人のため、誰かのため、結局最後は人の所為。
「お父さんじゃないっていうのは、えっと…?」
この人にしては珍しく、噛み砕くことすらなく勢いのままに述べられた言葉。それに俺は問い返すことしか出来ない。
「と、とにかく、トイレ行かないなら今すぐ戻って!! 私は電話してくるから!!」
そう言って走り去る由利亜先輩の背中に、「わ、わかりました!」そう返事をすることしか出来なかった。
せかされるままに急いで、来た道を戻り、扉を開ける。
少し上がった息を整える間もなく、その情景は目に飛び込んできた。
俺の目に入ってきた光景は、それはそれは奇妙な物で、正直、はっきりと言い表すには俺の語彙では足りないくらいに異質な空間が広がっていた。
「……んー…、これは俺のせいじゃないよな……?」
目の前の、さっきまでとは違う、変わり果てた姿の室内を見て、俺の口から漏れるのは自己肯定の言葉。
何しろ、これまで何かあれば俺の所為だとかなんとか、そんな風に言われてきたのだ、しかし現状、三好さんが巻き込まれたのは俺の責任で、確かに俺の不手際だが、それを認めた上で俺はあえて自己弁護したい。
「流石に、全員睡らせて、そのすきに無関係な人間を人質にとって逃げるとは、考えてなかったんですけど……」
というか、何も考えていなかった。
その結果がこの始末と言うことなのだろう。
俺は、隣に立ち、青ざめている幼女に言う。
「それじゃ、ことのあらましをお願いします」
遅すぎる現状説明に、流石に、ちょっとやばいかもしれないと思い始めていた。
どうやったのかは検討も付かないが、この場にいた全員が綺麗さっぱり眠りに落ちていた。
そして、俺と由利亜先輩が席を外したほんの数分、その時間の間に三好さんが誘拐されたらしかった。
ことのあらましというのは、それで全部で、それが全てだ。
他のことなど何も無い、無いのだ。
婚約者選びも、鷲崎正造との会食も、全部偽物で全部嘘。何もかも虚飾で、本当の物など何もないと言うのが、今回のこの現状だという。
「あの男の人の名前は……知らない………」
鷲崎正造を名乗る人物。
その男の正体。
それを俺は知らないし、由利亜先輩も知らない。
何がどうしてこうなっているのか、それも、分からない。
「なんであの、偽物と、結託したんですか?」
あの正造氏と、と言いかけて、呼び方を変える。区別が付きやすいように。
「結託なんてしてない!! 私はただ、お母さんが……守りたかっただけで……」
お母さん、と言う言葉に脳裏をよぎったのはさっきの光景だった。誰も知らない由利亜先輩の母親。あれは一体何だったのか、気になったが今はそれどころじゃない。
「全部です。全部話してください」
「で、でも……」
「三好さんまで巻き込んじゃったんですから、もう身内のこと心配してる場合じゃないんですよ」
お母さんが守りたかった、その言葉だけでこの人の今考えていることは大体予想が付く。だが、そんなことを考えていられる時間帯はとうに過ぎ去っている。無関係に輪をかけて無関係な、三好さんが連れ去られた。この現場の有様を見る限りにそうとしか思えない状況で、お母さんがどうのと、言っている場合ではない。
「……わかった………」
むー、と、少し拗ねたような表情の由利亜先輩は、それでもようやく話す気になってくれたようで、そう呟くと渋々と言った様子で語ってくれた。
「一昨日くらいにお母さんから電話があって、色々あって、私の結婚相手を何人か探したから会ってみてくれって言われたの」
…………………。
「それで、好きな人がいるからやだって言ったら、殺されるから、お願いだって」
「…………。……そのお母さんって言うのは、鷲崎美紀さんの方で合ってますか……?」
「うん。あってる」
確か由利亜先輩は、お母さんは男を作って蒸発したと言っていた。
そのお母さんから電話があって、急に結婚相手を見繕われた。そのうえ由利亜先輩が結婚しなかったらお母さんは殺されると言う。
なんだろう、俺の頭の中に、ダメな母親が悪い男に引っかかった図しか浮かばないのだが。
「新しく作った男が、お母さんがまだ離婚してないことを知って、色々あってそんな話になったんだって」
あ、俺の想像当たってるなこれ。
