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あの日、私はあなたの栞だった。  作者: 甘夏
一章 始まりは一つの小説で
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第九頁 教師と生徒

『お待たせしました、今日も新幹線をご利用くださいましてありがとうございます。この電車は、十三時十三分発、のぞみ号 博多行きです。途中の停車駅は、京都、新大阪、新神戸、岡山、福山、広島、小倉です。続いて車内のご案内を致します。自由席は……』

「なっっっっが」

 新幹線に乗り、果てしなく長いアナウンスを聞きながら一人つぶやく。

 車掌さんも大変だよなぁ……これを全部読んでるんだから……。

 そうなると、ローカル線の車掌さんよりも、何倍も努力してこういうアナウンスをしているのかな……などと思いながら、途中で買った飲み物を開ける。

「あれ? 橘陬さん?」

「うん?」

 聞き覚えのある声で、ペットボトルを開ける手が止まる。なんだか私は嫌な予感がする……。

「やっぱり……有剛(ありかた)先生……」

「なんですかその顔は……僕も里帰りですよ、悪いですか?」

「悪くないですよ……あ、もしかしてお隣で?」

「Dの十三ですから……お隣ですね」

「わお……」

 有剛先生は私の隣の席に腰を下ろすと、一息ついてカバンをおろした。

「…………おや? その小説は……」

「あ、これですよ。霙の書いた小説」

 ふぅん……と一言呟き、物憂げに小説を手に取った有剛先生の目は、パンの新作にデザインを悩ませる和子のような目付きだ。

 つまり『これ、難しいね』とでも言いたげな視線を小説に向けているのだ。

「……先生、あまり小説読まないんですか?」

「生憎、国語の教師でありながら、本はあまり読まないのですよ。ファンタジーやノンフィクションは特に。今でも読むとしたら漢文ですかね」

「朱雀が喜びそう……あの子最近古文参同契集解こぶんさんどうけいしゅうかいが面白いって言ってるんですけど、どう思います?」

「古文参同契集解とは……茅島さんまた難しい物語を……中国の伝説のようなものでしょう?」

「そうです。自分の名前の朱雀が出てるから、相棒のすーちゃんと一緒にこの間見たって言っていたんですよ」

「すーちゃん……?」

 朱雀は中国人の祖父と日本人の母の遺伝を受け継いでいる、いわゆるハーフとかクォーターとか、そういう言い回しの立場にある人間の一人であり、家系は中国の四神相応の力を借りることが出来る家系をしているんだそう。もちろん中国語も話せるため、去年中国に朱雀と旅行に行った時も結構中国人に話しかけられた記憶がある。

 私には難しいこと過ぎて何を言っているのかが分からなく、内容はあまり覚えていないが、とにかく凄い家庭の女の子だということだけは頭の中で理解していた。

「そうなると、朱雀も苦労してるんだなぁって、ちょっぴり同感しちゃいます」

「僕も僕で両親があまり良い方々では無かったため……家事や社会ごと全般は、ほとんど僕、それか妹の逢鈴(あぐり)と一緒にやってきて、ようやく僕という存在が何をしたいのかを自覚して今の僕があるのですよ」

 先生の中でも特に親しい関係を持つ有剛先生の家庭は、まさに家庭崩壊という言葉が良く似合う家庭環境をしていた。

 両親は有剛先生とその妹の逢鈴ちゃんを視界に入れず、ろくな愛情も与えられないまま成長していき……ある日突然母に買い物へ行こうと誘われた二人は車内で刃物を持った母に殺されかけ、近隣を通った住民の一人に助けられ、母はそのまま育児放棄と殺人未遂の容疑で逮捕されたとの事だった。

 それからは孤児院で育ち、社会に出てから精神科で『愛情欠乏症』『PTSD』だと診断された。

 私が有剛先生と親しくなったのは、有剛先生が出版していた本『最悪で最高の』を、私が大学入学後に持っていた所を、先生が私に問い詰めたことが発覚したことがきっかけだった。

 今話した内容は全て、有剛先生と親しくなった時に話して貰ったことだった。同時に、『最悪で最高の』の内容でもあった。


 つまり、この小説も『ノンフィクション』の作品なのだ。

『最悪で最高の』を当時私は、有剛先生の実話を元にして書き上げられたものだったとは知らず、驚いた後に辛かったんだとも感じていた。同じ立場とまではいかないが、店を経営している両親と、それを手伝う和子の姿を幾度となく見てきた。

