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85 板挾み

        ●




 父と二人で斜面を下りてしばらく舗装された道を進むといくと建物、つまり我が家に戻れた。 

 母屋の横でバンから荷物が下されている。

 作業をしているのは山崎先輩と加賀原先輩と幅沢先輩で、藤吉先生が離れて様子を見ている。監督しているというより、眺めているような姿勢だ。

 母がその藤吉先生の横で、時折、何かを問いかけていた。藤吉先生も笑顔で応じている。

 そこへ俺と父が出てきたので、全員が気を飲まれたようだった。

 いや、母と藤吉先生だけは落ち着いていた。

「あら、お父さんですか? 初めまして」

 藤吉先生が楽しそうに近寄ってくる。

 その父の肩の上にあるものがイノシシだと気づくのには少し間があったようだ。普通の人間がナチュラルにイノシシを担いで登場することはないだろうから、普通の反応だ。

 加賀原先輩も幅沢先輩も動きを止めて、目を丸くしてこちらを見ていた。山崎先輩ですら口をぽかんと開けていた。

 ちょっと痛快だが、誰が説明するのだろう? 俺か?

 硬直した空気の中で父が乱暴にイノシシを地面に落としたのだが、あまりに乱暴というか暴力的すぎたのだろう。俺に疑いの目、非難の目が向けられた。

 言葉こそないが、正気か? というのがこの場の総意というのは明白だ。

 だが、ここで俺を見られても……。

 父親が明らかにビビって足を止めていた藤吉先生に歩み寄り、手を差し出す。

 その様子をはたから見ると父の手が異常に大きいとわかる。藤吉先生の手と比べると、大人と赤ん坊のようにも見える。

 気を取り直した藤吉先生が父の手を取り、二人は手を握り合うと笑みを交わした。

 これこそ美女と野獣だ、と思ったが、それは加賀原先輩と幅沢先輩も思ったことだろう。

 握手を済ました二人がまったく自然な様子で「イノシシはどこで?」とか「山で襲ってきたんでね」とか、「ここでシメる?」、「ええ、裏に屠殺場を作ってあります」とやり取りを始め、そのまま話がどんどん進んでしまう。

 どうやら俺があれこれ言う必要はない。ありがたい。

「屠殺場の見学はしない方がいいでしょうな。肉を二度と食べられなくなりますよ」

 父の言葉に、察しがつきますと藤吉先生は笑っている。

 なんというか、俺は父を基準に考えていたが、一般常識からするとかなり妙な二人である。

 俺がそう思っているのだから、その場にいる加賀原先輩と幅沢先輩はもっと強い違和感を受けたに違いない。

 そこへ様子を見ていた母が割って入った。母だけはずっと平常心だったのも確実だ。

「おしゃべりはそれくらいにして、早くシメてくださいね。鍋でいいですね?」

 それだけの言葉に父が剛毅な笑みを見せ、おう、と応じた後に、また後で、と藤吉先生に告げるとイノシシを簡単に背負いあげた。

 よろしくお願いします、と藤吉先生は笑っている。父の常識、ここの常識に適応した雰囲気だった。

 軽やかな足取りで母屋の裏手へイノシシを運んでいく父を何か異質なものを見るような目で見送る山崎先輩、加賀原先輩と幅沢先輩への説明が面倒で、俺は母に「他の二人は?」と問いかけた。幸坂先輩と満月のことである。

 母がどこか苦笑いしながら答える。自分の旦那の非常識さを思い出したのかもしれない。

「あの二人はおばあちゃんと田んぼの方にいるよ。ドローンを調整してもらっている」

「ああ、なるほど。具合が悪かった?」

「少しね。そろそろ終わるんじゃないかしら」

 そっちへ行ってみると、と口にするとさすがに加賀原先輩と幅原先輩が俺について行くと言い出した。イノシシが肉になる現場から離れたい気落ちもわかる。当然だ。

 ただ、それは叶わなかった。藤吉先生が「荷物を整理してからね」と引き止めたのだ。

 加賀原先輩と幅沢先輩が悲壮な顔つきになる一方、山崎先輩だけはチラチラと父が消えた方を伺っているのが見えた。。それはそれで不穏だな……。

 ともかく、俺はまんまとその場を離れ、田んぼへ向かった。

 母屋を離れ、道をたどっていくと山を切り取って作った棚田が見えてくる。

 かなり広い範囲に渡り、今は水のきらめきよりも、育っている稲の緑が目に眩しい。

 すぐに祖母と幸坂先輩、満月の三人が畔にいるのが見えた。

 満月と祖母はしきりに空を見上げて、幸坂先輩は手元で端末を操作していた。その端末は祖母が使っている端末ではなく、幸坂先輩の私物の端末だった。

 俺の足音に、三人が振り返る。祖母が柔らかい笑みを見せた。この人から俺の父が生まれたとは、想像しづらい。しかしそれが事実なのだ。

「おや、ハチ、もう戻ったのかい?」祖母の声もやや懐かしい。「あいつはそばにいたのかな」

 あいつとは、父のことだ。

「まあね。父さんはすぐ見つかった。昼間はイノシシ鍋だよ」

 まったく脈絡がないだろう発言に満月も幸坂先輩も不思議そうにしているけれど、本当に説明しづらいので俺は話題を逸らすべく二人に別のことを聞いた。

「ドローンの具合が悪かったらしいですけど、どうですか? うまくいっていますか?」

 ああ、と幸坂先輩が端末のキーを操作する。

「水田管理用の多機能ドローンはほとんど触ったことがなかったけど、学校で勉強したことが活きたって感じかな。これくらいは藤吉先生ならあっという間に直しただろうから、僕はちょっと手こずったってことだね」

