どうでもいいけどさぁ~。
見覚えがないなどと言う恥知らずも甚だしい事を思った俺だったが、最終的にはその人物が誰であるのかに思い至ったので、そこはあまり気にしないで置いて、弓削さんのお母さん、弓削司氏が何故俺の事を一目見ただけで分かったのかは一考の余地があった。
少なくとも、写真で見たとか、そういうことは無いはずだ。
俺は弓削さんと写真を撮るイベントには恵まれていないし、何より弓削さんが俺のことをそこまで事細かに説明する意味も分からない。
初対面の相手を、それと認識するのに必要な物とはいったいなんだろう。
「山野くん、あの、大丈夫?」
少し考え事をしていただけなのに、毎回毎回この人からは何故か頭の無事を確認される。
「弓削さんさ、毎回ちょっと失礼じゃない?」
「えっ?! べ、別にそんな失礼な意味じゃなくて! ただちょっと疲れてるみたいだったから!!」
「え、あ、そう? そういうことなら大丈夫大丈夫。学校祭の一般開放が怖いなあと思うくらいには大丈夫」
弓道場の横に併設された武道場の隅で、由利亜先輩と弓削さんと俺が一つのお盆に乗せられたお茶菓子を囲んで話し合っていた。
あの三人(司さんとミナちゃんユウちゃん)がいると会話にならないからと、弓削さんが用意してくれたのだ。
「そっか、明日は関係者しか見に来ないし、出し物は生徒しかまわらないから何かあっても大丈夫だけど、三日目の一般公開は失敗できないもんね」
「いや、何かあったら基本ダメだけどね」
我らのクラスは既に展示も終わっているので後は片付けのみだが、俺の仕事は受付という大役だったりする。
「太一くん達はよくわかんない展示だよね」
「そうです。俺たちのクラスは自分たちでもよく分からない事の展示です」
「いや、調べながらちゃんと作ったよ!!?」
俺と由利亜先輩のボケを、弓削さんがちゃんと拾ってくれる。さすが。
「そういえば、由利亜先輩は何やるんですか?」
という俺の何気ない質問は、どうも女性二人には不服だったようで、若干二人の相貌に青筋が立ったように見えた。
「山野くん、いや、やまの。それ本気でいってんのか?」
唐突に口が悪くなった弓削さんが、メンチを切る様に(実際はただの上目遣いで)問い詰めてくる。
「いや、はい、まあ、こんなこと聞くのに嘘は吐きませんので」
たじろぐ俺に、もはや呆れを通り越し、こいつちょっとヤバいんじゃないの? という顔を向ける。
「え…… そんなに凄いことするんですか……? 俺、知らないのそんなに……?」
「いやヤバいよ、普通にヤバい!! だって昨日もクラスの男子達が大騒ぎしてたじゃん!! 二年四組の出し物が≪コスプレ喫茶≫だって!!」
口を半開きにしたまま「は……?」と音が漏れる。
しらんし。
なんだその馬鹿丸出しな出し物。
「太一くんてね、私に興味ないんだよ…… 私のこと、家のことしてくれる巨乳のロリッ子くらいにしか思ってないの…… 酷いよね……」
およよと誰にでも分かるくらいの下手な芝居で可哀想を装う由利亜先輩に、かまう必要なしと判断して目をそらすと、半目の弓削さんに睨まれていた。
軽蔑を超越したその目つきに、もはや俺が人として認識されているのかも怪しい物だった。
ていうかやっぱり自分でもロリっ子だと思ってるんですね。
「そ……そんなこと、あるわけ無いじゃないですか……。最近ちょっと忙しくてゆっくり話が出来てなかっただけですよ~」
「「…………」」
苦し紛れの言い訳は、聞き入れて貰えず、ひしひしと伝わってくる蔑視と沈黙に堪え、本題に入るタイミングを見計らっていた。
「なんで里奈ちゃんが大変なときにあんな談笑が出来てたの!!?」
場が整って、いざ事情を説明したらこの怒りである。
「言うほど談笑って感じでもなかったよ?」
「うっさい!!」
今日の弓削さんはやけに声が大きいなあ、と思いながら、「でも慌てても良いことないのは実証済みだから」そんな弓削さんをなだめるように言う。
「で、でも…!」
「だから」
どうにも焦りが消えない弓削さんの言葉を遮る。
起きてしまった時点で手遅れなのだ。焦ったところで変わらない。自分の中にもある、焦燥感のような物を押し込みながら、俺は弓削さんの目を見た。
人の目を見て話すことはあまりない。
少しの緊張を抱えながら、次の言葉を選ぶ。
「だから、弓削さんにお願いがあるんだ」
「里奈ちゃんを探すのの、お手伝い?」
友達が誘拐されたと聞いて、動転しているだろうに、しっかりと人の言葉の意味を理解している。
凄い人だなと憧れてしまう。
「そう。弓削さんになら、出来るんじゃないかと思って」
「で…… でも、前回それやって山野くん倒れたじゃん!」
倒れた。由利亜先輩が反応したのはその言葉だった。
「どういうこと?」
有無を言わせぬ問い。
どう返した物か迷う間もなく弓削さんが説明してしまう。
「私は神様を身体に堕ろす事が出来るんです。それを使って以前山野くんが私の堕ろした神様と話したことがあるんですが、凄く体に負担がかかるみたいで、そのときに山野くん倒れたんです」
ギロリと鋭い眼光が俺に突き刺さる。
知られたくなくて、隠していたことがあっさりとバレた時、結構簡単にあきらめが付く物なのだと知った。
だが、何も出来ない俺に頼れるのはこの人だけだ。これがダメならもう手がないのだ。
「太一くんが何をしているのかを問い詰める権利は私にはないよ。彼女でもないし、家族でもないし、ましてや居候の身で、好意で住まわせてくれてる家主に何かを言える権利も無いと思ってる」
「いや、そこまで卑下されるとこっちがつらいんですけど」
突然の告白に何事かと普通に焦る。
「でもさ、神様とかよくわかんないけど、でも、心配くらいはさせてよ……」
「あ……いや……」
今の一番の想定外が、この状況かも知れない。
弓削さんが「え、話してなかったの?」と目で問いかけてきている気がする。
この人に、こんな顔をさせるくらいならと、話さなかったのが仇になった形。
「花街先生の時もそうだったけど、太一くんは一人で何でも出来るからって何でも抱えすぎで……、長谷川さんの事だって……結局、抱えて……」
抱える。そんなこと、俺には出来た試しはないのだけれど、どうしていつもこうなるのだろう。
この人から見たら俺はどうしようもない同居人で、だらしない後輩で、一緒に居ると安心できる、そんな存在であれればと、そう思っていたはずなのに。いや、そんな高尚なことは考えていなかったかも知れないが、少なくとも、こんな風に心配されたくて同居しているわけではない。
「由利亜先輩、顔くしゃくしゃですよ」
無理があると分かっていながら、おどけてみせる。
今はこうするほかにない。
俺の心配は後でして貰おう。今は、三好さんの事が重要だ。
「っな……?! た…太一くんの、ばか……」
あうあう言いながら顔を隠した由利亜先輩を置いて、弓削さんに向き直る。
「じゃあ、お願いしても良いかな?」
対面した少女の目は、それはそれはジトーーーーっと俺を睨んでいて、「まあいいけどぉ、もうほんとどうでもいいけどぉ」とかなんとか、ぶつぶつ言いながらも了承の言葉を残して立ち上がると、準備してくると本殿の方を指し示して去って行った。