んー……。
どうしよう。
全然全くこれっぽっちも状況を整理できていない上に、偽物がどこに行ったのかの検討も付かない今、なぜ三好さんが誘拐されたのかも分からなくなった。
こんな場合にセオリーなんて無いけれど、それでも、誘拐犯には誘拐犯なりの思考があるはずなのに、その思考の糸口が全く見えないのは、俺がこの状況を少し甘く見ているからかも知れない。まだ、甘く見ているのかも。
「その、色々ってなんなんですか?」
「い、色々は色々だよ、色々あったの!」
嘘を吐くのが得意なこの人が、あえて嘘を言わず言葉を濁すと言うことは、はっきりと言いたくない理由があるのだろう。
言いたくないなら言い当てて自供させてやろう。
何が結婚しなければ殺される。
物騒な言葉だが、これは一種の身代金の要求とも取れる。
由利亜先輩結婚すると言うことは、鷲崎正造の後継者となれるかも知れないと言うことだ。もうすでに引退している身とはいえ、そう考える人間は少なくないだろう。
だから金に困らないだろうと考える。
男を囲う女、女に囲われる男。正直知り合いにいないのでなんと言うことも出来ないが、楽をしていきたいという考えの人間の、楽への飽くなき探究心の餌食となっているのが由利亜先輩なのだとすると、虫ずが走る。
ダメな男に捕まった母親が、自分の娘に対して思うことはなんだろう。
娘にはこんな大人になって欲しくない、とかだろうか。
だが由利亜先輩の母親は、そんなことを考えたとは思わせない様な現状を作り上げている。娘を売りだし、金を、ではなく、男を手に入れる。
それはまるで遊郭に娘を売り、金を手に入れる親のように。江戸時代かよ。
だがそう考えると変な部分がいくつかある。
まずあの八人。
この場で睡る八人の少年達は、無関係の男に呼び出されて、この場にいることになる。
そして、無関係の男がどうやってあの八人が結婚した後に金を接収するのか。
ああ、いや、今はそんなことより三好さんの身の安全が第一か。
「それで、由利亜先輩のお母さんは今どこにいるんですか?」
「…………」
やること、考えることが多すぎる。
考えなくても良いことまで考えなければいけない状況というのはなかなか笑えない。
「今日はやけに意地悪ですね」
「別に、そういうわけじゃないんだけど……」
自分の親の不祥事に、俺を巻き込んだことを後ろめたく思っているのか、それとも他に何かあるのか。
「太一くんなら……」
「俺なら?」
「即答で全部拒否してくれると思ってたのに……」
「………?」
「私のこと、守ってくれると思ってたのに」
「流石にその流れは理不尽では?」
突然こんな所に連れてこられて、何をさせられるかと思えば婚約者選び、おまけに友達を誘拐される始末。
この状況でそんなことを言われても、テンパっている俺に言えることなんてこんな物だ。
「もう知らない」
「え、いや、それは困るって言うか、三好さんが……」
「うっ……」
頭に血が上っているのか完全に忘れていた存在を思い出して息を呑む由利亜先輩。
「いったん落ち着いてください。俺は別に由利亜先輩に結婚して欲しいからあの八人に即答しなかったわけじゃないです。そんなこと、言わなくても分かってくれると思ってたんですけど、俺って案外信頼されてないんですかね」
「そ……そんなことない……信じてるって、前にも言った……」
「じゃあ、今回も信じてください。由利亜先輩が何も言わなくても、俺は由利亜先輩を絶対に不幸にしたりしません。由利亜先輩の幸せは、俺の望む物の一つなんですから」
なんか、くさいこと言っちゃったかな……これ、後で蒸し返されて死にたくなるやつ……?
俯いていた顔が上がり、若干の喜色が浮かぶ。笑顔は可愛い。間違いなく可愛いのに、なんだろう、この後絶対に俺の望まない展開が待ってそうで本当に怖いんだけれど。
「まあ、これで流石にあの人もあきらめてくれるか」
ぼそりと呟かれた一言は、多分俺には聞き取れないだろうと思ってのものだったはず。
「あの人って?」
だから聞き取った拍子に口をついてでてしまった。「ん? なんのこと?」当然嘘のうまいこの人はさらっとそう言う。
そして眈々と、俺の思考はたどり着く。
あ、これ、外堀が埋まっていく感覚だ。と。