1-2 帰省前の来訪者
妲己について。
その日のお昼の内に俺たちは伏見へ行って稲荷大社の鳥居から神の御座へ向かっていた。この前と同じく難波が寄贈した鳥居から神の御座に繋がっていて、最初の時のように真っ白い空間を歩くことなく宇迦様の元へ着いていた。
初めて招き入れる人間はどうしたってあの空間を通らなくてはならないようだが、宇迦様に認められれば直通で来られる。
今回は黒糖饅頭を差し入れで持ってきた。話を聞く間、宇迦様のお付きであるコトとミチはその饅頭に手を伸ばしてもっきゅもっきゅと頬張っている。話を聞きたかったのは宇迦様なので問題はない。
「それで宇迦様。中国の狐妲己が日本に来ているというのは本当でしょうか?」
「そんなことを聞きに来たのかえ?クゥに聞けば良いことなのに。いいえ?そのために妾に会いに来たということは嬉しいのだけど」
宇迦様は綺麗な尻尾を靡かせながら姿を現しているゴンのことを見る。それで思い出したのか、宇迦様は一つ頷いた。ちなみに宇迦様やコトとミチにクゥと呼ばれても怒ったりしない。平安の頃はそれが呼び名だったのだろう。
「そういえばクゥは妲己について他者へ口にすることを禁止されておったか。それでは話すこともできぬな」
「禁止?ゴン、誰に?」
『晴明に。あと法師にも。二重でオレは呪われてるんだよ。呪術の実験とか称して晴明と法師、あとは玉藻の前様と晴明の式神以外に話すとオレの体毛が全てしわしわになる』
「……無理矢理に聞き出さなくて良かった……!」
ちょっと毛がボサボサくらいのゴンなら見たいが、全て艶もなくなってボサボサになるなんて耐えられない。こんなに綺麗な体毛だからモフモフしたいというのに。
なんという酷い代価を支払わせるんだ、その二人は。その二人がかけたって言うのは別に不思議ではないが、身内にそんなことするかと聞かれたら、過去視で幼少期の晴明を視ているので有り得なくはないかなと思ってしまう。
ミクにも今まで視た過去については全て伝えているので不思議に思っているようなことはなかった。
「ククッ。そんなクゥの姿も愛らしいとは思うがな。では妲己について話そうかえ。妲己は日ノ本に流れてきた中国大陸出身の大妖狐よ。尾は五本、九尾でも天狐でもなかった、ただ長生きの妖と言っていいでしょう。いつ頃日ノ本に流れたのかも確認しておらんねえ。中国大陸でやらかしてこっちに来たようだけど」
「傾国の美女、ですね」
「男をとっかえひっかえではありんせんが、好き勝手やっていたようやね。彼女を求めて争いが起きたようやし。いわゆる悪女ではあったが、悪い狐ではなかった。そもそもとして、妖が人間を食い物にするのは自然の摂理故な」
人間が豚や牛を家畜として飼って食べるように、妖が人間をエサにするのは存在理由として当たり前の事。人間の立場から見たら悪だとしても、妖の立場からすれば自然極まりない行動に見えるということ。
美しい妲己を求めて争い始めたのも人間が勝手にやったことだろうし。いや、誘惑の幻術とかかけたのかもしれないけど。おそらく妖としては行動指針におかしな部分などなかったのだろう。きっと自由奔放に、生き続けただけ。
「きっと一番聞きたいことはこれなんでしょうが。もう妲己は死んでいる。今も生きて日ノ本を徘徊している、なんてことはありんせんよ」
「……そうですか。一度くらいは会ってみたかったのですが」
残念だ。有名な狐だし、傾国の美女とまで言われるのだから、一度くらいは顔を見てみたかったのに。きっと宇迦様に匹敵するくらいの美狐だったんだろうなあ。
「妖とは結局そういうもの。長寿ではあるが人間を食い物にしているが故に、そのまま自由奔放に生き続けるか、人間に恨まれて殺されるか。……妲己の悲しい所は、その美しすぎる姿に恐れ戦いた人間が、物の怪と思い手をかけてしまったことか。事実妖だったためにそう間違ってもおらぬが。完成された美というものは、未完成で不出来な人間からすると怖いものなのだろう。そこには一つの答えがあるのだから」
「美術品よりも完成された美は、人間の心を蝕む……。美に近付くのではなく、美を排除することで安寧を得ようとする……」