 忙しいとはいえど、受験期のときに放たれた両親からの冷たい言葉は、今でも私の胸に刺さって、その棘は中々抜けない。

「あの日は僕の話を聞いてくれて助かりましたよ。やっぱり文よりも、人に直接話す方がいいですね。心の違和感が消えます」

「確かに。私も私で、有剛先生に話してみて気が楽になった感じがしましたもん」

 扉が閉まる音が前方と後方から聞こえる。どうやら新幹線は発車するようで 、少しの反動とモーターの音により、車内は少しだけ揺れる。

 右から左へと離れゆくホームを見つめながら、私は考える。

 この先あと何回、霙と会える機会があるだろうか。

 考える度に霙は遠ざかる。いつしか私の心に空いた穴のように、修復の方法も分からずに、その距離は大きくなるのだろうか。

 霙と私に見せるあの夢は、一体何が言いたいのだろうか。

「また、考え事ですか?」

 有剛先生の柔らかな話し方に惹かれ、現実に戻ってくる。

 有剛先生は微笑んでいた。

「橘陬さんが考え事をしている時はいつも決まって難しそうな顔をしています。何かあるんでしょう?」

「なんで分かるんですか?」

「分からないはずがありません。先生は、いつも生徒を見ています。教える立場は、その問題を見ないと教えようがありませんから」

「だからって先生に分かる問題では─」

「先生と生徒は、お互いに教え合い、お互いに知り合い、お互いに成長し合う立場にあるのですよ? 先生はなんでも分かるわけではありませんが、答えを一緒に導き出す手助けが出来ます」

「なるほど……」

「問題を教え、その問題を解くための手助けをするのが、僕達先生の役割です。僕達先生が出した問題を、先生と一緒に解いていくのが、君たち生徒です。つまり、先生達はヒントしか出せません。答えは、生徒にしか分からないのですから」

 先生の考えは、いつも的を獲ている。

 自分にしか分からない問題を、先生はヒントに変えて手助けをしてくれる。

 その先の表現は自分次第。そういうことだろう。

「……では、生徒にアイドルとして何故か親しまれている神埜(しんの)ちゃん先生からのヒントです」

「自分で言っちゃうんだ」

「お黙り。……そのお友達の性格、癖、言動、態度、できるだけ、お友達の多くの長所を考えてみてみましょう。電話でもいいましたが、小説を林檎に例えてみてください。それがあなたの答えに繋がります」

「ほう……」

「考える時間は充分あります。夏休み中の、先生からの宿題です。終わる頃に、答えを聞かせてくださいな」

「わ、分かりました……考えときます」

「うんうんっ、生徒はこうでなくちゃねぇ」

 先ほどと同じように、先生は笑っている。

 目を閉じて考えてみる。あの子の長所はどんなとこがあるだろうか。

 明るくて、小説が書けて、誰にでも優しくて……それでいて、私の事を『親友』と慕ってくれている。

 またあの疑問が出てきた。どこからが『親友』で、どこからが『友達』で、どこからが『幼馴染み』なのか。

 先生の出した宿題の答えは、この疑問が解消すれば出てくるのだろうか。

 なんてそんな事を考えているうちに、私はいつの間にか先生の肩にもたれかかって寝てしまった。




****





「……若い子は想像力が豊かだ。僕らがちょっとヒントを出せば、すぐに答えを出していける」

 新幹線がトンネルに入った頃、それはもう大分時間が経過した午後十五時すぎ。

「僕のように、成長が止まってしまったままよりかはまだマシだ。思考が追いつかず、先の事を考える余裕すら与えられず……今のことで精一杯になる」

 トンネル内は昼過ぎにも関わらず暗い。明かりが点灯する車内に残る人々は皆帰省ラッシュの類いだろう。

「本はそんな自分の考えを自由に表現出来る。小説が出来る事の発端は僕にも分からないが……」

 寝息を立てながら、モノクルのアクセサリーを左右に揺らす、そんな『年下の先輩』を見ながら、彼女は呟く。

「橘陬さん、あなたは小説の才能がある。きっと僕よりも、凄い小説が書ける。

才能は無限大だ。考えはいつでも疑問だらけ、それが人間です」

 車内電気掲示板は、もうすぐ博多駅に着くことを知らせてくれた。

 そんな視線と同時に、車内アナウンスが流れ出した。

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