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天才と一般人は紙一重。


 待ち人が来ない。

 一時間待ったがどうもくる気配がないので、昼飯時になる前に学校から引き揚げた。

 その足で病院に行こうかと思ったが、さすがに制服姿で平日の昼間にうろつくわけにもいかないだろうと思い、いったん帰宅。

「めしじゃめしじゃ~」

 十二時五分前と考えれば昼飯の準備は妥当といえる。

 めっしじゃめっしじゃと呟きながら、冷蔵庫を開け中から一食分が盛られたタッパーを取り出しレンジへ入れる。

 ぶーんと唸る音を聞き、お茶と箸を用意すると出来上がりの報せ。

 いったん冷蔵して、レンチンしてもまだうまい由利亜先輩のご飯。

 栄養バランスまで考えられているだろう弁当風な料理をパクパク口に運び、最後の一口を終えるとお茶をすする。ふはーと息を吐き、背もたれに体を預ける。

 さて、と。

 これからの予定は、病院で先輩と兄、それと斉藤さんの経過観察だ。

 斉藤さんに関していえば、精神的な部分が大きいようなのでそれはもう本人と医師に任せるしかないのだが、兄に関していえば、弓削さんに堕りた神が言っていた、「身に宿した」云々とかのがあいつなら、もう正直助ける義理もない。

 本当に一片死んで生まれ返ってみればいいんじゃなかろうか。

 三人の経過観察みたいに言ったが、だからまあ、俺が気にかけているのは先輩一人ということになる。

 病院に行って、先輩とおしゃべりし、そのあと弓削さんの家で資料をあさる。今の時点でわかっていることだけでは不十分なところが多いからという理由での、つまりは、確証を得るためだけの調べものなので、それが終われば後はそれが俺にできることか、ほかの人ができることかで方向性が決まる。

 とにもかくにも確証と確信、俺が得たいのはその二つなのだ。

 それと、あの男。

 あいつには報酬を払うという役割がいまだ残っている。だから死なれるのは困るので、あいつを起こす方法も一応探さなければ。

 今日やることは三つ。

 先輩と談笑。

 弓削さんのお母さんを起こす方法を見つける。

 ついでに兄貴に報酬を支払わせる。

 十二時半の時点での予定とは思えない多忙なスケジューリングだが、二つ目は大体片付いているといってもいいし、三つ目は指と爪の間につまようじでも刺せばどうにかなるだろう。

 それで終了すればいい。完璧なスケジューリングといえる。

 大体の予定が頭でまとまると、俺は椅子から立ち上がった。




 病院に到着すると、「ね」先生こと杉田玄黒医師に捕まった。

 案内されたのは医師が休憩に使っているらしい大きめの給湯室。ガラス天板のローテーブルをはさんで三人掛けのソファに腰掛け向かい合うと、いつも杉田先生の近くにいるナースがお茶を出してくれた。それに「ありがとう」と杉田先生が応じるのにならって、「どうもです」と口をつけると、そのナース(今は看護師というべきなのか)は部屋から出て行った。

 見送ってから、杉田先生は「んっんん」とのどを鳴らして話し始めた。

「今日は長谷川さんのお見舞いかね?」

 前置きに先輩の話を選ぶところを見ると、本題は先輩ではなく、兄の方のようだ。

「はい。昨日の時点で決着はつけられたと思ってるんですが、それが勘違いということも可能性としては捨てきれないので。それに、どうやって先輩を元に戻したのか、とか、いろいろ話しておかなければいけないことはあるので。嘘を言うにしても、真実を言うにしても、いや、真実は言えないんですが、それでも、まあ説明はしないとと」

「そうだね。医師という立場の私も、説明することは多々あるけれど、昨日のように説明される側になるのは学会くらいのものだね」

 まさか高校生に説明される日が来るとは、そんな風に五十代も終わりを迎える医師は笑う。この人のように、笑って受け入れるくらいの柔軟性がある人は、こうしてわけのわからない病気にまで関わらせられるのか。なぜ、できる医者が世の中には少ないのかという疑問が解消された気がした。

