寂しさ、感じろ。
心を込めた、三日分の料理。
私の気持ちが太一くんに届くのはこれくらい。
あえて言わずに出発するのは少しの意趣返し。
ちょっとくらい、動揺してくれるだろうか。電話番号は知っている彼が、私に電話をかけてくることはあるだろうか?
十月四日金曜日。
二度寝を決め込んで目覚めたのは八時少し前だった。
ダイニングに出ると当然由利亜先輩の姿はなく、当たり前のように朝食が用意されていた。
いつもいつも、自分の分のついでだとか言いながら凝ったものを作ってくれる心優しき天使に感謝しつつ、椅子に座ると、俺のいつも座る席の目の前に一枚のメモ用紙が据えてあった。
由利亜先輩からの伝言だろうと思い、手に取ってみる。
『三日分の料理が冷蔵庫と冷凍庫に入っています。冷蔵庫のものから順に食べていってください。元気でね ユリア』
「……」
ん?
数度読み返し、また読み返しても、意味が理解できなかった。
出て行った? 由利亜先輩がこの家を? パッと見で受け取れる情報はそんなところではないだろうか?
ありうるのか? 親に公認されて来ている家出先だぞ? なんでそんなことになった?
最近の由利亜先輩はどうだった? 特に変わったところはなかったはずだ、じゃあ、なぜ? 昨日の夜に俺が何かやらかしたか?
いや、昨日の夜何かをやらかして出て行ったなら、三日分の料理は意味が分からない。そんなに突発的なものなら三日分も料理を作らないだろうし、そもそも量が量だけに作る時間もなかったはずだ。
「…なんだ、これ……」
今は金曜の朝。
昨日、俺はいいことをしたはずだ。
なのに、いつも通りに問題がこうしてまた一つ増えた。
なんなんだろうなあ、この感じ。
絶対に何がしかの悪意が働いてるとしか思えない。
「あいつか…?」
いまだに病院のベッドで寝ているであろう男を思い浮かべ、即座にこの考えを否定する。
由利亜先輩との接点はあるが、あの男と接触して、由利亜先輩が俺に何も言わないということはない気がする。
深読みのしすぎだろうか、由利亜先輩は、何か簡単な用事で三日ほどいなくなるから、だから三日分だけ料理を作った。
んー……。
…これな気がしてきたぞ。
よし、その用事が何かはわからんが、とにかく三日後だ。三日後になっても由利亜先輩が帰ってこなかったらその時にはまた考えるとしよう。
一通り考えをまとめ、混乱を無理矢理ねじ伏せると紙を置き、料理を温めるために席を立った。
電子レンジの作動音を聞きながら、そういえば朝方起きたときずいぶんと楽しそうだったなあと、そんなことを思い出していた。
朝ご飯を済ませて制服に着替えると、俺は病院ではなく学校へと足を向けていた。
十月に入った今でも、日差しが当たる日中はそれなりに暖かい。だからと言って、防寒をしないと夕方からの寒さに震えることになるから、制服の上から一枚羽織っている。予想通り若干暑いのだが。
学校まで続く坂道を上る途中、暑くて脱いだくらい暑い。
今日は特別暖かい日かもしれない。
台風で氾濫していた川はすっかり元のうっすらとした水かさを取り戻し、ちょろちょろと流れる川になり、そこら中に散乱していた折れた木やごみなんかも掃除されてきれいになっていた。
学校祭の準備で忙しいと言っていたが、多分これらは由利亜先輩や三好さんの指導の下で行われたのだろう。
うちの学校は自主性を重んじるばっかりに、教師側からの命令的な活動はほとんど行われない。生徒からの申し出を、教師が実現できるように動く。そういう学校なのだ。
そして、この学校には優秀な人材が一二年にはいる。三年は受験で目が回っているのだろう。一応の進学校だからか、受験生への圧力は他の比ではないと聞いたことがある。誰って、教師陣から。
来年は由利亜先輩も受験生だ。先輩は正直まだ入院が必要だろうから、来年か、それとも俺と同時に受験生になることもありうる。
そう考えてみると、来年も由利亜先輩に朝晩ご飯を作ってもらうというのはいかがなものだろう? 受験生に、ご飯を作ってもらう。ふつう逆じゃないか?
でもなあ…俺の料理を由利亜先輩に食べさせるわけにもいかないしなあ……。
校門を過ぎ、昇降口で靴を履き替えると学食へと向かう。
時刻は十時まであと五分のころ。
調理場の方からがやがやとしたか微かな声を聞き流し、端の方の席に腰掛ける。
「はあ」
思えば久しぶりに学校に来た気がする。
投稿免除なんて言う公立の学校にはあるまじき制度を設けてくれた校長には感謝だ。おかげで出席日数を気にせず先輩のことに集中できた。
これで次は弓削さんのお母さんたち、確か、
【水守・横川・日影・戸個盧・千軒・後白】の六つの神社の宮司。
囚われの巫女。いや、だから宮司、神主というべきか。祭事まで取り仕切り、ことによっては自らも舞や祈祷を行うその神社の最高責任者たち。
眠れる神女。
その眠りを覚ますのが、弓削さんからのお願い、依頼だった。
当然、友達の好だ、助けてあげたいのやまやまなのだが、先輩の時のようなごり押しは無理だろうことを思うと、ヒントを求めてさまよってしまう。
結果、来ないと言っていたはずの学校に来て、こうして人を待っている。
もちろん、先輩の状態だって今のまま安定するという保証はないのだが、それでも、今俺にできるのはあれが限界だ。これ以上できることがないのならほかのことをしなければならない。今の俺にはやらなければいけないことがたんまりあるのだ。どっかの誰かのせいで。
なので、とりあえずは会話だ。必要なのは情報なのだ。
とはいえ別段これが絶対に必要なものだということはない。ただの情報収集なら人伝えに聞く情報よりも、弓削さん家の書庫にこもって本を読みふけっている方がの方が明らかに手ごろだし確実だし簡単だ。
だからまあ、これは、罪滅ぼしをさせてやろうという俺からの気遣いのようなものだ。
連絡は昨日のうちにとってある。
約束の時間。その人物は、まあ、結論から言えば、現れなかった。
これは俺が完全に悪いのだが、今日、この日から三日間、由利亜先輩たち二年生は二泊三日の修学旅行に出発していたのだ。
俺の待ち人であった由井幹治生徒会長も同様に。
いくら先輩のことで一杯一杯だったからと言って、いくら何でもあの優しくてかわいらしい先輩のことをないがしろにしすぎていたということは、このことからもよくわかる。
そして、俺がそのことを知るのは、由利亜先輩から京都土産を貰って土産話が始まる直前のことだった。
つまり、三日後だ。
※山野太一の記憶力はとても残念です。