エピローグ 白蛇との別離
ひとまずここまでです。
土御門光陰は自分にただの速度・連射性を競うだけの術比べで勝った無名の家名の女性が大蛇の魑魅魍魎に勝つところを途中から見ていた。講堂に移動している最中に構内で大きな光が見えて、教師が待機を告げて現場確認に向かったために簡易式神を飛ばして現場を見ようと思った。
そこで見えたのは術比べの時よりも速く鋭い術式を行使する白髪姫。大蛇は魑魅魍魎よりも強く妖だったかもしれない。妖なら特殊な能力によって方陣の中に入り込むことができるかもしれないと自分の知識と照らし合わせて納得していた。
光陰は妖と戦ったことはない。土御門の御曹司が危険な前線に出られるわけもなく、視察ができるほど生半可な相手ではない。呪術省としても強力な魑魅魍魎くらいの認識なため、妖と認定される怨敵は少ないだろう。そのため大蛇がどういう存在か確定はできなかった。
ただ近くに難波家の二人がいたことでただの討伐ではないと悟る。あの蛇は彼らが呼び出したか、現れることを何かしらの伝手で知っていたか。どちらにせよ陰陽師学校を攻めようとしていた謎の勢力から学生を守った、もしくは方陣の中に入り込めるような強力な妖を退治した、というような噂が流れれば陰陽師大家の勢力図が崩れかねない。
今は二大派閥として土御門と賀茂が台頭している。その二つも協調姿勢を見せているが、潜在的には別派閥だ。特に賀茂側が近年呪術大臣を輩出できていないからか焦っていることを土御門家はともかく、光陰は掴んでいる。静香とは良好な関係を築いていきたいと思っているが、賀茂家とはどうなるか不明だ。
それくらいこの政治劇は微妙なバランスで成り立っている。他派閥がそこまで大きくなれるような事態が起きておらず名声を稼げていないことと、そもそも野心がないこと。そして第三の家として知られている難波が基本的に自領に引き篭り、呪術省の運営にもほとんど口を出さないことから保たれていたバランスだ。
だがここで難波が立ち上がってきたら。次代の認識が今までと異なっていたら。そうなるとどうなるか、予測できない光陰ではない。那須では狐の大群を呼び出し、降霊させた狐を討伐したという実績がある。その実力を生で見ているために、戦闘力で明に劣っていることを自覚していた。
武力が劣っていて、そして今土御門が把握していない襲撃を先読みして防いでみせた。白髪姫に対処させた理由まではわからないが、彼女は難波派閥に引き込むというのであれば今の状況はかなり都合が良い。東京・京都どちらの生徒もいる状況で実力を見せ付け、今後東京に帰る彼女を中心に派閥の拡充を担える。
土御門も賀茂も、派閥としてはあくまで京都が中心だ。東京は天海派閥が陣取っており、土御門の影響力は低い。呪術省という括りであれば全国に強権を発揮することはできるが、信頼できる者は京都に根付いている。そもそも地方は難波のように各土地の名家が自治しているようなもので、他派閥がちょっかいをかけようものなら内乱になりかねない。
力のある名家とはそれだけ特殊な術式を用いたり、影響力が高いものだ。地元の人間から信頼されているのは呪術省が派遣したプロの陰陽師より名家の一派になる。
白髪姫一人が難波派閥を宣伝しようがそこまで影響はないように見える。だが彼女が宣伝塔になるのなら話は変わってくる。方陣は安全な生活のために絶対的な信頼を置いている術式だ。それが破られるというのはよっぽど強い妖が現れたということ。恐怖の権化である妖を、たった一人で白髪姫は倒してしまったのだ。
妖はプロが何人も束になって倒す存在だ。下手をしたら五神が出陣する事態になる。それほど強く、警戒をしなければならない存在が妖で、その妖を倒したとなれば妖の存在を知っている家の当主は感激するだろう。そんなに強い存在がまだ学生として現れたのかと。未来の五神候補だと。
そこまで話が通れば、難波派閥へ目を向けられる。支持する家も出てくるかもしれない。長い間変わり映えのしない頂点に飽きている名家も多いかもしれない。もし多数の派閥が難波を支持し、呪術省へ反旗を翻したら日本の終わりかもしれない。難波がどういう治世を行うのかわからないが、一月の件がバレたら土御門家は確実に終わる。
ただの生徒からすれば白髪姫の英雄譚かもしれないが、光陰の目からすれば政治的な釘刺しに等しかった。
土御門家には探られたら痛い事柄がたくさんある。名家を維持するにはそういったことが必要ということだ。光陰も他者の土地で禁術を使って人を洗脳して好き勝手したのだ。報復されることも考えてはいるものの、その時は実力で蹴散らすつもりだった。
