130回 正しい段取り。
ある日突然母親が男の人を連れてきて、
「この人がお父さんになってくれるって」
そう言った。
当時、俺は四歳。兄は十一歳だった。
その日からその男は家に住み始め、家の家事は男が全てこなした。
母は仕事が忙しく、それまで家の事は兄がしていたので、男は兄に家事を習い、一月も経てば兄の手伝いのいらない程度には家事をこなした。
母が男の事を「お父さんって呼びなさい」と言うから、俺も兄も「父さん」と読んでいるが、父を直接知る兄は何か違和感があるようなそぶりを見せ、そもそも父という存在に違和感のあった俺には、唯々父呼ばれる存在が奇怪だった。
正式な婚姻はしていないと、父さんは言っていたが、父さんの方は母にやたらとべったりで仕事が休みの日は二人で出かけることが多いようだった。
兄が勉強に精を出し始め、俺が野球で遊ぶようになると、父は俺の応援にも、兄の関心のある場所への同行にも労をいとわなかった。多分、あの人は血のつながりのない俺たちに対して、誰よりも父であろうとしてくれる人なのだと、気付いたのはある事件があったときだ。
まだ小学生の時だった。
野球の練習から帰った週末の夕方、父さんが受話器を以て震えていた。
どうしたのかと聞くと、
「一樹くんが来てから話すね」
無理矢理作った笑顔には、取り繕いようもない不安だけが見て取れた。
程なくして、図書館から帰ってきた兄を交えてこたつを囲むと、父さんが切り出した。
「母さんの乗った飛行機が、エンジントラブルで墜落寸前らしい」
兄と二人、硬直した。
世界が色を無くしたような錯覚に陥って、どこか深いところに沈んでいく感覚を覚えた。
後ろから抱きしめられて我に返ると、その人は俺と兄を固く抱きしめていた。しかし、その腕は、体は震えていて、俺たちと大差ない程に怯えていることが分かった。
「父さんはこれから着陸しそうだという所に向かうけど、一樹くんと太一くんはどうする?」
「行く」と兄が言った。
俺は、どうだっただろう。多分、何も言えなかったんじゃなかったか。
連れられるままに着いていくと、そこは飛行場や何かではなく、ただの広い、何もない場所だった。激しいサイレンの音と群がる群衆の耳障りな声、遠くに何か、燃える物が見えていた。最悪を覚悟した。そんなとき、父さんが俺たちの肩を強く叩いて言った。
「母さん、何が食べたいかな」
三人とも燃えさかる何かを見つめながら、ひたすら押し寄せる物を押さえ込み、どうにもならない感情で笑う。
日本に帰ってくるときは、いつも日本食をせがむから、寿司が良いんじゃないか。そんなことを話しながら。
搭乗者の関係者の方はいらっしゃいますか!!!
どこかからそんな声が聞こえて、慌てて声の主を探すと、事情を聞いた。
奇跡的に不時着に成功して、脱出した後に飛行機が燃えたのだ、説明を受けた。搭乗者にはけが人は居るが死亡者はいないという事だった。
今すぐ母に会えるかと聞くと、向こうで手当を受けているから行ってみてくれと言われた。
俺と兄は走って向かおうとしたが、気付くと父さんが腰を抜かして座り込んでいた。
良かった。それだけを繰り返す父さんに、俺も兄も少し驚いた。二人で手を差し伸べて、父を立ち上がらせると、強く抱きしめてきて、良かったね、今度はそう呟いた。そして、ようやく気付いた。
この人が心配していたのは、母だけではなかったのだ。母を亡くすかも知れない、俺たちの事も心配していたのだと、この時ようやく気がついた。
ほぼ無傷だった母は、テントでけがの手当を受ける人の手助けをしていた。自分の事を二の次にするのはこの人のいつもの癖とは言え、無事なら無事と連絡くらい入れろという物だった。
「私が君らみたいな不出来な息子を残して死ぬわけ無いだろう? そんなことより飯だ!! 寿司だ!!」
そんなことを言っていた割りに、この日から海外へあまり行かなくなったのは、多分飛行機に乗らねばならないからで、俺たちの事を思ってのことだと思う。
俺にとって、父さんは父親ではないが、父のようにしてくれる身内という位置づけであることは確かだ。
そして、その身内の名は、
『鎧木 建吾』
俺たちの、事実上の父であり、どこかの誰かなのだ。