16.夕暮れ
「正義の忍者、ごんざぶろうはね、にんじんが好きなんだよ。紫苑お兄様は何が好きなの。僕はお肉」
「そうですか。俺は…」
私と紫苑の手を繋いでいる一郎くんの質問に、紫苑がこちらをチラリと見つめる。
意味深なその視線に、何が言いたいのか?と思っていると、紫苑は淡々と口を開いた。
「今は肉じゃがです」
「そうなんだぁ。美味しいよねぇ。お肉入ってるし」
冷たく感情の起伏のない紫苑の受け答えに、気にする様子もなく、嬉しそうにしている一郎くん。
時刻はもう夕方の17時。
長い時間共にいた為、一郎くんも紫苑のあの感じに慣れたのだろう。
午前中は演劇、午後からは食事、アスレチック、ほんの少しの休憩、カフェタイム、図書館で読書を経て、私たちは今、迷子案内所へと向かっていた。
どうやらやっとご両親が見つかったようなのだ。
まさかこんなにも長時間一緒に過ごすとは思わなかったが、一郎くんは恥ずかしがり屋なだけで、明るくいい子だし、紫苑も紫苑でかわいいところもあるしで、案外私は楽しかった。
かわいいの大渋滞だった。
「結お姉様は何が好き?」
「んー。金平糖かなぁ」
「金平糖!甘くて美味しいよね!キラキラだし!」
こんな調子でお喋りを続けながら、歩くこと数分。
私たちは目的の場所、迷子案内所まで辿り着いた。
「お母様!お父様!」
他のお店と同じくらいの区画にあるそこのガラス扉の向こうに、案内所の職員と20代後半くらいの男性と女性の姿が見える。
その2人に一郎くんは迷うことなく、嬉しそうに駆け寄った。
一郎くんの様子からして、あの2人こそが一郎くんのご両親なのだろう。
父親はスーツ、母親はパーティードレスを着ており、一目で高貴な方々なのだとわかる。
おそらく、人間の貴族だ。
一郎くんは2人の手を取ると早速、「あれが紫苑お兄様、あれが結お姉様。2人の好きな食べ物は…」と楽しそうに私たちの説明を始めた。
「紫苑様、結様、本日はありがとうございました」
一郎くんの話を聞き終えた後、一郎くんの母親が柔らかく微笑み、頭を下げる。
それから隣にいた父親が優しい笑みで口を開いた。
「私は北の雪村と申します。狐森の紫苑様、神園の結様にお会いできて光栄です」
すっと差し出された手に紫苑が慣れた手つきで握手を交わす。紫苑の後は私も同じように彼の手を取った。
貴族だとは思っていたが、まさかあの北王国の貴族だったとは。
北の貴族だというのに、妖である私たちに対して柔らかい態度を取るとは、不思議な感じだ。
世界情勢ゆえに、一応表向きは友好的な態度を取る北の貴族でも、その奥底には冷えたものがあるといつも思っていたのだが、彼らにはそれが全くない。
「一郎のこの懐きよう、お二人は相当な人格者なのですね」
一郎くんの父親の言葉に、何故彼らがここまで友好的な態度なのか察せた。
一郎くんが私たちに笑顔を向けているからだ。
「…ねぇ、紫苑お兄様、結お姉様。僕たちまた会える?」
ほんの数分前までは私たちの間にいた一郎くんが、今度はご両親の間でおずおずと私たちの顔を見る。
「はい」
「うん。いつか必ず、ね」
そんな一郎くんに、紫苑は柔らかく瞳を細め、私は優しく笑った。
*****
海のずっと向こうに、太陽が沈んでいる。
ーーー逢魔が時。
まさに私たち妖たちの時間の始まりを伝える、そんな空間だ。
ゆらゆらと揺れる水面は、空と同じように綺麗なオレンジ色に染められていた。
一郎くんたちと別れた後、私と紫苑はなんとなく、バルコニーを歩いていた。
ここに出ると、先ほどまでいた船内とは違い、ここが海の上なのだとわかる。
鼻をかすめる塩の匂いを感じながらも、私は足を止め、手すりに両手をついた。
「いやぁ、災難だったね。楽しかったけど」
どこまでも続く海をじっと見つめ、先ほどのことを思い出し笑う。
迷子案内所の職員によると、実は一郎くんのご両親は午前中には見つかっていたようだった。
しかし、一郎くんのあのはしゃぎようを見て、あえて私たちに一郎くんを任せていたらしい。
それを聞いた時の紫苑の顔には「迷惑です」としっかり書かれており、思わず笑ってしまった。
あの紫苑が子どものお守りなど、無理な話なのだ。
それをよく今日1日頑張って、紫苑にしては優しく一郎くんの相手をしていたと思う。
まぁ、私は普通に楽しかったから、よかったんだけど。
「本当に災難でした」
紫苑は立ち止まった私の隣に立つと、同じように海を見つめながら迷惑そうにそう言った。
疲れを帯びた声が予想通りすぎて、おかしくてまた笑ってしまう。
何となく紫苑の様子が気になって、海から隣へと視線を向けると、紫苑は私の予想とは違う顔をしていた。
きっとしかめっ面で、海のずっと果てを睨んでいるだろうと思っていたが、紫苑は何故か柔らかい表情をしていたのだ。
「…もしかして、紫苑、ちょっと楽しかった?」
「楽しいはずがありません。迷惑でした」
私の問いかけに、紫苑が一瞬でムッとした顔になる。
あの柔らかい表情はどうやら見間違いだったらしい。
そう思ったのだが。
「けど、アナタと家族になったらこんな感じなのかな、とは思っていました」
綺麗な黄金の瞳はまっすぐと私を見つめ、どこか幸せそうにそんなことを言ってきた。
まるでプロポーズをする前触れのようだ。
「…言葉選びな?」
あまりにも世間知らずなお坊ちゃまに、私は思わず、呆れたように笑ってしまった。
箱入り息子すぎる。
これでは紫苑のせいで泣く女の子が後を絶たないだろう。
「アナタに言われる筋合いはありません」
紫苑は私の態度に不服そうにそう吐き捨てると、ふいっと私から視線を逸らし、また揺れる海を見つめた。
落ちていく太陽は、私たちの時間の始まりを知らせている。
長い1日はまだ、これから。




