120回 「初めまして」のない邂逅。
文化祭の校内準備を終えた俺は、由利亜先輩との待ち合わせ場所である校門までの道のりで、それはもう怖ろしい人だかりに遭遇した。
今日は普通科の生徒の合唱発表だったので、その保護者であるところの、親兄弟姉妹が見に来ているので、人が多いのは当たり前の事なのだけれど、それでもその人だかりはかなり異質で、相当異常に見えた。
全員が校門の方を見るとはなしにちらちらと見る、そんな感じの人だかり。騒がしくもなく、むしろ静かな位の、なんとも言いがたい変な人だかりだった。
「なにこれ」
隣に立つ三好さんに問いかけるが、一緒に歩いてきた彼女にこの状況を説明できるわけもなく、
「何だろうね?」
二人して首を傾げた。
昇降口で立ち止まるのも迷惑なので、取りあえずその人だかりの向こうを見ようと歩いて近付く。
昇降口の向こうに、一台の車が止まっているのが見えると、その車の外、歩道には俺の待ち合わせ相手が、車の車窓に向かって誰かと話していた。
「や、山野君、ユリア先輩が男の人と話してるよ」
「みたいだね、でも……」
どこからどうみても何かの勧誘と言うわけではなさそうだ。つまり。
見入って立ち止まっていた足を前に進め、三好さんにも声を掛ける。
「行こう、こんなところで野次馬やってても始まらないし、どうせ俺が用があるのはあの二人だ」
「う、うん。山野君あの男の人知ってるの?」
その質問に、俺は頷かない。
「多分ね」
そうとだけ答えると、人垣をかき分けて進み、笑顔で話す由利亜先輩に声を掛けた。
「お待たせしました」
目元だけが笑っていた男性が先に、俺の方に目を向ける。連動するように由利亜先輩がこちらを振り返り、先に声を発したのは眉間に深く皺のある男性だった。
「君が、一樹君の弟、だね?」
「そういうあなたは、鷲崎正造さん、ですね」
「娘が、本当に世話になっている」
「いえいえ、世話して貰ってるのは俺の方です」
これは事実。
「役に立っているなら結構。ただ居座っているだけなら迷惑ばかりではないかと心配していたんだ」
「そんな。むしろ俺が何もしなさすぎて家にいて良いのか不安になるくらいです」
「住まわせていただいてるんだから、家事くらいやらせてくれ、助かってるなら尚更な」
心なしか、雰囲気が柔らかくなった気がした。
て、よく見るとこの車外車だ。道理で車から降りないでも話せるわけだ。
「それで、内の娘はいつ頃君の嫁に行かせて貰える話になってるのかな?」
「へっ??!!」と衝撃の声を上げる女性陣二人を置き去りに、俺と正造氏は意識した少しの笑いを浮かべながら会話を弾ませる。
「そうですね、後十年は待って貰うことになってます」
「そうか、二十七、まあ、悪くないか。君ほどの人間に見初めて貰えるのなら、私としては文句はない。後は二人で、決めると良い」
「ですって、由利亜先輩」
「え…え……? ふぇえ…?!?!」
話を振ると、あわあわと、目で俺と正造氏を行ったり来たりさせる由利亜先輩。
三好さんは口をぱっくり開けて、驚きを隠す努力もしていない。
なかなかここまで残念な表情のこの二人を見ることは出来ない。今日は記念日だな。
「まあ冗談ですけどね」
そろそろ収集をつけようと、意識しておざなりに言う。
「結婚することになったらあのマンションは君にあげよう」
「ちょっと考える時間をください」
「私はマンション以下か」
「じゃなかった! だから冗談ですって!!」
反射的にあの高層マンションが脳裏をよぎり、とっさに本音が出てしまった。
「もういいもん、太一くんもお父さんも、私のことそんなに嫌い?」
ぽつぽつと、由利亜先輩の毒が漏れてくると、俺も正造氏も慌て始めた。冗談のつもりが大惨事だった。
「冗談だ! 由利亜、お父さんがそんなことするわけ無いだろ?」
「そ、そうですよ! 俺だって、マンションが欲しくて結婚なんてするわけ無いでしょ!!」
俺たちは一体学校の真ん前でなにをやってるんだろう。今更になってそんなことを思った。
「私のこと、大事?」
俯いたままの由利亜先輩からの質問。
これには二人して即答で、完璧にかぶって、
「「当たり前!!」」
と大声で叫んでいた。
「じゃあ、お詫びに、今日はどこかに夕食食べに行こ?」
「お、お詫び?」
そこで疑問符を打ってしまった俺に、由利亜先輩の鋭い眼差しが突き刺さる。
全力で目をそらし、何なら体も少しだけ逸らしながら、明後日の方角を見て「もっちろん夕食くらい安いもんですよ!!」とか、無理なことを言ってしまう。
「お父さんも行って良いのかい?」
行く、と言う話が成立すると、由利亜先輩は満面の笑みを浮かべ、父親からの質問に答える。
「もちろん! 太一くんともっとおしゃべりしたいんじゃないの?」
「それはまあ、一樹君の弟で、彼よりも優れた男と話すことが出来るのなら、私はとても嬉しいが、だが、当の彼は今その一樹君の仕事で忙殺されてるんじゃないのかな?」
こちらを見る二人に、俺は大仰に手を横に振って否定を示した。
「たいしたことはしてませんから、今日の分の仕事はディナーの後に回せば何の問題もありませんよ」 そんな風に嘘を吐き、まあ、この人には通用しないよなあと分かりつつも、心配そうに見つめてくる由利亜先輩に微笑む。
この間三好さんは俺たち三人をぐるぐると見回すことしかしていなかったし、表情から伺うに、多分正造氏のことも知らないのだろう。
「なにか食べたいものはあるかい?」
正造氏からの質問には、由利亜先輩が答えた。
「私はイタリアンが良いかな。お父さんは?」
「私は何でも良い。それよりも太一君の希望は?」
「俺も、なんでも。由利亜先輩へのお詫びですから、由利亜先輩の食べたいもので良いですよ」
正造氏はスマホを取り出すと手早く操作し、画面を由利亜先輩に向ける。
「ここで良い?」
由利亜先輩の表情がぱあっと明るくなる。
「うん! そこが良い!!」
「じゃあ、ここで予約しておこう。一度家に帰るんだろう? 時間になったら迎えに行くよ。ところで、そこの子も来るかい?」
ここでようやく正造氏が三好さんに目を向けた。まあ放置していたのは俺なのだが。
「え、あ、え、と……」
「三好さん、今日の夜用事ある?」
「いや、無いけど」
「じゃあ決まりだ」
「……え、え?」
「四人分予約しておこう。ではまた後でな。由利亜、歌は相変わらずだな」
慌てふためく三好さんを、悪戯がうまくいった子どものような目で見る正造氏がそう言い残すと、窓を閉め、車は走り去っていった。
買いためた食材は、少しばかり多かったかもしれない。