「美も一種の強大な力だからのう。強すぎる力に恐怖するのが人間という矮小な存在なのだから、仕方がないのでしょう」
全ての人間がそうだとは言わないが、人間という種族的にそういう思考の者が多いというだけ。宇迦様という絶対者から見たら人間なんてとてもちっぽけなのだろう。人間や妖よりも上に君臨する存在。その存在を信じない人間。
俺やミクは身近にゴンや瑠姫たちという分け御霊がいたからすんなり信じられているのか。それとも悪霊憑きに近い、純粋な人間とは違う混ざり者の思考だからだろうか。こういう齟齬が人間だけのコミュニティに違和感を覚える原因なのだろう。
「あの、宇迦様。妲己様は戦う力を持っていなかったのですか?妖で、傾国の美女だったのでしょう?命を狙われる危険なことはいっぱいあったでしょうし、すんなり人間に殺されるとは思えないのですが……?」
ミクが疑問に思ったのか、そう尋ねる。妖は魑魅魍魎とは異なる、一個の命として確固たる意志のある存在だ。その在り方も魑魅魍魎と似ていても存在の重みが異なり、基本的には人間などには負けないくらい強い者たちだ。
人間に殺される妖や土地神もいるとはいえ、そんな有名な存在があっさり殺されるとは思っていなかったのだろう。
「ああ……。これも言っていいか。簡単な話で、つまらない結末なの。妲己を殺したのは陰陽師よ。昔の武士も人間としてはかなり強かったけど、その程度ならいくらでも逃げられた。鬼のように、戦うことが本望で逃げないような妖ではない限りね。……特に昔の陰陽術は封印や力を削ぐ呪術などが盛んだったから、妖の動きを封じる手なんていくらでもあったの。狐を殺されるなんて、晴明も法師も思っていなかったでしょうねえ」
「玉藻の前様を保護していたというのに、他の狐を陰陽術で殺されるというのは信じられなかったでしょうね……」
妖とはいえ、妲己の存在を知っていたというのであれば晴明達なら優遇していただろう。玉藻の前様と存在は違っていたとしても同族のようなものなのだから。
陰陽術も呪術も、本来そういった用途で作られたわけでもないだろうに。あれだけ妖や神と懇意にしていた安倍家だ。何か意図をもって産み出したものであるはず。
「さて、ハルとミクや。妲己が死んでいるというのは、むしろ大陸の者にとっては好都合かもしれぬ。死者復活の手は、人間ではなければあるであろう?力が欲しいのであれば、無理矢理ということもできる」
「……降霊と式神契約ですか?」
「そう。似たようなものは海向こうにもあるからのう。その大陸の者、少し気にかけておいた方が良い。蟲毒と同じようなことが起これば、妲己ほどの存在であれば面倒が起こるぞ?それこそ天変地異が起こりかねぬ」
「妲己様はそこまで力の強い妖ではなかったのですよね……?」
矛盾しているのではないかというミクの疑問だが、前の時の蟲毒は無銘の狐でさえゴンと同格に渡り合えたのだ。不当に暴れさせるだけなら、きちんとした妖なら余計に厄介になるということだろう。
「そこはただの霊狐と妲己という妖の存在強度の差があるの。霊狐なら妾の社にももちろんいるのだけど、それが蟲毒の核になればそれでもう面倒。では長寿で悪名高い妲己であれば?蟲毒による不当な強化の上がり幅が甚大になるわ。術者の力量にも依るけど、前の蟲毒の時よりは大変でしょう」
「では蟲毒を引き起こされる前に犯人を捕まえろと?」
「できるならね。蟲毒なんて大陸由来の呪術なのだから、使えても不思議ではないでしょう。まあ、今回はそこまで警戒しなくても大丈夫そうだけど」
宇迦様は神様だけあって様々なことがわかるようだが、蟲毒については心配しなくていいらしい。では暴れさせることや理性を失わせることが目的ではなく、他の目的が犯人にはあるということだろうか。
「ああ、それと。妲己を利用しようとして天変地異を起こすのはAだから。Aを怒らせたくなければ協力するか、さっさと犯人を捕まえなさい」
「ああ、そういう……。わかりました」
あとでAさんたちにも連絡を取ろう。そう決意した俺たちだった。
次も三日後に投稿します。
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