光陰は同世代に敵がいなかった。京都には優秀な陰陽師が集まり、その子供も優秀であることが多い。選ばれた存在の中でも更に才能を輝かせていたのが光陰だ。唯一土御門を名乗ることを許され、その家名に恥じぬ成績を残してきた。こっそりと魑魅魍魎を倒してその実力を実戦でも確かめたことがある。
その上で明には敵わないと知る。一月に彼の本気の霊気を見ているためにその実力差は信じられないものの疑うべくもなかった。霊気の量はそのまま陰陽師の才能だ。霊気があればあるだけ強大な術式が使え、持久力に優れる。一対一であれば霊気の多い方が勝つと一般的には言われる。
そして明は安倍家から分かたれた分家だ。歴史も血筋も正統のもの。技術も知識もある正統後継者であれば土御門との差は少ない。ならばこそ、霊気の差が実力の絶対的な指標となる。
光陰が明を敵視する理由は一月のことや実力だけの話ではない。彼は小学校時代に九尾を征伐するという実験に失敗し、その実験は成功の兆しが全くなく、四月には呪術犯罪者の襲撃に惨敗。光陰が知る限りでは一月も四月も明は活躍していた。九尾を退け、自分がボコボコにされた鬼と対等に渡り合い、今度の呪術対抗戦にも出る。
今まで同年代で敵う存在はいなかったのに、唐突に現れた自分より強い者。難波の嫡男が同い年だとは聞いていたが予想以上だった。聞いていた話と違うと、初めての敗北感が彼を蝕んでいた。
光陰は気付いていないことだが。
明は今回、一人の少女を救ってみせた。彼女から依頼されたこととはいえ、それを一か月に満たない期間でやってのけたのは人脈が恐ろしいことになっているとしてもとんでもないことだ。退魔の家系としては日本一である桑名本家が匙を投げた難問を解決してみせたのだ。
それは光陰が小学生の頃に使用人を使ってまでやろうとしていたことで。
明暗が別れたことこそが今後の彼らの行く末を示しているようだった。
・
「待って、待ってください⁉︎神様、優しいあなた!私はあなたに話したいことがたくさんあります!」
八神先生に指摘された蛇島さんは土地神の大蛇に縋りついていた。誰もかの存在に攻撃をしていないのに身体が徐々に透けていく。ミクの術式が悪かったわけではなく、そういう運命だということ。
宇迦様から聞いていたとはいえ、助けられなかったことを悔やむ。彼はずっとあの悪霊と戦ってきた。できるだけ蛇島さんの身体が無事であるように加護を使い続けた。
社も持たない、信仰も集められない土地神がそんなことをして無事なわけがない。神は信仰によって成り立つ。神子の家系でもいてその神を祀っていれば脆弱な土地神でも身体の維持はできるだろうが、彼のように加護を使い続けて無事でいられるはずがない。
俺たちの信仰では足りない。今更だ。それに俺やミクは他に信仰する神がいる。敬う程度では彼の維持の役に立たない。今から百人単位で彼を信仰する人間を集めなければ崩壊は止められないだろう。こんな場所にいきなり現れた、名前も知らない土地神を信仰する人間がどこにいるのか。
残酷なことだが、彼の最期は決まっていた。というより、よく今まで蛇島さんを守れたものだ。それくらい脆弱で、力もなくて、寄り添うことしかできなかった神様。
悪霊にも呑まれかけ、少し融合してしまった彼は悪霊を退かすと同時に彼も引き剥がさなければならなかった。いくらゴンが了承を得たとはいえ、蛇島さんには伝えないまま実行したことも事実。
彼と彼女の最期を、俺たちが邪魔をするわけにはいかない。
「ゴンちゃんから聞きました!ずっとずっと、私のことを守ってくれていたと!悪霊に負けないように加護を使い続けてくれたと!やっとあなたと話せると思ったのに、こんなのって……‼︎」
「ごめんね……。ミサキ。僕の力が強ければ、悪霊も祓えて、君の綺麗な亜麻色の髪もそのままでいられて、肌に鱗なんて出させなかったのに……」
「そんなこと……!私はあの悪霊に食い殺されていたかもしれない!今は生きています!髪は戻らなかったけど、肌はもうとっくに……!ああっ、本当に待って⁉︎」
土地神の身体はあれほど大きかったのにもう頭しか残っていない。それ以外は空気に溶けるように神気が空へと昇っていき、真逆の雪のようだった。
蛇島さんが泣きながら抱きしめても、崩壊は止まらない。
さっきまでの悪霊を倒していた凛々しい姿はそこにはなかった。話すことができなかった家族のような存在の最期に泣き崩れる少女の姿しかない。
彼女たちの間に入り込める者は何人たりともいないだろう。俺もミクも、妨害がないか警戒をしたまま。
「さようなら、愛しき子。君のこれからに、幸在らんことを──」
