第二十二頁 約束
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私がまだ、霙のお父さんである春作さんが小説家だということを微塵も知らない位、とても小さな頃。目を閉じれば、今でも思い出すことが出来る。私が物心ついた時には既に、霙は私の隣で笑っていた。そんな無邪気な霙の笑顔がとても眩しくて、人見知りだった当時の私は顔を見られるのが恥ずかしくてそっぽを向いていたっけか。そんな天使のような子が、幼きながら小説を書いているとも知らずに。
その日の事は、約二十年経った今でも鮮明に覚えている。正しくいえば、霙と会ったあの日に思い出した。その頃なんて、和子と言ったらまだばぶばぶな年代だ。お母さんに抱かれて、庭ではしゃぐ私と霙を目で追っていたのだと思う。
その日はパン屋も休業日だったはずだ。すぐ隣の家に住んでいた霙が遊びに来て、庭で遊んでいた。霙はごっこ遊びが大好きで、私もよく付き合わされたものだ。でも不思議と嫌な気持ちは無くて、一緒に楽しんでいたのを覚えている。母はこの頃から春作さんの作品を買っていたのだろう。祖父は春作さんと知り合いだったのか、霙と春作さんが遊びに来る度に春作さんと話していた。
「ゆずはちゃんなしたの? ぐあいわるい?」
ふと、霙が心配そうに話しかけてきた。私は慌てて首を振り「ううん、かんがえごとしてたの」と誤魔化した。
霙ちゃんは将来何になりたいの? そう言いたかったけれど、恥ずかしくて言えなかった。そうしたら今度は霙が、
「ゆずはちゃんは、しょうらいなにになりたい?」
なんと向こうから問いかけてきたのだ。私はえっと驚いて、「なんでゆずのおもってることわかったの?」と問い返してみた。
「えぇーっ! ゆずはちゃん、みぞれにしょうらいのゆめききたかったの!?」
「う、うん。えっとね、ゆずはしょうらい……うーん、こくごのせんせいになりたい。みぞれちゃんは?」
小さな頃の私はあまり夢の無い人だった。だからどう言おうかと少し迷ったが、自分が絵本を読むことが好きだったこともあり、国語の先生になれば絵本もたくさん読めるかな、なんて思ったのだ。しかしそんな私とは裏腹、霙は迷うことなく言った。
「しょうせつか!」
「しょうせつ? ぶんをかくの? ゆず、ごほんよむのだいすきだよ!」
「だったら、みぞれはゆずはちゃんのためにしょうせつをかく! だからゆずはちゃんがよんで!」
ニコニコしながら言う霙。私は了承し、次の日から霙は早速小さな短編をノートに書き、私に見せてきた。
その内容はドラゴンと少年という、今思えばなんとも拙くて、でも当時はすごいカッコイイと思っていたタイトルの小説だった。字数は三千文字ほどと読み切りやすい文字数だった。三歳児にはそれでもどこか品のある文章で、私はすぐに霙の小説の大ファンになった。それが始まりで、霙は色んな短編を書いては私に見せてきた。私と霙は違う幼稚園だったけど、幼稚園でも書いていると聞いてとても驚いた。こんな小さな小説家がいたなんて、どうして気づかなかったんだろうと、私は小説の魅力にどんどんと惹かれていった。冒険もの、異世界もの、戦いもの、時にはヒューマンドラマもの……流石の春作さんもこれには驚いていたようで、「きょうもおとうさんにほめられた!」と、小説を持ってきた時に満足げに言っていた。
春作さんの小説を知ったのもこの時だ。目にいっぱいの活字を読んでみると、霙と書き方がよく似ていたように思える。親子なんだなぁと、今でもそう思う。
あとから霙が教えてくれた。自身の父親が小説家だということ、それを見て小説家になろうと決めていること、霙の母である萩花さんも小説好きな小説一家だということ……聞いて驚きはしなかったけど、なんとなく複雑な家庭なんだなと分かった。
話している時、霙の目が微かに泳いでいたのだ。もしかしたら家にいたく無いのかもしれない、そんなことを思った私は「みぞれちゃんとずっとあそべたらなぁ」とポツリと呟く。
