第20話:ちゅーした? けっこんするの?
数日後、お昼寝前の自由遊びの時間。
以前のように、アレクシス様が頻繁に保育園に来ることはなくなった。
久しぶりに現れた副園長のアレクシス様は、さっそく園庭の隅で、おとぎ話が大好きな女の子たちにぐるりと取り囲まれていた。
「ねぇねぇ、アレクせんせいは、リリアーナせんせいのことが、だいすきなの?」
「おうじさまが、リリアーナせんせいを、おむかえにきたの?」
「はくばにのってきたの?」
キラキラとした純粋な瞳で質問攻めにされ、アレクシス様は顔を耳まで真っ赤にしてタジタジになっていた。
「あー……その、なんだ。大好きというか、お迎えにきたというか……その通りなんだが……」
「ちゅーした? けっこんするの?」
「なっ!? お前ら、どこでそんな言葉を……っ!」
完全にませた女の子たちのペースに呑み込まれた第七王子は、しどろもどろになりながら、助けを求めるようにこちらをバッと振り向いた。
「ちょっと! リリアーナ、助けてくれ……っ!」
情けない声を上げる彼を見て、耐えきれなくなった私はお腹を抱えて笑ってしまった。
「あははっ。相変わらず、アレク副園長はリリアーナ先生のことが大好きねぇ」
隣で様子を見守っていたベテランのマルタ先生と園長先生が、面白そうにニヤニヤと笑っている。
「えっ? 相変わらず、ですか?」
「まさか本物の王子様だったなんて驚いたけれど……リリアーナ先生のことが好きだってことだけは、初日からバレバレだったわよねぇ」
「ええ、本当に。目で追うどころか、リリアーナ先生が困ってたら誰よりも早く飛んでいくし、他の男の先生が話しかけたら凄い顔で睨んでたしね」
先生たちの言葉に、私は顔から火が出そうになった。
正体を隠して完璧な助手を演じていたつもりだったのは彼だけで、職場ではずっと前から「アレク先生のわかりやすすぎる愛」は公然の秘密だったらしい。
その後も、大人気ない俺様王子と五歳児レオくんによる、私を巡る熾烈な戦いは園のあちこちで繰り広げられた。
「おいレオ! お前またリリアーナの膝の上に座りやがって!」
「リリアーナ先生は僕と仲良しだもんねー!」
という不毛な言い争いが、もはや園の日常風景になりつつある。
しかし、アレクシス様はただ「大人気ない王子」になったわけではなかった。
副園長に就任してすぐ、彼は驚くべきスピードで園の改革を実行したのだ。
まず、私たち保育士の給料が一律で大幅にアップした。
「保育士は、子どもたちの命を預かる激務だ。俺自身が下働きとして経験して、よく分かっている。その責任の重さと労働に比べれば、これでもまだ足りないくらいだ」
そして何より一番大きな変化は、「園内における子どもたちの身分制度の撤廃」だった。
「この王立保育園の敷地内にいる間は、公爵家であろうと騎士爵家であろうと、身分や家柄を笠に着ることを一切禁ずる。ここでは全員がただの『子ども』であり、対等な『友達』だ」
厳しい階級社会であるこの国において、それはあまりにも異端なルールだ。反発する貴族もいるかもしれない。けれど、アレクシス様は「次世代を担う子どもたちだからこそ、絶対に必要なことだ」と力強く語った。
「爵位という鎧を脱ぎ捨てて、一人の人間として他者と真っ直ぐに向き合い、誰にでも優しくできる心を育むこと。……その幼い頃の経験が、他者を思いやる想像力となり、将来彼らが上に立ってこの国を導く時の、最も強固な基盤になるはずだ」
その方針は、私がずっと大切にしてきた教育理念そのものだった。身分という枠組みにとらわれず、子どもたちが互いの良さを認め合い、純粋な心で成長していく姿は、間違いなくこの国の明るい未来に繋がっていく。
会議の場でそう宣言した彼の顔は、真剣な『上に立つ者』の顔だった。現場の苦労を誰よりも知っている彼だからこその待遇改善に、先生たちは涙ぐんで喜んだ。
さらに園庭には、ピカピカの真新しい滑り台とブランコが設置された。
「みんなに嘘をついていたことに対する、俺からのお詫びの品だ。もちろん、俺個人のポケットマネーから出している。仲良く遊んでくれ」
彼が子どもたちにそう伝えると、「「「わーーーい!! あれくせんせい、ありがとう!!」」」と、割れんばかりの歓声が上がったのだった。
* * *
そして、騒がしい午前中が終わり、子どもたちがすやすやと眠るお昼寝の時間。
私は午後の工作で使う色画用紙を取りに、薄暗い倉庫へと入った。
棚から画用紙を取り出そうとした、その時。
背後でガチャリ、と扉が閉まる音がした。
(……え?)
