ねえ、お願い、お願いだから、夢を見させて。
「とにかく外に出てみましょう。乗ってきた車があるか確認して、外に監視カメラがあったはずだからその映像も見せて貰って、車が向かった方向だけでも確認しましょう」
「そ、そうだね、出口あっちだよ」
「行きましょう」
状況は最悪だ。
走り出すと、柔らかい絨毯の感触を靴裏で感じながら思う。
どうしようもないこの状況を打開するために、行動を起こす。
ホールにいる人間は全員睡ってしまっているようで、俺たち以外の客は机に突っ伏すように、、店のホール接客の黒服の方々に至っては床にぶっ倒れている。
どうにかした方が良いとは思いながらも、時間が無いのと若干の面倒くささが勝り、心にむち打って全て放置した。
駐車場にたどり着くと、偽物の運転していたワンボックスのファミリーカーは無くなっていなかった。予想を外した俺の次の行動は、宣言通り監視カメラの映像を見せて貰うこと。だったのだが━━━
「━━━お客様にお見せすることはできません」
警備室のガタイの良い中年男性は、キレのあるはっきりとした声でそう告げた。
ああ、日本のプライバシーよ、こんなことで俺の邪魔をしないでおくれ…………
「そんなこと言ってても仕方ないよ。取りあえず車はあるんだし、私はお店の中を探すから、太一くんは外を見てきて」
自分の予測が当てはまらず焦り始めていた俺に、冷静な判断を見せる由利亜先輩。
さすがだ、そう思い、「分かりました、五分で戻ります。何か分かったら……」次の一手を打とうとして連絡手段がないという弱点にぶち当たった。
「はいこれ、私のスマホ。何かあったら店の電話に連絡入れて、私からもそこから電話するから」
「分かりました、それじゃあ五分後に」
頷き合って二手に分かれると、背を向け合って走り出した。
由利亜先輩が冷静な人でよかった。
そうでなければ俺は結構テンパっていたかも知れない。
あの状況で警備員につかみかかっていてもおかしくなかった。
さっきまで由利亜先輩の方が何かテンパっていたのに、立場が完全に逆転してしまった。
………ん?
立場が逆転、って、なんで、そういえばなんで由利亜先輩は今、あんなに冷静でいられてるんだ?
確かにあの人は元々胆力のある人だ。だがさっきまでの態度と今の態度がまるで違うのは、なんでだ? 俺はあの人に落ち着けと言った、それで落ち着くほどの焦りなら、そもそもあの人は取り乱したりしないはずだ。だったら、いったいなんだ……
さっきの外堀を埋められている感覚、あれも妙だった。兄さんのやり方を踏襲したかのような、薄ら寒さを感じる、未来予知でもされているんじゃないかとさえ思うようなあの用意周到さのある感じ。
俺は足を止め、立ち止まり、振り向いた。
「由利亜先輩!!!」
お互い背を向けてから三十秒も経っていない。角を折れて少しまっすぐ行った程度の所にいるはずだ。
俺は向かっていた方向とは反対の、由利亜先輩の走って行った側に足を進めた。
あの人が、あの兄のように、俺のことを謀っているのなら、全ては聞けば丸く済む話のはずなのだ。それが俺にとって、一番良い結末の着き方。
俺の呼び声を聞いて戻ってきてくれたのだろう、パタパタと足音が向かってくる。
この場合、問いかける言葉は何を選ぶべきだろう。断罪を宣言するような、花街先生に向けた物とは別の物を選ぶべきだろう。
先輩に向けた物も、また違う。あの時、俺は確かに先輩の中にいる最愛の人を殺した。だからあれは、全く違う。
では、兄の様に、つい先日の兄の宣言の様なつげ方が良いだろうか。いや、あれは俺には不可能だ。人を殺したことしかない俺に、あんな風に告げることは絶対に。
さて、これは難しい。
「どうしたの、何かわかった?」