 風を切る音が複雑に聞こえてくる。

 視線を転じると水田の上空にはドローンがすでに十機以上、飛び回っている。

 水田の状態を複数の方式で把握して管理するための機材だった。

 ドローンはコンピュータを介して水門とも繋がっているし、ドローン自体が肥料を撒いたりもする優れものだ。

 これで水田の管理がだいぶ無人化されている。

「稲刈りの時はどうするんですか? ものすごく広いですよね」

 イノシシ鍋の疑問を脇へ置いたらしい満月が、そんなことを祖母に問いかけた。祖母は穏やかに答える。

「無人のコンバインもあるし、その頃にやってくる出稼ぎ人もいるからね、たいして困りはしないよ。あと何ヶ月か先だけどね、稲刈りを見に来るかい?」

「いえ、きっと学校がありますから、難しいと思います。ですが、もし余裕があれば是非、拝見させてください」

 満月は丁寧に答えているが、それに祖母が照れているようだと俺には見て取れた。

「都会の子はどうも、うちのような乱暴者とは違うね。みんな、そんなに丁寧なのかねぇ」

「乱暴もの、ですか?」

 ちらっと満月がこちらを見るそぶりをしたので、俺は咄嗟に首を左右に振った。

 祖母が言っているのは父のことだ。俺は違う。そのつもりだ。

 二人の会話は俺をよそに続いていく。幸坂先輩は黙ってまだ端末の操作を続けていた。

「出稼ぎというのは、この辺りに集落があるのですか? それとももっと遠くから?」

「まちまちだね。どこかから学生が来たりすることもあれば、外国人の時もある。しかし、大半はうちの息子に用事がある連中さ」

「息子? 息子というのは、ハチの、いえ、八一郎さんのお父さんですか?」

 にやにやと祖母が笑う。

「かしこまることはない、みんなハチと呼ぶんだ、家族でもね。あんたもハチで構わんよ。そう、息子というのは私の息子、つまりハチの父親のことだね」

「用事というのは、どういう?」

 祖母が一瞬、眉間に皺を刻んだのを満月は見逃さなかったようだ。

「いえ、無理に聞きたいわけではありません、失礼しました」

 しかし祖母は苦り切った顔のまま、忌々しげに答えたものだ。

「別に失礼ではないね。あいつがやっているのは、格闘技というかね、そういう種類のものらしい。で、あいつに用事がある連中は殴り合いの練習に来るのさ。粗野な乱暴者だが、あれでも慕う奴が何人もいるということ。いやはや、おかしな世の中だねぇ」

 いっぺんに説明され、満月の方も内容を整理するためにか渋面になっていた。

 普通の価値観、一般常識では解読が難しい話だったろう。

 小声で、殴り合い? と呟いた満月が首を傾げる横で幸坂先輩は端末を畳んだ。そして祖母の方を振り返って笑顔を見せた。

「お祖母さん、ドローンの調整はおおよそ終わりました。これでしばらくは正確に機能するはずです」

 悪いね、と祖母が応じるのに、合宿を受け入れてくれた謝礼のようなものです、と冗談めかして幸坂先輩が答えている。祖母も嬉しそうだが、どうも祖母は幸坂先輩が気に入ったようだ。

 その幸坂先輩が俺にも笑みを見せたので、ピンときた。

 どうやら幸坂先輩は俺の家族について先に何か聞いているらしい。藤吉先生が伝えたんだろうか。

 ただ幸坂先輩の笑みは少し微妙な色をしていて、先ほどの祖母の発言の曖昧さに困惑しているようでもある。

 事前情報があるらしい幸坂先輩ですらそんな様子なのだから、事情を知らない満月にはさっぱり理解できなかったのも無理はない。

 さて、と祖母が立ち上がって腰をトントンと叩いた。

「じゃあ、帰るとするかい。今日はイノシシか。たまには良かろうよ。ましてやお客も大勢いることだし」

 そんな風に言って祖母が歩き出すのに自然に幸坂先輩が続く。その後ろに俺と満月がついた。歩きながら、満月が小声で問いかけてくる。

「イノシシって? どこかで買ってきたってことなの?」

 隠しきれないが、明言はしづらい。だが、嘘を言っても仕方がない。

「買ってきた、というより、狩ってきた、というか……」

 正直に話したくても、できないこともある。

 曖昧な言葉のニュアンス、ほとんど言葉遊びを即座に理解できるわけもなく、満月が視線ではっきり答えろと促してくる。

 さりげなく視線を外しておく。それでも頬に視線を感じた。

「戻ればわかる」

 言い訳そのものの俺の発言に、満月も問いを引っ込めた。教えてもらえなくても構わない、と不機嫌が覗いている。

 俺の疲労感に誰か、気づいて欲しい。こういうのをジレンマというのだろうか。ジレンマというのは板挾みをいう意味であっていただろうか。

 それにしても、これから俺は誰に、どれだけのことを説明しないといけないのだろうか?

 理解を得るための説明と努力、そうした過程を想像するだけで、気が重くなった。




(続く)

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