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ハイツさかくに


「こちら人見(ひとみ)。被疑者の男、まだ現れません」


 朝石署刑事課強行犯係の若手、人見 誠(ひとみ まこと)はインカムに手をあてた。

 昭和に建てられた古い築年数のアパート。

 すぐまえのせまい生活道路から、二階の共用通路を見上げる。

 時間は午後四時半すぎ。

 高跳び用にチケットを買った飛行機に乗るには、そろそろ出てこないと間に合わないころだが。

 

「愛人宅に潜んでるって八十島(やそしま)らがつかんで来たんだけどな。――踏み込むか?」


 バディを組むベテラン刑事、百目鬼(どうめき)が同じように二階を見上げる。

「おう、そっちはどうだ。ベランダから出てくるかもしれんから、見たら知らせろ。令状持ってそっち行く」

 インカムに手をあて、別の場所で待機している同僚たちに告げる。



「──百目鬼さん!」



 インカムから若い男性同僚の声が聞こえる。八十島だ。

「おう、どした」

 百目鬼が応じる。

「──ベランダから降りてきたんですけど」

「まじか」

 百目鬼があきれた声を上げた。

「──や、なんですけど、べつの部屋のベランダなんですよね。女の人ですし」

 百目鬼が軽く眉をひそめる。

 どういうこっちゃと意見を求めるようにこちらを見る。

 刑事暦二十年近くのベテランに意見を求められても。誠は首をふった。


「どんな女だ。特徴言え」

「くるくるパーマがかかってるセミロングの髪で、顔はよく見えません。──なんか同室にいる男に暴力ふるわれてるみたいで、非常用の縄ばしごで逃げるとこみたいなんすけど」


 百目鬼が眉をよせた。

「──どうします? こっち助けにわたしら車から出ますか?」

 八十島のバディの刑事が問う。



 アパートのドアが開け閉めされる音がした。



 被疑者の愛人宅のとなりの部屋から、腰の曲がった高齢女性と若い女性の二人連れがあらわれる。

 若い女性が高齢女性の腰のあたりをささえ、階段をいっしょに降りはじめた。

 古いアパートの建てつけの悪い階段の音が鉄骨に響き、ガタガタと聞こえる。

「人見」

 百目鬼が階段をじっと見る。

「はい」

「あの二人、ちっと職質しろ」

 階段を降りる女性二人を(あご)で指す。

「はい」

 誠は内ポケットに手を入れた。警察手帳をとりだす。

 百目鬼がインカムに手をあてた。

 

「警察車両、ベランダから降りてくる女はどんな感じだ。あぶなっかしい感じか?」

「──こちら八十島。もうすぐ無事に地面につきそうです。室内の男は追ってくる気配はありません。怒鳴り声も聞こえなくなりました」

 

「おけ」

 百目鬼がそう返事をする。

 誠はアパートの階段に近づくと、降りている途中の女性二人に階下から声をかけた。

「すみません。ちょっとお話いいですか?」

 警察手帳を提示する。

 若いほうの女性はわずかに目を見開いたが、高齢女性は腰のせいで顔を上げにくいのかチラッと上目遣いになっただけだった。


「なんだ、イケメンの刑事さんで照れるべ」

 

 しわがれた声で肩をゆらして笑う。

「おばあちゃん、やだ」

 若いほうの女性がつられて笑った。

「降りてからでかまいませんか?」

 若い女性が問う。

「ああ、すみません。どうぞ」

 誠は警察手帳を内ポケットにしまった。

 高齢女性が、ささえられながら階段を降りる。ガタンガタンと階段がゆれた。

 誠は、二人が降りる様子を目で追った。

 何か違和感を覚えるが。


「──人見」


 インカムから百目鬼の声が入る。

「──その婆さん、ほんとに婆さんか? ちっと階段のゆれる音大きくねえか?」

 見た目より重量がありそうという意味か。

 誠は目だけを動かして高齢女性の様子を見た。

 顔はうつむいてスカーフをかぶっているのでよく見えない。

 首元でスカーフを結び、手には手袋、足元は長い丈の服。肌はいっさい見えない。

 ちらりと百目鬼のほうを見る。

 百目鬼が無言でうなずいた。

 ここは思いきって。


「だいじょうぶですか? 手を貸しましょうか?」


 誠は手をのばした。ささえるふりをして高齢女性の腕をつかむ。

 がっしりとして筋肉質の腕。屈強な男の腕に思えた。

 これは。

 

 

「──CQCQ! 人見さん! そのかた男のかたです! ネットで動画が公開されていた指名手配の人と、足運びのクセ、歩くときの肩のゆらしかた、腕のふりかたが同じです! なにより女性の骨格ではないです!」



 なぜかとつぜんインカムからソプラノの声が聞こえて、誠は困惑した。

 花織(かおり)の声だ。

 失顔症、正確には相貌失認のお嬢さま女子高生。

 顔の区別がつけられない分、ふだんから顔以外で人を区別しているので人の特徴や動きのクセに驚異的な観察眼を発揮する。


 なんどか捜査に協力してもらっているが、何でここにいるんだ。


「──気にすんな。通りすがりの迷子だ」

 百目鬼の声に代わる。

 花織に無理やりインカムのマイクに向けてしゃべられたのか、それともわざとマイクに向けてしゃべらせたのか。

「──確認しろ、人見」

「は……」

 返事をしようと口を開いたとたん、高齢女性が腰をのばし階段を駆け下りて誠をつきとばした。

「待……!」

 一瞬当惑したが、走り去ろうとする人物に手をのばす。

 つかみそこねたが、立ち上がったうしろ姿はあきらかに男性だ。広い肩ははおった上着の下で縮こませていたのか。



「車両、車両。被疑者と思われる人物をアパート階段付近で発見──ベランダ女おさえたら応援に来い。ほかはその場で待機」



 百目鬼がインカムで指示する。

 誠は被疑者の男に追いすがった。

 うしろから腕をつかむが、腕をはげしくふり抵抗される。

 グッと力をこめて、男の腕と肩をつかむ。

「応援来ましたー」

 八十島が男のまえに走りより、男の服の(えり)をつかんで足払いを食らわせる。

 ザザッと生活道路の細かい石がすれる音を立てて地面に倒された男を、二人で押さえこんだ。


「十六時五十一分、通常逮捕」

 

 百目鬼が腕時計を見ながらかたわらにしゃがむ。スラックスのポケットから手錠を取りだして被疑者にかけた。

「まあ、非番まえに確保できてよかったわ」

 百目鬼がしゃがんだ格好でつぶやいた。





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