七話 ストラザール村の少女(7)終
「…………。」
街の広場で焚かれるかがり火を見ながら、広場の隅でヘレナは黙り込んでいた。
いくら怒りに呑まれていたからと言って、人を殺めてしまった事実をいまさらながら実感していたのだった。
ヘレナの門出と、村が救われた祝いだとして村人総出で催してくれた宴会ではあったが、ヘレナはその宴を楽しむ事が出来ずにいた。
宴会の最中は、何とか笑顔を作れていたが、人々が散り始め、明々と燃えていたかがり火が段々と熾きになってくるにつれて、ヘレナの表情も曇って行った。
「どうしたんだい? ヘレナ。」
「あ、お義父さん……。あたし……人を……。」
途中まで言いかけて、言葉に詰まり、涙が溢れて来る。
「そうか。ヘレナはやっぱり優しい子なんだな。」
「……あたし……優しくなんて……。」
「僕はね、彼らの事を悼む気持ちなんて無い。それに、僕自身が今まで殺めて来た人の数は、ヘレナには聞かせられない位だよ? 義母さんだってそうだ。」
「だって……お義父さんは……。」
言いかけてヘレナは口を噤む。
今、自分が自分を否定する事は、義両親が行ったことを否定する事に気が付いたからだった。
「さ、ヘレナ。折角だから、僕たちの昔話と懺悔を聞いてくれるかい? 」
そうして、イワンに手を引かれたヘレナは、自宅へと戻る。
今日、最後の別れだと思った扉をとおり、熾きなテーブルが置かれている部屋へと案内される。
サーシャは洗い場でまだ片付けをしているようで、カチャカチャと食器を洗う音が聞こえていた。
「さて、ゼーレンはもう寝てるから、ゆっくりと話をしよう。サーシャ。君も来てくれ。」
サーシャが前掛けで手を拭きながら戻って来たのを確認して、イワンはぽつぽつと話をしだした。
「僕が、この辺りを受け持つ第十三大隊に配属されたのは、今から七年前の事だった。この村がその師団の本部陣地跡なんだよ。」
ちょうど公国との戦争が、一番激しくなっていた頃で、イワンたちのような兵士になりたての新兵すら、最前線に送られてしまうようになっていた。
当時は、騎士達が名乗りを上げて戦う旧来の方法から、大規模な魔法を撃ち合う魔法戦、そして、大魔法で兵士が損耗するのを防ぐ為の塹壕戦へと移行して行く最中だった。
泥を掘った溝の中で、相手の魔導士の魔力が尽きるのを待ち、わずかな隙をついて相手が同じように掘っている塹壕へと飛び込んで行き、狭いその中で、口にするのもはばかられるような凄惨な戦闘が行われた。
「その当時の話は、決して人が知る事は無いだろうけどね。」
自嘲気味に話すイワンの顔には、苦渋に満ちた表情が浮かんでいた。
そうした戦闘では、魔力だけじゃなく、命さえ湯水のように消費される。
家族の居る者は、死に物狂いで少しでも安全な配属先を希望して、賄賂を贈るようになり、その結果、軍には汚職が蔓延るようになった。
そうした結果、激戦地であったこのストラザール村に配属される新兵は、イワンのような身寄りのない者、そして亜人たちであった。
「そうしてね。その第十三大隊の中の、第三小隊と言う部隊で、僕はサーシャと出会ったんだ。」
「そうだったんですか。でも、なぜ国境から少し離れたこちらを公国は狙ったんですか? 普通なら、ボイゼンの街に向かうんじゃ……。」
「それはね、あの『牧草』は精製すると麻薬になる。軍はそれを裏社会を通じて、公国に流してた。その時にヨーゼフやバルダもここに来ていたんだ。」
「え……。」
「麻薬が蔓延れば、国の力は衰える。さらに、莫大な資金も手に入る。だから、公国はこの村を重点的に狙うようになった。」
一般的には、攻めるよりも、守る方が戦力は少なくて済む。
そして、指揮官としてここの部隊を率いていたのは、平民出身のストラザールと言う若い将軍だった。
彼はイワンのような兵士一人一人に分け隔てなく接し、そして出来るだけ損害を出さないように戦った。
普通なら、王都で軍務に就くような立場の彼がここで泥に塗れていたのは、功績を挙げ続ける彼に対する貴族たちによるやっかみだと言われていた。
