら職員室に居る先生に聞いてみたら?」
「そうだね。ちょっと行ってく━━━!!!? 三好さん!!!?」
「……?」
不服そうな顔の真横に立つ同級生に俺は驚きを隠せない。
「あ、ていうか名前、元にもどってるよ」
「あ、ああ、ごめん、なさい?」
謝りながらもいやいやと俺は心の中でツッコミを入れた。
「なんで里奈さんがいるの!?」
何を言っているんだこの人はと言いたげな表情で、「そんなのたいち君についてきたからじゃん」とあっけらかんと言う。
「いや、何でついてきてるのかってところが気になってるんだけど……」
「え、だって二人で周るって約束だったよね?」
「それはさっき来週の土曜に埋め合わせる方向で話が済んだんじゃ……?」
「それはそれ、これはこれでしょ」
「…………」
「なに?」
「……いや、なんでも………」
なんだろう。俺の周りの女の子は、最初はみんな優しいのに段々俺に厳しくなっていく。なぜだ。
「そんなことよりユリア先輩探すんでしょ」
「そうだった」
あわてて職員室の戸を叩くと、出てきたのはさっきと同じ男性教員だった。
「なんだ、鍵ならさっき鷲崎が返しにきたぞ」
「そうなんですねやっぱり。どこいったかわかりますか?」
教師は少し考えて、
「それはわからないけど、そこ真っ直ぐいって右いって見えなくなったな」
指で教えてくれた方向は普段生徒なら使わない進路だった。
「ありがとうございました。では」
「戸渡先生テスト簡単にしてくださいね」
「三好は少しは点数上げるようにな」
「うっ…… たいち君に教えてもらうので今回こそはいい点取ります」
「え、なにそれ、おれきいてないんだけど───」
「ほら行くよ」
結構大事なことを流すように俺の背中を押して促す三好さんに、教師が最後に「山野の勉強の邪魔するなよ」とだけ言って職員室に引き上げていった。
俺はそれを見送ってから歩き出す。
来週の土曜って、そういえばテスト前なのか。じゃあさっきの付き合うってやつは一緒にテスト勉強しようってことか。納得。
それにしても、どこいったんだろ由利亜先輩。職員室から一本道の廊下を真っ直ぐ行って右に曲がる渡り廊下の先。渡り廊下といっても、ここから先には俺が行かないと硬く決意している図書館があるだけで後ほかには何もない。
つまり、俺はこの先に向かって歩いたところで由利亜先輩を見つけることはできないのだ。例えば、図書館にいるのだとしたらなおさらのこと、俺に由利亜先輩を見つけることはできない。無駄に硬い俺の鉄の意志なのだ。
「私、学校の図書館ってオリエンテーションでしかいったことないや」
「え、本当に? 結構いい本そろってるのに」
「たいち君はよくいくの?」
「前はね。ここ最近行かなくなった」
「なんで?」
「暴漢にあって以来この渡り廊下が怖くてさ」
「強姦!!?」
「いやいや、暴漢ね、ぼ」
「あ……」
俺は前を向いたまま話しているので今三好さんがどんな顔をしているかは見ていないが、相当やっちまったという顔をしていることだろう。
暴漢と強姦って語感が似てるもんね!!
「ち、ちなみに! 実はこの先には図書館だけじゃなくて小体育館があるって知ってた?」
「え、なにそれ、そんなのあるの?」
無理やり話題を変えたなあというただの事実は置いといて、普通に初耳の情報に俺は食いついた。
「うん。授業では使われてないんだけど、旧校舎時代に後から立てた小体育館があって部活では使われてるらしいよ。新体操とダンス部が使ってるんだっけな」
「この学校、新体操部とかダンス部とかあったのか……」
「そしてちなみにダンス部は全国大会にも出てる強豪らしいよ」
「マジか……」
知らない情報しかないんじゃないかってくらい知らない情報が流れてくるんだが。これは多分俺が学校のことに疎いだけでなく、里奈さんが情報通なのもあいまっていると思う。友達の人数だけなら学校内でもトップ10には入るだろうしなぁ。
「その小体育館では何かやってるの?」
「ううん、小体育館は物置みたいになってるよ。教室に荷物を置けないクラスとかが自由に出入りできるようにしてあるの。みんな校舎のほうにいるから誰もいない…… そういえばユリア先輩のクラスの荷物も置いてあったかな……」
喋っていて思い出したのだろう。その言葉に従って、俺は進路を決めた。
「じゃあとりあえず小体育館に行ってみるか」
「そうだね」
もしかしたら帰ってるかもな。そんな風に思いながら足を進めることしばし、図書館までの道でも人には会わなかったが、さらに奥に来てなおさら人気がなくなった。そんな中にポツリとはじめてみる少しぼろい建物があった。いわれてみれば体育館だが、パッと見ただけでは廃墟にも見える。
「いや、家ではないと思うよ?」
「まあ、そうなんだけど。こういう洋館て古っぽい温泉地行くとたまに見ない?」
