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本物の天才の兄であるということ。



 大学在学中、山野一樹は知った。

 自分の弟が、天才であることを。

 そして、今までもてはやされていた自分の天才性など、くずかご一杯に積み上げられたゴミと同じような、それほどまでに凡庸な物であることを。

 それまで、彼の弟である太一が何かを為すことがあっても、取り立てて偉業だったことはなかった。

 何しろ彼には基本的に野心がなかったし、熱心に追い求める何某なにがしかもなかった。

 だから才能など発揮しようがなかったし、それ以上に、何かをすれば流石俺の弟だ、位にしか思うことがなかった。

 だが、山野一樹は、「本物の天才」の兄は見た。

 自分の弟が所属する野球チームが、自分の弟の力だけで勝ち上がり、自分の弟の力だけで全国大会準優勝の地位に昇る瞬間を。

 キャッチャーの捕球出来る限界の速度で、バッターの打てない精密なコントロールで投球する弟の姿を。

 準優勝。太一の体が彼の才能に追いつかなかった結果、肩を痛めた。監督と呼ぶにはあまりにも野球を知らな過ぎるチームの指揮官は、それでも太一がどれほど凄いのかを理解し、それ以上の投球を是としなかった。

 その結果、全国大会決勝、山野太一のチームはコールド負けを喫し、チームは準優勝となった。

 彼の弟は、確かに野球というスポーツにそれなりに打ち込んでいた。だが、大会で優勝したいとか、そんな目標を持ってスポーツをやっているとは一言も聞いていなかった。それどころか、その日の練習が休みになって、チームメイトと遊びに行くときの方が太一は楽しそうにしていた。

 それで、全国二位。

 片鱗は、見ていたような気がしていた。

 幾度となく、目をそらしてきた。

 太一が中学に上がると、一樹は太一にどう接して良いのか分からなくなった。

 中学入学前に、両親は面白半分に彼に一つの試験を設けた。一樹も同じ時期に受験することになった学力試験。

 WAE (world academic abirity of examination) 世界一斉学力試験と呼ばれる、全一六〇カ国で行われる世界規模の学力試験で、受験者数は一億を優に超える。

 一樹が受験したとき、彼は中でも天才と呼ばれる百位以内、七二位という好成績をたたき出し、テレビに特集されるほどだった。

 それを、彼の弟は、その天才の記録を、いともあっさりと塗り替えた。

 日本人史上初。一桁台の順位獲得。

 上位との点数差、僅かに二点。

 世界三位。

 それが、優劣のつけようもない天才が無学のままに得た順位。

「問題文が英語だなんて、聞いてなかったんだけど」

 試験終了時、太一は両親にそう言った。

 どれほど難しい試験なのか、彼に向かって両親は散々説明していた。その度に煩わしそうに苦笑いして遊びに出かける息子に、両親は「ああ、これは酷い点数を取る」そう思っていた。

 結果が分かり、彼の母は理解した。息子の苦笑いの理由を。

 必要なかったのだ、学習など。

 勉強などする必要が無いから、しろという人間の気持ちが分からない。

 している人間の気持ちなど分からない。そのための苦笑い。

 もちろん最初は結果を疑った。

 だが、何度問い合わせても変わらなかった。

 天才と呼ばれる兄は、これで悟ったのだ。

 自分が、弟の出がらしであることを。

 山野一樹は努力して現在の地位を確立した。

 天才と呼ばれ、必要とされ、それを彼自身も快い物に感じていた。

 努力というファクターにおいてのみ、彼は彼の弟よりも天才と呼べた。だが、それ以外の分野で彼が弟に敵うところなど一つたりとも存在しなかった。

 そして山野一樹は大学二年の春、表舞台から姿を消した。

 大学での勉学に励み、その努力でもって英知を得、人の力を超える存在を知ることになる。



 法・文・社・経・教・数・理・工・農・医・薬。主要な全ての学部を網羅するため、天才と呼ばれた男は、努力を惜しまなかった。もてる学力、人脈を全て投じ、最高学府の大学に、最安値で通った。

 中でも、彼が最も熱心に打ち込んだのは、歴史的学問の分野だった。

 と言っても、歴史的学問の中にも様々な分野があり、彼が興味を示したのは考古学。

 その分野においても稀少と言える、神的遺物、聖遺物、などの発掘をメインに行う、『神発掘』と俗称される分野だ。

 その分野に拘泥したことに、一樹自身自らに、「この学問が面白いからだ」と言い聞かせているが、その実、弟への畏れをどこか別の方向に向けられないかと考えていたことは、否定のしようも無かった。

