1.おはよう
激重感情男共々よろしくお願いしますー!
ーーー唇が重なる。
そこから無遠慮に流し込まれた妖力は、私の中で我が物顔で暴れ始めた。
頭が、痛い。
痛くて、痛くて、堪らない。
苦しむ私を切れ長の銀色の瞳が愉しげに見下ろしている。
その視線を浴びながら、痛みに耐えていると、ふと頭に知らない映像が流れ始めた。
こんなもの、知らない。
これでは、まるで…。
血に染まった彼が記憶の奥底で微笑む。
ああ、彼だったのか。
*****
立派な庭の上空には、もう三日月が浮かんでいる。
人の活動時間が朝からなら、妖の活動時間は夜からだ。
そして、私は死神の妖だ。
いつものように右腕に残る違和感…月一の献血後の痛みをほんの少し感じながらも、私は、私の幼馴染であり、主人でもある神園深月の部屋内にある引き戸をスパーンッ!と勢いよく開けた。
綺麗に整理された畳の部屋。
その真ん中には、1人で寝るには広すぎる布団の上で、まだすやすやと寝息を立てている美青年がいる。
彼こそが深月。
ここ東大帝国の死神の頂点に君臨する一族、神園の次期当主だ。
「深月!起きなさい!夜よ!」
私はいつもの調子で遠慮なく、ずかずかと深月の寝床へと入っていった。
そして深月の元まで行くと、腰を下ろし、ゆさゆさとその体を揺らした。
「んんー。まだ朝でしょ…」
「もう夜よ!夜!」
私にいくら体を揺さぶられても、深月は少し眉間にシワを寄せるだけで、そのまぶたを開けようともしない。
深月はいつもこうなのだ。
夜に弱く、毎度毎度、自分で起きようとしない。
だからこそ、彼を起こす役目を担う者が必要なのだが、それを許されている神園の女中…いや、存在は私だけだった。
「んー!深月ー!起きなさーい!」
先ほどよりも激しく深月の体を揺すってみるが、深月は頑なに目を閉じ続ける。
さらりと流れる濃い青髪の奥で、平然としているあのまぶたが憎い。
このままでは、本当にやばい。
学院に遅刻してしまう。
なんとか深月を起こせないものかと奮闘しているとーーー。
「…っ!」
突然、深月に腕を引かれ、視界がぐらりと揺れた。
そして気がつけば深月の手によって、私は深月の布団の中へと引きずり込まれていた。
「…結」
深月が甘えるように私の名前を呼び、ぎゅうと正面から己の腕の中へ私を閉じ込める。
さらにまるで猫のように私の頭に頬擦りすると、再び「すぅ…すぅ…」と寝息を立て始めた。
気持ちの良い睡眠を続ける為に、深月はあろうことか私を抱き枕にしたのだ。
…全く。
仕方がないので、私は最終手段に出ることにした。
まずはグッと深月の胸を押し、わずかな隙間を作る。
それから制服の下に手を伸ばし、小さな死神の鎌を取り出すと、それに妖力を込めた。
すると、鎌はその形を変え、小さなナイフになった。
死神は皆、こうやって自分の鎌を管理するのだ。
この方がずっと使い勝手がいいから。
「痛い思いしたくなかったら、私を離して、深月」
目の前にある深月の首元に、ナイフをそっと押し当てる。
どちらかがほんの少しでも動けば、簡単に傷ができる位置に。
「結からの傷ならどんなものでも嬉しいな」
…が、深月は怯むことなく、愛おしそうにそのまぶたをやっと開け、私を見つめた。
血のように赤い瞳がまっすぐと私を射抜いている。
夜から何を言ってるんだ。
「寝ぼけたこと言わないの。目が覚めたなら起きる」
「はいはい」
呆れたように深月に目をやれば、深月は戯けたように笑いながら私を解放し、やっと体を起こしてくれた。
それからいつものように身支度を始めた。
もちろん、私は深月の女中として、それを手伝った。
そう、私は神園の女中といっても、ただの女中ではない。
深月専用のたった1人しかいない、特殊な女中なのだ。
*****
身支度を終えた深月と、それを手伝った私は、カタカタと小さく揺れる馬車内で、向き合うように座っていた。
何となくぼんやりと、窓の向こうを見つめる。
世界のトップに君臨するここ東大帝国は、どの国よりも早く、人と妖が共存を選び、繁栄を築いていた。
その為、東大帝国の中心、帝都では、妖も人も同じように往来している。
だが、今は夜も深まり、もうすっかり人よりも妖の方が多く道を歩いていた。
街を行き交う者たちは、皆、好んで和装をしている。
私たちのような洋装の者はあまりいない。
私も普段着は着物だ。
しかし、これから学院に行く為、学院の制服である赤のリボンが印象的な紺のセーラーを着ていた。
外を見つめる私の頬に、視線が刺さる。
向かい側の席からじっとこちらを見つめているのは、もちろん、深月だ。
街から今度は目の前へと視線を移すと、やはり深月はいつも通り、優しい笑みを浮かべ、こちらをまっすぐ見つめていた。
深月は私とは違い、和装よりも洋装を好み、普段着も白いシャツやスーツであることが多い。
その為、今の黒の学ラン姿は、いつもの色違いといった印象で、あまり物珍しさはなかった。
「なぁに、結?」
私の視線に気づいた深月が、ふふ、と柔らかく笑う。
絶世の美青年。
その言葉が似合ってしまうのが深月だ。
サラサラの濃い青髪は無造作にセットされ、どこか寝起きの時とは違う大人っぽさを漂わせている。
その髪から覗く瞳は血のように濃い赤で、一度見たら忘れられないだろう。
程よい筋肉と誰よりも高い身長。
その上、手足も長く、何もかもが完璧だ。
「別にぃ。私の幼馴染は相変わらず綺麗だな、て」
冗談っぽく思ったことを口にすれば、深月は愉快そうにその瞳を細めた。
「綺麗…か。嬉しいな。けど、結の美しさには敵わないよ」
深月が私を上から下まで絡めとるように見つめる。
「結の漆黒の黒髪はまるで絹のようだし、小さな頭は何よりも愛らしい。そして、その瞳。俺と同じ赤い瞳は誰も忘れられないほど魅力的だ。この世に女神がいるのなら、きっと結のような見た目をしているんだろうね」
「…本気で言ってる?」
「本気だよ、わかっているくせに」
「…」
深月の歯の浮くような言葉に、思わず言葉を失ってしまう。
冗談のように、けれど、本気で深月はこんなこと言う。
もう90年も一緒にいるので、慣れてしまった。
呆れたように深月に視線を向けていると、馬車はゆっくりと止まった。
どうやら、学院へ着いたようだ。