「おおきくなっても?」
「うん、そしたらずっといっしょでしょ? だから、みぞれちゃんとずっといっしょにあそびたいの」
それを聞いた途端、霙の表情が一気に暗くなった。当時の私はなぜこんなにも悲しい顔をするのか理由がよく分からず、首を傾げた。
「……そうだね、ずっといっしょがいいね」
「じゃあやくそくしよ! ゆずはみぞれちゃんがはなれても、みぞれちゃんのしょうせつをよむ! みぞれちゃんは、ゆずのことわすれないで!」
そう私は言って、霙と小指を絡める。その後、霙はそそくさと帰ってしまった。いつもなら十七時まではいるはずなのに、その日だけは一時間早く。私はそれが不思議でたまらなくて、ただ庭でキョトンとするばかりだった。
***
そうして一週間が経過した。あの日を境に、霙はめっきり顔を出さなくなった。忙しいのかなんなのかよく分からないが、私は庭で毎日霙を待っていた。けれど来ない。なにか事情でもあるのだろうか。ますます心配になっていく私を、休憩に入った母が声をかけてくれた。
「今日も待っとると?」
「うん。でもこない。みぞれちゃん、ゆずのこときらいになったのかな……」
「そぎゃんこと無い、明日は来る」
「どうしてそういえるの?」
「お母さんには予言の力があるたい。柚羽が思っとーことも全部分かるくさ」
この事を言われてから、私は母に「きょうはみぞれちゃんくる?」と毎日のように聞いていた。「ゆずがいい子にしてたら、きっと来るよ」そう言って母は私を撫でる。それが子ども騙しの回答だとは知らずに、母の言葉を信じていい子にしていた私はある意味粘り強い性格だったのかもしれない。よくやった私。
そうして私の誕生日が一日前に迫った十一月八日。霙が来なくなって一週間と四日は経とうとしていた時、ようやく霙が庭に現れた。その日も待っていた私は表情を明るくして霙に近づく。
「みぞれちゃん! ゆずね、いいこにしてまってたよ。きょうはどんなおはなしきかせてくれるの?」
しかし、霙から答えは帰ってこなかった。
「……? みぞれちゃん?」
私は霙の顔を見る。霙は今にも泣きそうな顔をしていた。でもそれを精一杯堪えている様子で、私を見つめている。
「……きょうはね、きたとみなみのおはなし」
そう言って霙はノートを開く。「北と南」というタイトルで、私は庭の石垣に座って話を聞こうとする。
「ねぇ、きょうはゆずはちゃんがよんで」
「ええっ、どうして?」
「ゆずはちやんがよむところ、きいてみたいから!」
「うーん……わかった!」
いつも読む側の霙が言うのは珍しいと思った。聞いている側も良いのだがたまには読む側もまた良いと思い、私は霙からノートを貰って一生懸命読んだ。
「おともだちのにわはとてもひろい。でも、わたしのにわもひろい。いつもこうやってほんをよむひびをつづけられるのがうれしくおもう。でも、それもきょうでおしまいなんだよ。だってわたしは「きた」にいくんだもん。おともだちのたんじょうびをむかえられないのが、ざんねんでしかたがない。だから、きょうはおともだちによみきかせてほしくて、このしょうせつをかいている。わたしはきくがわ、おともだちがよむがわ。おともだちのこえはとてもすきとおってて、きれいなこえをしている。わたしはそんなおともだちのこえをきくのがだいすき。
きたにいったら、わたしのにわはひろいかな。それとおなじで、わたしのさみしいきもちもひろくなっちゃうのかな。それがこわくてしかたがない。かよいなれたにわが、こんどはじぶんのにわになるなんて、そんなのいやだ。いきたくないけれど、いかなくちゃいけないの。ごめんね、ありがとう。そういいたいけれど、わたしからははずかしくていえないなぁ。
もうすぐじかんだ。おとうさんがばんごはんをつくっておうちでまっている。
きょうもいえなかった。ありがとうって。だから、こんどこそはいえたらうれしいな」
