第12章 ー信じられないー
見慣れた天井。
「……帰ってきた」
机のカレンダーを見る。
一月。
中学一年、三学期。
引き出しを開ける。
二本の枝。
静かに横たわっていた。
アリアの顔が浮かぶ。
潤んだ瞳。
振り返らなかった背中。
「またね……」
引き出しを乱暴に閉めた。
◇
学校。
英語の授業。
チョークの音。
『一般動詞の過去形』
「今日から過去形ね。過去形は2種類あります」
「規則変化と不規則変化。不規則変化」
「ここからが重要ー」
ノートを写す音。
ページをめくる音。
誰かの欠伸。
いつもどおりの授業。
「不規則変化は形が全く変わるよー」
「不規則変化は毎週テストするからちゃんと覚えるように」
先生が黒板を叩く。
【 run → ran 】
【 fight → fought 】
不規則。
その言葉が、 胸に引っかかった。
ran fought
走った。 戦った。
終わった動き。
もう戻せない形。
黒板の記号が頭をめぐり、消える。
枝を握っていた感触が、戻ってきた。
◇
野球部。
やることは変わらない。
球拾い。
素振り。
キャッチボール。
でも。
体が違った。
バットが、芯に当たる。
投げた球が、ミットへ収まる。
「渡来、今のいいぞ!」
先輩の声。
「……ありがとうございます」
胸が熱くなる。
嬉しかった。
グラウンドの前で三回立ち止まった日。
ボールがあらぬ方向に飛んだ日。
「もう一回」と言われ続けた日。
「今日で来年が決まる」
朝。
元谷先生が言った。
部内対抗戦。
レギュラー選抜。
先発ピッチャー。
「翔登、お前が投げろ」
「僕がっ、そんな急なこと.....」
「やってみてからそれを言え」
◇
マウンドに立つ足。
体が軽かった。
森を走った。
魔物を追った。
何度も転んだ。
逃げずに立ち上がった。
異世界で積み上げたもの。
全てが足を支える。
アリアを動かせた夜。
ミッチが吹き飛んだあの夜。
やれる。
感覚が、足の裏から上がってきた。
ランナーを出さない。
体が勝手に動く。
フォーム。
重心。
踏み込み。
全部が噛み合う。
七回裏。
ツーアウト。
ランナー二塁。
あと一人。
キャッチャーのサイン。
外角の変化球。
変化球の方が安全だ。
わかっていた。
でも。
今の僕なら。
真っ直ぐで押し切れる。
強い僕なら。
異世界を越えてきた僕なら。
負けない。
振りかぶる。
全力。
真ん中。
乾いた音。
冬空へ吸い込まれていく。
センターが動かない。
その瞬間。
全部、終わった。
誰も何も言わない。
怒鳴ってほしかった。
沈黙だけが、 痛かった。
更衣室の前。
奥から声が聞こえる。
「……なんで真っ直ぐなんだよ」
「変化球のサインだったのに」
「あいつ、調子乗ってたんじゃね?」
◇
夜。
自分の部屋。
引き出しを開ける。
二本の枝。
冷たい。
何も言わない。
この世界でも、やれると思っていた。
積み上げたもの。
全部「本物」だと思っていた。
負けた瞬間。
悔しかった瞬間。
そして、今。
草原、広い空、森。
枝を強く握る。
「I am in——異世界!」
視界が白く染まる。
ran fought
過去形。
もう終わった言葉。
変えられない形。
元の世界で僕は今日……




