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二人きり。何も起きない月夜。


 そんなこんなしているが、俺は別に、弓削さんの家に来て、弓削さんの妹さん達とお菓子作りを楽しむために来たのではない。

 目的は勿論資料漁りなので、三十個のカップに生地を移し終えると台所を辞して、本殿へと来ていた。

 本殿の、飾りの裏。そこにある資料室。

 博物館の蔵書と大差ないほどの古さと、博物館には絶対にないきちんとした資料。官軍のものではなく、歴史の語り部としての古文書。

 まあ、それでも、神社の物であることからも察せられるとおり、当時の疫病や飢饉などの記述が多く、政治などのことは大雑把にしか載っていない。今手に持っている物にも、鎌倉幕府の将軍の名前は載っていたが、それも何故か見たことのない名前だったりして、これが正しいのか、歴史の教科書が正しいのか判断は難しい。多分こちらを信じて良いのだと思うけれど、そうすると教科書の方は何故その名前で書かれているのかが気になってくる。いや、そんなことしてる場合じゃないのは分かっている。

「くあ…はぁあ」

 同じ態勢の取り過ぎで固まってしまった体を伸ばし、だらんと脱力すると、一気に疲れが体を駆けた。

 なんとなく肩が重い。

 目に疲れが溜まっているのか瞼が厚く感じる。

 肩を回し、首を回してこりをほぐしていくと、コキコキといつもはならない間接の音が鳴った。

「うわ、もうこんな時間か」

 時計を見れば七時間近。ここに入って二時間が経とうとしているところだったのだ。そりゃあ体も固まるわな。

 納得いって、ストレッチの要領で全身を伸ばすと、そこら中が音を上げた。

「いったぁっっ!!!!」



「山野君いる?」

 入り口の方から声がして振り向くと、お盆を持った弓削さんがそこに立っていた。

「凄い声がしたけど大丈夫?」

 入り口に立ったまま心配そうに聞いてくる。

 この資料室には、食べ物を持ち込んではいけないのだと、以前弓削さん自身が言っていたのでその所為だろう。

「ああ、うん、気にしないで、ちょっと自分を痛めつけてただけだから」

「……頭、大丈夫?」

「どう言う意味?」

 めっちゃ失礼なこと言われた気がするんだけど?

「そろそろ休憩にする頃かなあと思って来たんだけど」

 話題を切り換えるべく、持っていたお盆を少し持ち上げ首を傾げる弓削さん。

 そんな可愛い仕草をしても、誤魔化されないぞ?

 さっきの君の台詞は本当に失礼だったぞ?

「そろそろ帰ろうかと思ってた所だけど」

「じゃあお茶だけ飲んでってよ。今日は家の人がいないって言ってたじゃん」

「いや、まあ確かに家に人はいないけど、別に親とかじゃないからね?」

「へ? じゃあ誰と一緒に住んでるの?」

 ……あれ?

 …………墓穴ったか?

 時が止まり、空気が少し冷たくなったのを肌で感じながら、空々しく目を逸らし、大きく息をすると、すべてを切り捨てるように言った。

「じゃ、行こっか!」

 出しっ放しだった古文書をあった場所に仕舞い、電気を消した。


 弓道場。

 以前、俺が布団で寝ていたそこで、月明かりの下、弓削さんと二人お茶を飲んでいる。蒸しパンは三つほど余ったらしく、お茶菓子にそれをつまみながらだ。

 ついさっきまで使われていたストーブを再度点け暖を取る。古いストーブ特有の燃料のにおいが鼻腔をくすぐる。いや、まあ、あんまりいい匂いではない。

 そんなことを思っていると、風がそのにおいをさらっていく。空を見上げると、半月より少し大きな月が見降ろしていた。

「月、きれいだね」

 何か話題を、と思って発した言葉だったのだが、どうやらどこかで聞いたことのある言葉とかぶっていたようで。

「ぷ、プロポーズ…?」

 お茶を噴き出して驚く弓削さんに、「いやいや」と否定する。

「月見て出る言葉なんてそんなもんでしょ」

「普通この状況でわかっててそういうこと言わないでしょ」

 まあ、言った時にはわかっていなかったのでノーカウントで。

 少し、気まずくなったのでお茶をすすり言葉を濁す。

「まあ、ね」

「絶対里奈ちゃんに言いつける」

「それ、言いつけてどうなるの?」

「山野君が里奈ちゃんににらまれる」

「で、弓削さんが三好さんに嫉妬されるの?」

「…あ」

 そっかぁ…とうなだれる弓削さん。俺は満足して蒸しパンを少しちぎって口に放りこむ。ユウちゃんはどうやら本当にお菓子作りがうまいようで、この蒸しパンも、あんなに雑に作っていたのにめちゃくちゃおいしい。

 うちのロリコックと、どちらがお菓子作りがうまいのか、少し気になる。そういえば、由利亜先輩にはお菓子とか作ってもらったことないな。

「ところで山野君さ」

 まったく関係ないことを考えていた思考を、名前を呼ばれて停止させ、「なんでしょう?」と応える。

 弓削さんの表情はさっきまでとは変わっていて、だからこそ、何を聞かれるかは簡単に想像できた。そもそも、弓削さんにお茶に誘われた時点で聞かれるだろうことはわかっていた。

 だから、弓削さんが聞いてくる前に答えた。

「弓削さんのお母さんは、起きるよ。大丈夫」

 真剣な眼差しが揺れるのが見えた。目の錯覚か、月の光の加減か。

 そんな瞳と目が合って、二人とも、向けあっていた体をおずおずと外へ向ける。

 光が照らし出す彼女の横顔を、俺は見ることができない。

 今はただ、弓削さんの心が落ち着くまで待つことしかできない。

 時間が解決してくれるのか、誰かがいやしてくれるのかはわからないけれど、それでも、俺はこの女の子に言わなければならないことが山のようにあるのだから。

 そう。

 謝罪と、お願いと、それから……。




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