どうしてこんな小説を書いたのか。当時は全く分からなかった。というか、私の勘が良くないだけだったのかもしれない。読んでいる途中で、霙が泣き出してしまった。ノートを閉じて、私は霙を宥める。だいじょうぶ? どこかいたいの? そう聞いたら、「むねがいたい」と、ただ一言帰ってきた。丁度春作さんが迎えに来てくれて、私と霙はそこで別れた。母が晩ご飯で呼びに来たのは、霙を見送ってすぐのことだった。
翌日、私は三歳の誕生日を迎えた。でも、霙は家に来なかった。霙だけじゃない、春作さんも、萩花さんも来なかった。何度も聞いた。そうしたら母が「霙ちゃんはね、引っ越したの」と寂しそうに言った。どうしてかも聞いたが、「おうちで色々あったんよ、仕方がない」と頭を撫でられる。自分の大好きなチーズケーキを食べているはずなのに、まるで味のないクリームを食べているような感覚で、一つも美味しいなんて思わなかった。
翌日、霙の家に行ってみるとすでに空きになっていた。コバルトブルーのモダンな家は、中に誰もいないことを物語っている。左の窓には「入居者募集」の看板が縁に立てかけられていた。
本当に引っ越してしまったんだ。寂しくて半泣きで帰ってくると、母が私を呼び出してとある物を渡してきた。ナイル製のリボンが端に結び付けられた、真新しい「栞」だ。聞くと、霙と別れる少し前に春作さんが母に渡してきた物だそう。霙からの誕生日プレゼントだった。
思えば、どうしてあの時霙が私に小説を読ませたのかが気になっていた。内容も暗い内容であり、どこか別れを思わせるようなものである。それが現実になっていたことに、私はようやく気がついた。その場で泣き崩れ、母が私を抱いて「大丈夫」と繰り返し耳許で呟く。
それから時が過ぎて二十年、私が大学に通うために引っ越しの準備に追われていた時、母がこっそりと荷物に忍び込ませた本があの『見えない世界の裏側に』だったのである。
***
「へぇ、そんなことがあったんデスね。なんだか悲しいデス」
菫ちゃんは運ばれてきたそばを啜りながら寂しそうに言う。
「でも二十年ぶりに会えたから、結果的にオーライ?」
「デスねぇ! きっと霙サンも喜んでマスよ!」
本当にそうだといいんだけど。
その言葉は口に出さずに、代わりにそばを啜って一緒に飲み込んだ。
「逆に、菫ちゃんはなんで真琴君と知り合ったの?」
私の問いに、「え、聞きたいデスか?」と苦笑いで問い返してきた。
「うん、まぁ興味ある」
「菫の曲を聞いたマコトがわざわざ放課後に話しかけてきて「安城さんですよね? 曲すごいかっこよかったです、というか惚れました」って、菫の曲のいいところとか気に入ったところを熱く語ってくれたのデス」
「真琴君そんなキャラだったっけ?」
「素はそんな感じデス。曲を出す度に語ってくれたものデスから、余程好きなんだなぁと思っていたら、いつの間にかマコトの事が好きになっていましタ」
「今省いた?」
「いいえ? マコトは所謂「一目惚れ」って感じでしたね。他にも何人か告白してくれましたが、菫の気持ちは揺るぎませんでシタ」
ケラケラ笑ってまたそばを啜る菫ちゃんを見て、やっぱり歌手ってモテるんだなぁと感じた。私は根暗な人だから、あまり恋愛感情とかには疎いけれど、和子とかならこの子と気が合うのかなぁ、なんて少し思った。
午後三時、菫ちゃんと連絡先を交換して別れ、私は家に着く。携帯を見ると菫ちゃんから「来週は私が奢りますからね!」とスタンプ付きで送られてきていた。
「分かったよー」と返して携帯を充電する。
「……ん、あれ? 来週も行くの?」
こりゃあ気に入られたな、なんて思いながら、私はカバンにしまってあった霙の小説に手をかける。栞が二センチ程飛び出している頁を開き、ベッドに座って眠くなるまで読み耽た。
御一読お疲れ様でした。
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