 杉田先生は持っていた湯呑をローテーブルに置くと、指を絡めるように手を組み視線を落とす。

 本題に入る。そう察した。

「今眠っている君のお兄さん。一樹君も、君が何とかするのかね?」

 何とかする。

 おかしな言葉だと、他人の口から言われることでようやく気付いた自分がいた。

 何の能力もない、天才の弟という立場なだけの俺が、医者を差し置き病人を治すという。

 明らかに異常だった。

 考えてみれば、眠り続ける人間を起こすという依頼も、同様に眠り続ける人間がさらに六人いると教えられた時も、先輩が倒れて、それを救わなければと息巻いた時も、今も、どう考えても俺がでしゃばるような状況ではない。

 一般人で、平凡で、ありきたりな俺が、兄の頼みだから、弓削さんの頼みだから、誰かの頼みだからと出てくるような場所ではない。

 そこまで思考が言って、しかし、俺の口からは、

「まあ、そうですね。兄の不始末を片付けるのは弟の役目ですから」

 そんな、心にもない馬鹿げた言葉が当然のように発せられていた。

「弟の役目、かね」

 重たい声音のその問いに、俺は何も返すことができなかった。

 口から出てしまった言葉は取り消せない。そこに加えてなお何か言ってしまうことをためらった。

 それに、自分の考えかたの傲慢さに、驚いたというのは確実だろう。

「君は、そこまでの力を持っていて、それでもなお、人よりも劣ると、そう考えているような目をしている。それはなぜだい?」

 重ねられたその質問。答えあぐねるような問いではなかった。

「力なんてないから、劣っているという事実を受け入れてるんです。だからこういう目になるんですよ」

 はっきりと、怪訝な表情を作る杉田先生に、居心地の悪さを感じ始める。

「昨日の君の行いは、はっきり言って博士号ものだ。それを蹴り飛ばすようにしてなお、君は力を持っていないと?」

「あれはただの知識の流用ですから。本を読めば誰にでもできることです。誰にでもできることだから、そもそも力なんて恥ずかしくて言えませんよ」

 杉田先生は、俺の言葉を受けてさらに何かを言いかけて、やめる。

 組んだままの手を強く握り、額にゴツゴツとぶつけるようにして、何かを考えている。多分、考えている。

 思考するとき、考えが深い人ほど特徴的な行動をとる。棋士などがいい例だが、この人のこれは、少々おっかない。

「知識をため、理解し、応用する。それが簡単にできれば誰も苦労はしない。君は、その苦労を、それを……」

 勉強に関して、俺は苦労したことがない。

 問題文を読んで、式を見て、図を描いて、文章を読み解いて、それで答えは出るものだと、そう思って生きてきた。

 学校の授業は、教科書を読むだけの場で、学校のテストは、記憶力を試す場で。

 一度覚えたことを、忘れたことは一度もない。覚えようとしないと覚えられないのが難点だが、それでも、小学生の時には高校に通う兄の教科書を暗記していたので、最近の勉強も少しばかり内容が変わっているから読み直しているが、困ったことはない。まあ、高校一年の二学期だ、たいしたことはしていないというものあるのだろうが。

 ぶつぶつと何やらいう杉田先生に、「あの…」と、心配になり声をかける。

 と、いきなり。

「はっはっはっはははは!!!」

 高らかに笑い始めた。盛大に。病院なのに。俺が「えっ…?」「何なの?」と戸惑っている間、剣幕に笑い続け、二三分後にようやく鎮まると、「いやあ、すまんねすまんね」とにこやかに弁解する。

「君の話は君のお兄さんから散々聞いていたんだね。ありとあらゆる学会で成果発表をする彼が、時折聞かれる質問があってね、それが『今までに尊敬した人は』というものだったんだね。そのとき、彼は決まって君の名前を挙げていたんだね。俺平凡な俺があいつの兄貴だって認めてもらうために励んでいると、そういっていたね」

「……は?」

 俺の盛大にポカンとした顔を見て、さらに笑いを足す杉田先生。

 いやいや、ちょっと待て。俺と兄貴の関係は、そんな感動的な兄弟像を彷彿とさせるようなものではない。明らかに、悪な兄に、明らかに一般人な俺が鉄槌を下す、そういう類の関係のはずだ。

 なんであの兄はそんな風にでっち上げた?

 杉田先生は笑いを納め、さらに続ける。

「まあ、その時はそんな話誰も信じやしなかったけれど、今、私はその話を信じる気になったよ」

「……は?」

 わけがわからん。

 何がどうしたら今の会話から、俺が兄より優れているなんて話を信じるための結論を見つけることができるんだ。

 俺はあんな人外さんと同じにしないでもらいたい。

 俺は、圧倒的な一般人だろ……。





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