しかし、物資も人も足りない状態での戦闘には、どうしても限界が来る。
数年に渡って防御に徹していた第十三師団も、既に満身創痍となっていた。
そして、大規模な軍勢がすぐ近くまで迫っていると報告が上がった夜、黒い鬼によってストラザールが討たれてしまう。
「その時、僕は本物の黒い鬼を見たんだ。」
「そうだったんですね……。」
「そして、二万の大軍が二千に満たないこの陣地を囲んだ時、僕たちを逃がしてくれたのが、小隊の隊長をしていたヘレナのお父さんと、魔術師のお母さんだったんだよ……。」
「………!! 」
決戦は明日だろうと言われた日の夜、最後だからと小隊のみんなに結婚式をしてもらったイワンとサーシャは、そのままはしごを外した地下室へと放り込まれた。
そこから出るには、ヘレナと同じように横穴から陣地の外に出るしかない。
「何をするんだと怒った俺たちに、穴の上から顔を覗かせた隊長は、僕に……。いや、すまない。僕に、君たちを頼むと言って笑いかけてくれたんだ。しっかり生きろと言ってね。」
イワンの声は途中から震え、必死で涙を堪えているのが解る。
「どうして……どうして父さんと母さんは逃げてくれなかったのでしょう……。」
「それはね。あのままこの陣地を放棄すれば、ヘレナたちが居たボイゼンにそのまま大軍が向かう可能性があったからなの。」
ヘレナも、最後の決戦と言われた戦闘が、この村であった事だけは聞いていた。
数に劣る守備隊が必死で抵抗し、公国の大軍を足止めし続けた結果、援軍によって公国の軍勢は退けられた。ただ、守備隊は既に生き残りは居らず、その全員に王から勲章が贈られたと言う話だった。
その数日後、王国と公国の間で講和が行われ、長きに渡って続いた戦闘は終結する事になったのだ。
何とか夜の森を抜けて脱出出来たイワンとサーシャだったが、ボイゼンに向かう途中、それまでの疲れと疲労から、サーシャが倒れてしまう。
廃屋となっていた農家に身を隠し、一週間ほどで何とか歩けるようになったサーシャを連れて街に着いた時には、既にヘレナとゼーレンが居たはずの保育所は閉鎖され、自宅に向かうもそこは空き家となっていた。
「バルダが来たのは、終戦日の翌日でしたから…。」
「あと一日早ければ間に合ったのね……。ごめんなさい……ヘレナ。」
「そんなっ……。お義母さんは何も……。」
涙をこぼすサーシャの姿を見て、ヘレナは慌てて否定する。
「そして、必死で周りの人に聞いて、ヘレナたちが連れ去られたといった場所を突き止めた時、あのヨーゼフとバルダに僕らは見つかったんだよ。」
「それで……。」
「ああ、そうだ。君たちを返しても良いが、条件があると言われてね。それが、この村を開拓村として登録するから、まだ残っている『牧草』を刈る仕事をしろというものだった。」
「そんな急に開拓村の登録なんて出来るものなんですか? 」
「多分……。貴族の間では、戦争の終わるずっと前から色々と決まってたんじゃないかな。僕らは想像する事しか出来ないけどね。」
「じゃあ、まだこの村は危ないんじゃ……。」
もし、この村で行われていた麻薬の生産に、貴族が関わっていたとしたら、まだこの村は危険だろうと思われた。
「昨日、あのキャロラインと言う騎士が言ってたろ? 今後騎士団が駐屯して、この村の調査をするって。それに僕たちの鎧に付いていた第十三大隊の紋章には気が付いていたはずだよ。」
「それって…どういう意味なんですか? 」
「騎士団は王家直属なんだ。だから、どんな貴族だろうが手は出せない。それに、あの黒い鬼の事も知っていたようだったしね。だから、何があっても村のみんなは無事だよ。」
「じゃあ、もう安心して暮らせるんですね! 」
「ああ、その辺りに関しては僕たちもホッとしてる。悪党どもに目を付けられる事も無いだろうしね。」
「良かった……。」
当面この村が襲われる事は無いと解って、ヘレナはホッと胸を撫でおろす。
「それから僕たちは死に物狂いで働いた。徐々に人も集まって来て、やっとここまで来たんだ。だけど、ここにアンデッド……。いや、彼らが集まって来るようになってしまったんだ。」