俺の言葉に三好さんは終始首を傾げて「いやぁ?」とつぶやく。一度ではなく二度三度と繰り返し、「温泉、地ぃ……?」とうなる。もういいです。俺が間違ってました。ここ体育館です。
入り口は少し開いていて、中を覗き見ることができる。いや、開け放って中に入ればいいだけ何だけど、古びた洋館とか考えてしまった手前なんとなく怖い。自分の思考で自分の行動を制限している自分に阿呆さを感じながらも、野次馬のように隙間から中を覗き込むと、右端のほうに向かい合って立つ男女がいた。
「んん……?}
「なに、何か見える?」
「人が二人いる…… ていうか、由利亜先輩だわ……」
「あ、ユリア先輩いたんだ。よかった。もう一人は?」
「んー…… 見たことないなぁ……」
横から小声で聞いてきていた里奈さんが俺の下に屈んでもぐりこみ覗きを開始した。
「ほぉー…… あれは三年の龍堂次先輩だねぇ…… 格好いいって有名な人だよ」
「そんな人と由利亜先輩が向かい合っているということは、つまり」
「「告白か・だね!」」
何が嬉しいのか楽しそうな里奈さんと言葉が重なると、中からかなりの大きさの由利亜先輩の怒りが響いた。
「何言ってるかはぜんぜん聞き取れないけど、険悪そうだね」
「まあまず間違いなくユリア先輩が龍堂次先輩をふってるんだろうね」
野次馬根性を遺憾なく発揮する俺たち後輩には当たり前だが気付くことなく、中の二人は由利亜先輩が一定の距離を保つことを徹底しているため近づくことこそないもののかなり白熱している模様。
にしても、保健室のときにはかなり精神的にキテる感じしたけど、大丈夫かな。でもここで俺が出てっても出来ることとかないしなぁ……。
すると、龍堂次先輩が由利亜先輩に詰め寄った。体にこそ触れていないが、体格差を見てもかなり威圧的な状況だ。
「ね、ねぇ、いいのたいち君?」
「いいって、何が?」
由利亜先輩が危ないのに助けなくていいのか、という意味だろうか? だったらそれは心配するのもおこがましいと言える。
「ユリア先輩助けないの? 危なそうだから探してたんでしょ?」
「まあ具合は悪そうだったから、それは心配してたんだけどね、でもあの状況は別に俺が助けに行く必要はなさそうかな」
「そうなの……?」
里奈さんが信じられないと目で訴えてくる。俺はそれにある場所に指を差すと理由を告げた。
「ほら、二人のたってる場所から少し奥のほうに扉があるでしょ? 多分掃除用具とかが入ってる体育館の備品倉庫みたいなところにつながってると思うんだけど、あそこに四人、人がいるんだよ」
「え、うそ」
素直に驚いた里奈さんはじーっと指差すほうに目を向ける。が、人影は見れないようだ。
「人なんていなくない? ていうか扉しまってるよ」
「まあまあ、あと四秒だよ」
「……?」
三・二・一とカウントを取り、俺がゼロと告げると同時、龍堂次先輩が我慢しきれずつかみかかろうと動いたその時、扉が勢いよく開き人が飛び出す。
いきなりの出来事に由利亜先輩の方をつかもうとしていた手が止まったその隙を完璧に突き、飛び出してきた四人の女子生徒は男を床に組み伏せた。鮮やかに、一瞬の出来事だった。
「………なに、今の………」
「合気道、かなぁ……? この学校って合気道部とかあるの?」
唖然としながら俺の質問には答えてくれる里奈さん。さすがのコミュ力だ。
「ある、し、全国優勝してる……」
「マジか。じゃあその人たちかな」
背は由利亜先輩よりは高いが、特別大きいといった感じもない。普通の女の子が普通に武道を極めるとなんとも違和感のある光景になるんだなぁ………。
「さて、由利亜先輩が無事クラスメイトに保護されたわけだし、俺たちは行きますか」
扉を覗くのをやめて里奈さんに言う。
「いいの?」
里奈さんも扉から離れると、二人で校舎のほうに歩き出す。
「んー、多分。後で怒られるくらいだと思う」
「なんかちょっと嬉しそうだね……」
「人に変な属性つけるのやめてね」
くすくす笑う里奈さんに文句を言う。
少しずつ喧騒が戻ってくる学校の雰囲気に自分が今学校祭の最中なのだといまさらに実感する。
「ちょっと校庭のほう見て回らない?」
里奈さんのほうを見ると、目を丸くしていた。
「な……何かな……?」
訊ねると里奈さんの頬が少し赤くなった。
「ううん、付き合ってあげる!」
付き合っているのは俺だったような気がするが、まあどっちでもいいか。美少女と学校祭をまわれる機会をどぶに捨てるほど馬鹿ではないのだ。
「生徒会がくじ引きやってるんだよ!」
「採算合うのかなぁ」
そんなやり取りをしながら、俺は里奈さんと学校祭を回り始めた。
由利亜先輩の心配は無理矢理ねじ伏せた。俺が行っても誤解を深くして迷惑を掛けるだけなのだ。そんなことは、わかりきっているのだ───