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140回 ひたすらに闇。




 激しい炸裂音が教室に響き渡り、頬を叩かれた由利亜先輩がその小さな体をグラリと揺らし俺に向かって倒れ込む。俺はそれを慌てて受け止めて支えると、「大丈夫ですか??!」と驚きと一緒に叫ぶように声をかけた。

 由利亜先輩は頷くとゆるりと立ち上がり、痛みが走ったであろう左の頬を手のひらで押さえる。

 先ほどまでのガヤガヤした雰囲気が一切消え去り、誰もが殴り殴られた二人を見つめる状況で、固唾を呑んで体の動きを停止させていた。

 そんな中、顔面を蒼く蒼く染め、瞳孔が開いているように見えるほどのショックを受けている人物に、俺の視線は向いていた。由利亜先輩が見つめる先に立つその人物は震える体で呼吸さえ止め、ただ、ただ、一人の同級生に口をぱくぱくさせることで自らの言い分を告げようとしていた。

 殴った当人は、殴る前に俺に見せた憎悪など無かったかのように。

「……あ……っあ……ちが…………ゆ……」

 言葉は声にならず、彼女が感じている衝撃の大きさだけが何故か伝わってくる。

 確かに殴ろうとしていた相手ではない人物に手を上げてしまったとき、人は驚きを感じるだろうが、それにしたって彼女の反応は明らかに異常だった。

 なのに、彼女の感じている、しでかしてしまったことの重大さに対する罪の意識が何故か手に取るように理解できてしまうのだ。

 それはきっと、俺にも似たような経験があるからかも知れない。

 こちらに背中を向ける由利亜先輩は、すこしふらつくようにしながらも目の前に立つ少女を睨み付ける。

「ゆ、ユリア先輩? 大丈夫ですか?」

 静かな空間で唯一声を発することが出来たのは、俺の対面に座って俺同様注文した品物を待っていた里奈さんだけだった。俺ですら、拒絶を全身から醸し出す由利亜先輩に対して言いよどむ中で、里奈さんはいつもと同じ調子で訊ねたのだ。

 いつもの、つまり恐縮したような憧憬の眼差しを向けながらおずおずと、なのだが。

「大丈夫だよ。ありがとう」

 そんな里奈さんの声に由利亜先輩は笑顔で応じる。この場では明らかに異常なその対応の仕方に、背筋が寒くなるのを感じた。

 教室に入ってきたとき、由利亜先輩は俺の知っているその人だった。

 だが、この教室とはなんとなくあってなくて、クラスメイトの彼女を見る目もなんとなく虚を突かれたようなそんな印象を受ける物で、だから多分きっと、俺の知る由利亜先輩と教室で演じられている鷲崎由利亜には乖離があるのだろう。そう覚る。

 そして今、この人は俺の知る鷲崎由利亜でも、教室に存在する鷲崎由利亜でもないのだと言うことも理解する。

 普段のキッチリした優しい小学生ではなく、そう、一度だけ見せた、暴力に対して絶対的な「否」を告げたときの、あの時と━━━

「最低」

 寒々とした氷の様な一言だった。

 里奈さんに柔らかいひとことを返した、同じ口から出たとは思えない程の厳しさが、温度となって伝わってくるような。

 凍り付いていた教室に響き渡ったその一言が、震えていた女子生徒の心を砕いた。

 もちろん比喩で、俺に人の心の機微など理解することは出来ないが、しかし、これに関しては理解する必要など無い。何しろその少女は膝から崩れ落ちて、泣き出したから。俺の技術など不要で、誰が見てもそう思っただろう。

 ガラ、教室の戸が開いて一人の少年が入ってきた。

「新しいお客さん連れてきたよ!!」

 燕尾服に身を包んだ少年が大きな声で告げると、二人制服姿の男女が入ってきた。

 氷点下を下回っていた教室内に暖かな風が入ってきたようだった。

 この期を逃してはいけない。

 俺は由利亜先輩の手を取ると、「後お願い」里奈さんに一言そう言って、お金代わりに流通している学校祭通貨を机に置いて出口をくぐり抜けた。

 手を引かれる由利亜先輩から抵抗はなく、俺はその足で保健室を目指した。




 職員室、生徒指導室から校長室の前を通り、ようやく保健室にたどり着いた。

 教員棟と呼ばれるそのフロアには、クラス棟や部室棟とは打って変わって静寂が満ちていた。

 最も昇降口に近いにもかかわらず、ここがこんなにも静かなのは俺に手を引かれた隣を歩く少女の放つ言いしれぬ負のオーラがそうさせるから、ではなく、テスト期間直前につきテスト問題が職員室内に保管されていたり、制作真っ最中の教員がいるためにここでは静かにするようにと厳命されているからだった。

 保健知るの戸を軽く叩き、引き戸の取っ手に手をかけると力を加える。「ガッ━━」と引っかかり、鍵がかかっていることが分かる。

 扉の隣に小さなホワイトボードがかかっていて、「保健医の居場所」と書かれた下に、現在見回り中と赤文字で記されていた。

「職員室に行けば鍵貰えますよね?」

 訊ねると、小さく頷く。由利亜先輩は俯いたままだ。

 元来た道を戻り、職員室の戸を叩く。誰かが来てくれるのを待つと、五秒もしないうちにガラリと戸が開いて男性の教員が顔を見せた。

「なんだ今ここ立ち入り禁止だ━━━ってなんだ、山野か。どうした、テスト内容ならミレニアム問題級に難しい物を用意するつもりだぞ」

「解答が用意されている問題ならテストとして受け入れます。保健室の鍵が借りたくて来ました」

 この先生は誰だろうという気持ちが強く、素直に言葉を返すと用件を伝えた。

「保健室? 比企先生はいないのか?」

「どうもそうみたいです」

 「そうか」というとその先生はキーボックスから取り出してきて「使った物は元の棚に戻せよ」と言って鍵を渡してくれた。気安いなぁ。

「ありがとうございます、それじゃあまた返しに来ます」

「ああ、山野、その前に」

 踵を返そうとしたそのとき再び呼び止められて「あう」と声を上げて再び教員の方を見る。

「一応なんだが、何するんだ?」

「それ、普通先に聞きません?」

「いや、まあお前と鷲崎なら別に変な事しないだろうから良いんだけどな、一応だよ一応」

 教師は申し訳なさそうに言うと少し笑った。

「氷を貰おうと思って。俺の不手際で由利亜先輩が殴られちゃって」

「はぁあ!!?!!? 殴られ!!?」

 教師は盛大に驚き声を上げた。怖い、目が怖い。開きすぎだ、怖い怖い。

「まあ殴った本人には悪気はないんですけどね、元々標的俺だったんですけど、由利亜先輩が割って入ってくれたんです。おかげで俺は無傷、でも由利亜先輩がこの通り」

 俯いたまま暗さ百パーセントの由利亜先輩を見て教師は唸る。

「喧嘩か?」

「いえ、俺にもよく分かって無くて。なんで殴られそうになったのかについてはまあ、ちょっと思い当たるところが多くて逆に分からないですかね」

 「んー」と顎に手を当て唸ると、「わかった。期をつけてな」と教師は俺たちを送り出してくれた。なにが分かったのかは分からないが、取りあえず鍵を返すときには居て欲しいなあと思った。







 山野太一が慕っている先輩を介抱している一方、その先輩のクラスメイトであるところの四方屋凌がクラスメイトから感謝感激の嵐をぶつけられるのはまた別の話。

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