「あれは……アンデッドじゃないんですか? 」
「そうだ。あの『牧草』を精製して出来た『神酒』と呼ばれる麻薬は、強烈な多幸感を得られる代わりに、使い続けるうちに精神が壊れて行ってしまうんだ。そして、限界が来ると、完全に精神が壊れたまま、ひたすら『神酒』を求めて徘徊するようになる。それに……。」
「それに……何ですか? 」
「日の光を恐れるようになるのと、そして……死ねなくなるんだ。だから永遠に彷徨うアンデッドと変わらなくなる。」
「ひどい……。……もしかして……。」
「その通りだ。納屋に積まれていた牧草の香りに引かれて来たんだよ。彼らは。」
「じゃあ、あの夜に塀でガリガリと音を立ててたのは……。」
「……そうだ。麻薬中毒になった人の成れの果てなんだよ。」
「……。救う方法は無い……んでしょうね。」
そこまで聞いて、バルダに『心を壊す』と言われた方法に思い当たる。
「……。かと言って、『牧草』を集める事を止める事は出来なかった。そうすればどうなるかは明らかだったから。だから、苦肉の策で、冒険者組合にアンデッド討伐だと言って依頼を出す事にしたんだよ。もし、当時の話を知る者が居れば、来てくれるかも知れないと思ってね。」
「……そうだったんですね。そして、あのカイルさんが来た……と。」
「ああ、本当はパーティ単位での依頼をしようと思ってたんだ。まさか『黒い鬼』本人が一人で来るとは思わなかったけどね。」
「まさか……! 」
「そうなんだよ。だから僕は彼の顔を見た瞬間、今までして来た事の清算をしなくちゃならない時が来たんだなと思った。」
「あなた……。」
「そして、悩んだ挙句、サーシャに『牧草』の取引を止めたいと相談したんだよ。大喧嘩になっちゃったけどね。」
「あの時は……そうだったんですね……。」
酒を浴びるように飲んで、いつもと違う軽薄な笑いをイワンが浮かべていたのは、そう言う理由だったのかとヘレナは納得する。
「僕は君のお父さんのように、死を覚悟して笑う事なんて出来なかった。恐怖を紛らわすのには、酒に逃げるしか無かったんだよ。」
「だけど……。義父さんは……。」
「ああ、ヘレナ、君に叱られてやっと覚悟が決まったんだ。本当に俺を叱る時の表情が良くハインリヒ隊長に似ていてね……。」
「でも……。」
「いいんだ。ヘレナ。それに、ヘレナの治癒の力も知っていた。だけれども、この村で過ごすならそれで良いと思ってたんだ。」
「また戦になれば、大きな力を持つ者は、また辛い目に合うんじゃないかって思ったの。それに、街に出ればヨーゼフ達に何をされるか……。」
「……もし、同じような事があったとしても、僕は君たちの為なら同じ道を歩むと思う。これが、僕たちの罪と昔話だ。僕たちを赦してくれるかい? 」
真剣な目でイワンとサーシャはヘレナの目を覗いて来る。
イワンとサーシャのして来た事、そして、国がして来た事。どちらも赦されるものでは無い事は良く解っていた。
だけれども、自分が同じ立場に置かれた時、どうしていたかと考えると、途端に解らなくなる。
結局、自分がヨーゼフたちを殺した時のように、怒りに任せて命を奪ってしまうかも知れない。だから、自分が行おうとしている事は、本当に一番良い方法なのかを考え続けるしかないのだ。
「……赦すとか赦さないとかは、正直よく解らないの。同じ方法を取るかも知れないし、新しい方法を思いつくかも知れない。でも、お義父さんとお義母さんがしてくれた事は、私たちを守るためだったって、よく解ってるから……。」
そうして、三人はしっかりと抱き合い、夜が明けるまで思い出話にふけるのだった。
後の世に、大魔導士と呼ばれ、周辺諸国との戦をその存在だけで抑え、魔人に率いられた魔物の軍勢を仲間と共に退けたヘレナ・ハインリヒ・マリベル・イワノフ・サーシア・ストラザールの旅は、このようにして始まった。
ただ、その影に一人の冒険者が居た事を知る者は少ない。
こちらのお話しは、今回で終わりになります。
拙作を呼んでいただき、本当にありがとうございました。