9-②
首都高で、渋滞に嵌ったときのこと。
いつまで経っても車が動かなくて、いい加減父も母も疲れが見えてきていた。年末で、帰省ラッシュで、祐弥もそろそろ眠たくなってきて、そんなときに、雪が降り始めた。
クラクションがめちゃくちゃに鳴り響いていた。車から大量の人が降り始めて、その隙間をバイクが通ろうとしたりして、叫び声と、怒号が飛び交って、祐弥は父に手を引かれながら走った。
そのときの〈エフェクト〉は、電気系統の異常を示した。
人が乗り捨てた自動車がめちゃくちゃに動き出した。あちらこちらで衝突と、爆発が起こって、炎があちらこちらで上がり始めるまでに時間はかからなかった。
父は何度も、祐弥を振り返った。後ろから背中を押していた母は、何度も大丈夫、と言った。
何も大丈夫なんかじゃなかった。
あっという間に、父も母も胴を潰して、首を捻じって、死んでしまった。
祐弥は、もう動けなかった。足の骨が折れていた。父について走ってきたのは、どうしてかまるで人気のない方向だったから、周りに助けてくれる人もいない。高速道路の街灯はちかちかとものすごい速度で明滅を繰り返し、運転手を失った車は不規則に動き続けて、そのうちの一つが、火炎を裂いて祐弥に向かってきた。
死を前にして脳裏を過ったのは、まだ生きているはずの、自分を助けてくれるかもしれない、もう唯一の家族のことで。
そのとき、どうして父が、母が、自分を人のいない場所に連れてきたのか、はっきりとわかった。
祐弥は、燃やし続けた。
自分に向かってくるすべてのものを。〈エフェクト〉の発現時間が終わるまで、一晩中。自分を害するものを、焼き尽くし続けた。
自分のことを守ってくれた人の、その亡骸と一緒に。
明け方には、もう誰のものだか、わからなくなっていた。
折れてた割によく走るじゃん、と自分の右足を褒めちぎる。思い出すまで、何の違和感もなかった。祐弥はバスケットシューズの底で、撓んだアスファルトを蹴りつけながら、冬の風を切って走る。
たぶん、自分は後悔するのだろう。
そう思った。
両親の死。その亡骸を燃やしたこと。庇われたこと。何もできなかったこと。それを思い出したこと。その一つ一つを、自分はこれ以上ないほど後悔するのだろう。すべての記憶が蘇った今、祐弥は自分でそう思う。
でも、人は記憶だけで生きるわけではないのだ。
腿を上げる。ふくらはぎが伸びる。腕を思い切り振る。体育館で走り回っていた頃から随分経って、そんな当たり前だった動作ですら懐かしく思えるのに、あの頃よりもずっと早く景色が流れていくのは、きっと背が伸びたからだ。
後悔はするだろう。でも、後悔ばかりをして過ごすつもりはない。
悲しみは受け止めよう。でも、悲しむためだけに前に進んだわけじゃない。
もう、後悔しないように、思い出そう。
もう、悲しまなくていいように、戦おう。
力の使い方は、思い出した。由祈乃を散々困らせて、そして覚えた。
心は、勝手に動いた。湧き出てきた感情に名前はまだつけていないけれど、それでも、両親の死を悲しむよりも先に、前に進むための理由になるだけの、気持ちがここにあった。
あとは、間に合えばいい。それだけのことで。
そして、確信があった。きっと間に合う。
だって、
「永――っ!」
自分の方がずっと、足が速いのだから。
和服の後ろ姿が見える。相変わらずとろとろと歩いている。その向かう先、もう二百メートルも先にはシェルターの上にまで頭を突き出した巨人の姿があって、その腕を遥か上空から伸ばしてきている。
「邪魔、だあっ!」
叫んで、燃やす。一番強い使い方を、思い出しながら。あの一夜。向かってくる車を、それが自分に衝突しようと走ってくるまでの間に鉄屑に変え続けた時間。あの巨人が何でできているのかはわからなかったけれど、鉄よりは柔い物体だったらしいということはわかった。
怯んだように、その大きな手が引っ込む。たたらを踏むようにしてその脚まで動いて、身体が移動するのに合わせて、残ったシェルターも轟音を立てて破壊されていく。降り注いでくるそれも、落ちてくるまでの間に消し炭に変えて、祐弥は進む。名前を何度呼んでも振り向かないものだから、後ろから手を掴む。
嘘みたいに冷たかった。
少し前までの祐弥なら、それを氷みたいに、と思っただろう。けれど、今は少しだけ違う。今は、記憶が戻ってきているから。今は、シェルターの天井が、壊れているから。もっと別の言葉を使う。
雪のように、冷たかった。
今になって、祐弥はようやくわかった。永に近付いた意味。気を許した理由。
同じだったからだ。
同じように、何かを失っていた。
同じように、何かに守られていた。
同じように、たぶん、寂しがっていた。
だから寄り添った。自分の寂しさを埋めるために、相手の寂しさを埋めた。
それはきっと、傷の舐め合いと呼ばれるものなのだろうけど。
「永」
祐弥は、その一瞬だけ、優しい声で、
「ありがとう」
先に進まなくてもいいと言ってくれて、ありがとう。
結局考えなしだから、前に進んじゃったけど。
優しくしてくれて、ありがとう。
もっとたくさん、話を聞いてあげればよかった、と祐弥は思う。話すばかりで、聞いてもらうばかりで、こんなところまで来ているというのに、未だに永に優しくする方法がわからない。
自分一人だけが生き残ったとき、どんな気持ちだった?
そのことに、どんな風に整理をつけた? それとも、つけられなかった?
いつから自分の記憶が消えてることに気付いてた?
それが戻ってきたときどう思った?
どんな気持ちで、最後に、なんて言った?
聞きたいことは山ほどあった。
もっとちゃんと、話を聞いていればよかった。そう思うけれど、過去は変えられないから。
話を聞くための時間を、これから山ほど取るしかない。
「――――」
顔を上げて、祐弥は巨人を見つめる。
初め、真っ赤に燃えていた炎は、色を変えていった。
祐弥の中にあった怒りも、永を見つけてから、形を変えていった。ただ自分一人だけのものではなくなる。握った手が、体温を通して、交換し合う。祐弥からは怒りを伝える。永からは、悲しみが伝わってきているように、祐弥は思った。
自分の中にあるものがどんな形をしているのか、触れ合うことでわかっていく。祐弥の手は少しずつ冷たくなっていって、永の手は少しずつ熱くなっていく。
そしてようやく、永と目が合った。
祐弥は微笑んだ。
そして、こう思った。
悲しみとの付き合い方は、永が教えてくれた。
だから自分はお返しに、怒りとの付き合い方を教えてあげたい。
「こんな風にさ」
ぶっ放すんだ。
真っ赤に燃えていた炎が、色を変えていく。赤からオレンジに。オレンジから黄色に。黄色から――、
雪の色。
きぃん、と深く、高い音が聞こえて、後はすべてが、真っ白に光った。