「だめ、名前!あなたのなま──え……」
最後の祝詞で残っていた神気を使い切ってしまった彼は痕跡も残さずその場から消え去った。
蛇島さんが伸ばした手も言葉も、届かないまま。
「あ……ああああああああああっ‼︎」
その慟哭は心の隙間への嘆きか。
少女は苦しみと悪魔を取り除き、献身の友を亡くした。
・
その後、京都校ではハプニングがあったものの、警邏の人数を増やして行事最後のダンスパーティーは決行された。交流会のメインでもあるこれをやらずにいては将来の繋がりを無くしかねないと学校側の独断でそのまま進められた。生徒たちが楽しみにしていたこともあり、この決定には喜びの声が上がる。
この期間でカップルになった、もしくは前からカップルだった者たちが制服のままコサージュを胸に付けて踊る。ダンスの授業はなかったはずだが不恰好な者は少ない。踊ることを決めていた者は呪術省が用意していたダンスの動画を見て練習していたようだ。
明と珠希は直前で抜け出したことがバレており、八神先生の監視の元パーティーでは大人しくご飯を食べていた。ダンスパーティーと言いながらも食事は用意されており、他人のダンスを肴にご飯を摘むしかやることがなかった。
他の生徒のように最後の可能性に賭けて告白をして玉砕している様子の方が幾分か笑えた。コサージュを付けていないからと彼氏彼女がいないわけではない。この場にいないだけで他に恋人がいる人間や、明たちのように関係性を隠そうとしているカップルにとってはとてもつまらないイベントだった。
明たちは今日のために色々と準備を進めていて疲れていたことと、初めて使った術式で予想以上に消耗があったために今日は早めに寝ることにした。
蛇島は目を真っ赤にしながらも、大蛇を討伐してこの学校を守った英雄として男女問わず称賛されていた。空気を読まずに告白する人間もいたが、タイミングが悪すぎたために了承されることもなく女子で固まってご飯を食べていた。
その様子を見て明たちは一息つきながら椅子に座ってゆっくりだらけている内にパーティーはいつの間にか進んでいく。生徒会が主催になって出し物をするようで、東京校の人々に京都のことを紹介するような何かをすると発表していた。
そんな盛り上がりを見せる講堂を、学校の校舎の屋上から眺めている影が二つ。
悪霊憑きだった大蛇よりもよっぽど悪質な、本物の悪霊。生前から人を殺し続け、とある名家に大打撃を与えた悪童たち。その屈辱を歴史に残すわけにはいかないと全てを闇に葬られた誰も知らない子供たちが、数百年の時を経て再び日ノ本へ牙を剥く。
『かんらかんら。日ノ本は晴明によって混ぜ返され、大天狗様の怒りで平安の時代に逆戻りしたのに。踊りの宴だって。お姉様、私たちも踊る?』
『それは素敵、お兄様。でも踊りなんて知らないわ。習ったことがないもの』
『何でもできる神童なんて言われても、知識は所詮学んだことだけってことだね。お姉様を抱き上げるだけで楽しそうだ』
『ふふ、でも踊るのはあの子たちでしょう?見えない糸で雁字搦めになっているのに、気付かず楽しそうにクルクル。前世でもやったけど、何で人間って愚かなんでしょうね?私たちの気持ちに気付かず、ずっとずっと自分の思いだけを優先する。私たちの愛よりもそれって崇高なものなの?』
『崇高だとも。人間にとって自分の想いこそが至上のもの。それ以外は塵芥としか思ってない』
学校によって取り決められた舞台で楽しそうに踊り続ける学生たちを揶揄する幼き少年少女。彼らは舞台や劇というものを知らなかったが、ここ数年日本を渡り歩いたために知識はそれなりに付けてきた。自分たちの生きていた頃とは色々と違っている。文化も技術も変わっているのに、人間の本性は変わっていない。
陰陽師こそが至高という狂った考えも、変わっていない。
『呪術って何だろうね?陰陽術を呪いに変えた愚かな子供たち。六百年経ったことで頭も残念になっちゃったかな?便利になったら考えることをやめちゃうよね』
『ボタンを押せばお米が炊ける。移動に動物は使わずに鉄の塊に乗るだけ。食べ物もどこでもいくらでも売られてて、怪我も滅多にしない。うん、楽園だね。浄土よりもよっぽど住みやすい。普通の人にはね』
『普通じゃない人は、大変だなあ。それは私たちの頃から変わらないまま』
『陰陽師でも呪術師でも。君たちはただの生贄だ。舞台を整えてあげる。面白い催しが、もうすぐあるもんね?』
『『夢見て悪夢見て未来を見ず。過去と今から目を逸らし、悪逆の道を進む者よ。汝らの名は道化なり』』
それだけ告げて、彼らは転移をする。
その行き先は、静岡。
学生の祭典に、怨霊が介入を始めた。