悩んでいる間に戻ってきた由利亜先輩が少し息を切らしたまま聞いてくる。
制服を押し上げる胸が大きく上下し、服を着ているのがそもそも苦しそうだ。
「いや、何か分かったとかではないんですけど」
なんとなく、言いながら、どんなに考えてもこの言い方しかできないなと考え至る。俺には結局、壊すことしか出来ないんだなあ、と。
「俺は、由利亜先輩とは結婚できません」
「……っ……!!」
息を呑み、目を見開いて驚く由利亜先輩から目をそらし、俺は自問する。
なんども、己に問いかけてきた問いを、再度する。
【お前は、弱みにつけ込んでいるのではないか?】
答えはいつも、『わからない』ままだ。
『そ……そっかぁ……そう、だよね……』
驚いた表情のまま、由利亜先輩はそう言った。
それ以上は何も言わず、さっきまで食事していた部屋まで戻り、扉を開くと、寝ていたはずの人たちが全員起きて食事に戻っていた。
ここまで来れば、流石の俺にもどう言ういきさつなのかは察しが付いたが、それでも、認識の齟齬が起きないように説明を待った。
「あ、そうだ。由利亜先輩、これ。……ん?」
ポケットに突っ込んでいたスマホを取り出して、由利亜先輩に差し出すと、一緒に出てきた身に覚えのない紙切れが一枚ポケットから落ちた。
「あ……うん……」
由利亜先輩がしっかりとスマホを持つのを確認してから、その紙を拾う。
二つに折りたたまれた物を戻すと、中に何か記してあった。
達筆すぎる草書体。
現代にしては珍しいが、最近まで似たような物を読んでいたので読むのに苦はなかった。
『陸拾肆の頂に、あなたの探し人はいる』
悪戯、にしては手が込んでいる。
しかもよく分からん。
「…………」
何かの暗号化何かだろうか。頭を捻っても、答えは何も出てこない。
「あの、由利亜先輩」
「……なに?」
あまり気安く話しかけられるテンションではない由利亜先輩だが、今はどうしたって声をかける以外の手段がない。
「これ、見たことあります?」
歩み寄って、持っていた紙を差し出す。
一目見るだけで俺に返してくると、「なに、これ?」鬱々とした雰囲気を背負ったまま、俺と同じ感想を口にした。
「やっぱり知りませんか」
「……うん」
由利亜先輩の物じゃないなら、これなんなんだ?
「それ、なんて書いてあるの……?」
「あ、えっと『陸拾肆の頂に、あなたの探し人はいる』ですかね」
「ろくじゅうよん、って数字?」
「そうですね、大字、でしたっけね。陸って書いてろくって読むんですよ。拾って書いてじゅう。草書体が最も盛んに使われていた時代には、使われていないんですけど、これにはわざわざそれで書いてありますね」
また無駄に豆知識を語ってしまった…… これ、聞いてる側は結構鬱陶しいんだろうな……癖なんだよなぁ……
「そうなんだ。六十四、てことは、うちのあるマンションと同じ数字だ」
「へえ、あそこってそんなに階数あるんですか。そりゃ下が見えなくなるはずだ」
一軒家が軒を連ねる住宅街に、そんなどデカい物建てるなと思わなくもないが。
「俺のポケットから出てきたってことは、俺の探し人ってことなんですかね。いや、そもそもこれを入れたのが誰かって話なんですけど……」
「……ねえ、太一くん。探し人って、三好さんのことかな……?」
「まあ、さっきまで探してましたし、それが一番妥当な考え方ですけど、でも、ここにいるんですよね?」
俺は自分の至った自意識過剰な解答から逆算して、三好さんが誘拐などされていないという結論を勝手に出していた。
そして、その結論が間違っていないと勝手に思い込んでいた。
だが、見てみれば簡単なことで、
「そういえば、机にあの二人がいない」
その呟きは、
「………っ」
鷲崎由利亜の内情を、加速させていく。