 もともとは学問の一環、物語や昔話、と同等程度にしか考えていなかった神や仏、天使や精霊と言った存在しない存在に、一樹は傾倒していく。

 それは、存在したかもしれない存在を、現在の科学という視点で見つめ直すと言う学問からは離れ始め、結果、彼自身、神を生み出すことになる。

 生み出す、というのは言葉違いだ。

 この場合、山野一樹がしたことを表すならば、

「神に見初められた」

 と言うのが一番正しく、相応と言える。

 神にまつわる物を探し、学問研究に没頭していた一樹が出会ったのは、人の身では決して見ることの出来ない尊き存在。

 汚れ無き、謂われ無き、無垢なる非存在。

 女神・メウルーリカ。

 嫉妬と芸能、加えて商売を司る神であり、全ての神から疎まれ、恐れられる神。

 その神に、その嫉妬の神に、一樹は見初められたのだ。人後に落ちない才能を持ちながら、それ以上を望む、その強欲さが気に入った。

 誰よりも罪深き其方に、私は少しの力を貸そう────と。

 こうして山野一樹は大学を卒業する。

 誰も見たことのない功績を残し。

 世界に名だたる業績を残してきた才人達が、力なく頽れ、研究から離れていくのを横目に彼は学問の世界から、姿を消した。



 * * * 



「唯さん、俺はもう長くないんだってさ」

 診察から戻った一樹が、ベッドの上で目を瞑ったままの斉藤唯に声をそう呟きかけた。

「体の中身が全部ボロボロで、手の施しようもないって言われちゃったよ」

 はははと力なく笑う表情は暗い。

「でも、あの杉田さんにそんな風に言われちゃったら、もうなんとかして生きられないかとか、考える気にもならないんだよな」

 自分に余命宣告をした人物の顔を思い出し、そんな風に零す一樹に、答える人間はいない。

 杉田玄黒━━現在存在する外科医において、五指に入る男である。

 そんな人物から、もう生きられないと言われれば、それはもう事実上の死を意味していた。

 だが、彼はこうも言っていたのだ。

『今の時点で動けているのが異常なのね。もしかしたら、君の弟、太一くんなら他の四人同様にもしかしたら、あるいわ……ね…』

 苦々しい顔をした杉田の内心は、医者の不甲斐なさを痛感していた。

 世間的に見れば一般男子高校生。そんな少年に頼れば、もしかしたら助かるかもしれない。そんな助言をしてしまっている自分に、ひどく絶望していた。

 それがどれほど無責任な言葉なのかを理解しながらも、それでも、もしかしたらと、神にでもすがるような気持ち殻出た言葉。

「太一…やっぱり、あいつか……」

 一樹は、弟の力を疑っていない。

 それでも、自分以外の人間が彼を認めたのはこれが初めてだった。

 だから少し戸惑い、それでもやはりと確信している。

「助けてくれっていったら、助けてくれんのかな……」

 ベッドに腰を下ろし、うつむいたまま手で額を押さえる。すがるものが何もないのはいつものことだ。そういう世界に自ら飛び込んだ。それでも、今回ばかりは一樹にはどうすることも出来ない。打つ手がない。

 神に行き会い、見初められ、それを受け入れてしまった彼には、もはやマタシカル子としての力はない。

「…ん……っ……? …せん…せい……?」

 声を発したのは、斉藤唯。

 眠りに落ちてから一週間あまりが経ち、初めて目を覚ました。

「唯さん? 聞こえる?」

 驚きを隠せない一樹は、ぼろぼろといわれた体を動かし跳ねるように立つと、唯の枕元に駆け寄り声を掛ける。

「…き…こえて、ますよ…。そんな、ことより…仕事は…」

 息苦しそうに話す唯の言葉は、癖丸出しの内容だった。

「仕事のことなんて今はいいから……。そんなことより、今先生呼んでくるから、ちょっと待っててね」

 けだるそうに首をかしげると、自らの口元を覆うプラスチックのマスクに手が届く。ようやく自分のおかれた状況を悟ったのだろう、小さくコクリと頷くと、小さく呟いた。

「おねがい、します…」

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