振り返ると、いつの間にか倉庫に入ってきていたアレクシス様が、扉を背にして立っていた。彼と会うのはあのホールでの謝罪会見の日以来、数日ぶりだ。
「ア、アレクシス様!? どうしてここに……」
「ん? 備品の確認だ。……それと、さっき俺を見捨てて笑っていた薄情な『リリアーナ先生』に、少々文句を言いに来た」
口角を上げて艶やかに笑うと、彼はゆっくりと私の方へ歩み寄ってきた。
狭い倉庫の中、逃げ場のない距離まで詰め寄られ、私は慌てて視線を泳がせた。
「そ、そうですね! じゃあ私は画用紙を取ったので、これで……っ」
「待てよ、リリアーナ先生」
すり抜けようとした私の腕が掴まれ、そのまま棚と彼の間――いわゆる『壁ドン』の体勢に閉じ込められてしまった。
「ひゃっ……!」
「ほら、目を逸らしちゃダメだろ? 『お話を聞く時は相手の目を見る』って、毎日教えてるじゃないか。……なぁ、リリアーナせ・ん・せ・い?」
(後輩だった時から、『先生』なんてあんまり呼んでなかったくせに!)
耳元で意地悪く『先生』と強調され、ビクッと肩が跳ねる。
恐る恐る見上げると、薄暗がりの中でサファイア瞳が、獲物を狙うように、そして先ほどの仕返しとばかりに熱く細められていた。
「で、でも、ここは園内で……子どもたちがすぐ外で寝ていて……っ」
「お前、子どもには『お友達と仲良く』なんて言うくせに、俺にはずいぶんガードが堅いじゃないか。さっきも、俺が女の子たちに囲まれて困っていたのに、リリアーナ先生は助けてくれなかったよな?」
「あ、あれは……っ、アレクシス様がタジタジになっているのが、珍しくて……」
「……もっと密着して、仲良くしようぜ、リリアーナ先生」
言いながら、彼がさらに一歩距離を詰める。
触れ合うほどの距離。上品な香水と、彼の体温がダイレクトに伝わってきて、心臓が口から飛び出そうなくらいに跳ね回った。
「あ、アレクシス、様……っ」
限界を迎えてギュッと目を瞑る私を見て、彼は愛おしそうに喉の奥でくくっと笑った。
そして、私の頬に優しく手を添え、親指でそっと唇を撫でる。
「……いつもは立派な『リリアーナ先生』なのに、俺の前ではこんなに可愛い『女の子』になるんだな」
「ちょっと、こんなとこで、やめてくださいっ!」
真っ赤になって抗議する私に、彼は意地悪く口角をわずかに吊り上げた。
「わかってる、ここでは何もしない」
ポツリとこぼされた、甘い言葉。
思えば、正体を明かされたあの仕事帰りのディナー以来、私たちはまともにデートもしていなかったのだ。
アレクシス様は私の頬から手を離すと、少し拗ねたような、けれど逃げ場を塞ぐような熱を帯びた瞳で私を見下ろした。
「……リリアーナ不足だ。明日、休みだな?」
逃げ場のない熱い視線に見つめられ、私はこくりと頷いた。
「は、はい。明日はお休み、です」
「よし。明日の朝、迎えに行く。……今日我慢した分、明日は一日中、お前を甘やかすからな」
「あっ……!」
チュッ、と最後におでこに軽いキスを落とし、彼は満足げに倉庫を出ていった。
取り残された私は、画用紙を胸に抱きしめたまま、その場にへたり込んだ。




