81 サングラスの意味
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俺は数秒の間、大滝先生を見た。
先生は真剣な顔つきで俺を見返している。やはり冗談を言っているようには思えなかった。
「サングラスだけで、俺が変わると本気で言っていますか?」
ふむ、と大滝先生は一度頷いた。
「もしかしたら何も変わらないかもしれない。きみはもう行使者としては終わりで、復帰は不可能かもしれない。だが、試してみても悪いことはあるまい」
「藤吉先生は」
俺は記憶を辿った。つい最近のことなので、はっきりと思い出せた。
「藤吉先生は、俺の中に怯えがあると言っていました。大滝先生も同じ意見ですか?」
「怯えか。なるほど、表現は様々にできるが怯えといえば怯えだろう」
「怯えを克服すれば、俺はもっと力を発揮できるということすか?」
「その理屈は違う。二つ、勘違いがある」
そう言うと、大滝先生は指を二本立てた。
「一つは、克服はできないということ。もう一つは、もっと力を発揮できるわけではない、ということ。きみが持っている力は、本来的にきみが持っている力か、きみが身につけた力だけだ。いきなり強力になったりはしない」
言葉の意味を俺は吟味した。
克服はできない、ということは、ある種の傷のようなものか。
古傷として、いつまでも残る傷。
そして、俺は力を失っているとしても、それを取り戻した時に以前より力が増すということはない、と大滝先生は言っている。
苦難を乗り越えた時により強くなれる、というのは願望、もしくは創作という認識か。
「俺は、弱いということですか」
そう切り出すと、大滝先生は小さく笑い、不意に席を立った。
「弱いとは一言も言っていない。きみは入学試験の時から異質だったし、それ以降も順調だっただろう。有能な探求者候補生がつかなかったのは不幸だし、それどころか探求者候補生の犯罪に利用されたのは大きすぎる不幸だったが、自力に関しては充分だ」
「あまり、嬉しくない評価なのですが……」
ふむ、と大滝先生が小さく顎を引く。
「今の言葉であまり嬉しがられても困る。きみが有頂天になるのは私の意図とは違うのだから。私は、これで失礼するよ。きみも早く涼しいところへ移動しなさい、熱中症になる。ドーナツをどうもありがとう」
片手にカップを持ったまま、一息に言った大滝先生は俺の前を横切るとそのまま去って行ってしまった。
俺はその背中を見送り、牛乳の入ったカップを口元へ運んだがだいぶぬるくなっていた。
まぁ、味にはさほど変化はないか。
ぐっと飲み干し、残っているドーナツを口に突っ込んだ。
ゆっくりとベンチを離れ、その時には実習室へ直接には行かずに寄り道すると決めていた。
あの店はどこにあったかな。
敷地が広すぎて、あまり利用しないショップは敷地のどこにあるのか、すぐにわからなくなってしまう。盛大に緑化されているので樹木で見通しが悪いのも影響している。
それでも十分と経たずに目当ての店にたどり着いた。
メガネやコンタクトレンズを扱うショップで、他にもいくつかのショップと一つの建物に同居している。
前にこの建物に来た時には別の店を利用して、横目にメガネが陳列されているのを見たのだった。
ショップに入り、サングラスを探す俺に気付いてすぐに店員が近づいてきた。
生徒相手でも丁寧な接客をするのは、生徒に社会性を身につけさせるためだとよく言われる。大人とは相手が誰であろうと品行方正、という認識を与えるのは俺は悪くないと思う。
店員は俺の話を聞くとサングラスのコーナーに案内してくれる。そこで俺からいくつか要望を伝えた。
なるべく頑丈で、目立たない奴。
店員は特に質問を返すわけでもなく、手早くいくつかのサングラスを持ってきてくれる。それぞれの商品の説明も淀みない。
俺はサングラスを実際にかけて鏡を見て確認した。
サングラスは初めてかけたけれど、周囲が薄暗く見えて落ち着かない。
こんなことで、俺の中の怯えとやらがどうなるというのだろう。
それでもと、俺は一番頑丈という奴を選んでそれを購入した。
やや高い値段設定だったが、さすがに日用品や消耗品ではない嗜好品に対しては、魔法技専でも値段を抑えるのは困難という事例の一つだ。
サングラスを受け取って店を出て、その場ですぐにかけてみた。
うーん、やっぱり落ち着かないな。
結局、その日はサングラスは店で受け取った時にもらえたケースに入れておいて、出さなかった。
翌日、事前に申し込んでおいた有志の格闘訓練の講座に俺は出席した。
会場の教室に入ったところで、すでに室内にいた生徒の空気が変わり、俺を見る目つきには露骨な侮蔑が浮かんだ。
これはもう日常で、特別なことではない。
教室は全面が畳敷きで格闘技の実習に特化している。
似たような部屋は技専には無数にあり、他にも様々な格闘技の訓練や稽古を前提とした部屋も数多くある。
教官がやってきた時、生徒の数は十人ほどになっていた。
おおよそが一年生だが、みんな入学してから半年で体が出来上がりつつある。
俺は上背ばかり高いが、まだ細身な部類に入るかもしれない。
「よし、始めるか。まぁ、これは正式な授業じゃない。生徒同士の交流も兼ねて適当に組んでやってみろ」
そんな教官の投げやりな指示で、すぐに他の生徒たちが組みを作っていく。
こういう時、俺は当然のようにあぶれる。
それがいつものことだ。
しかし今回もあぶれるはずが、一人が近づいてきて笑いながら「やろうせ」と声をかけてきた。
その笑顔は友好的ではない。
なんというか、挑発的、挑戦的な笑みだった。
この講座ではグローブはつけるが、ヘッドギアは無しだった。他の防具も無しだ。急所への攻撃以外はなんでも許されるのも、有志のみの講座ならではだ。
俺はその生徒とスパーリングを始めた。
やはりどれだけ打撃を打ち込んでも、相手は倒れなかった。
長い間、半ば息が上がるほどやりあったがお互いに決定打はなかった。
教官の声がかかり、組を変えることになった。
内心で舌打ちしている俺に、相手をした生徒はにやにやと笑いながら一礼する。
それから仲間らしい生徒に声をかけ、声をかけられた生徒が入れ替わりに俺のところへやってきた。
二人の間でどんな言葉が交換されたかは聞こえなかったので想像だが、大したことはない、とでも言っていたのだろう。
「ちょっと待ってくれ」
俺は次の相手に声をかけて一度、その場を離れた。逃げるのかよ、と呟く声が聞こえたが無視した。
一度グローブを外し、部屋の隅に置いておいた荷物からサングラスを出してかけた。
やはり周囲が薄暗くなる。
俺が急にサングラスをかけたからだろう、ヒューっと生徒がおどけたように口笛を吹く。
「八角」
教官も声をかけてきた。教官は不機嫌と苛立ちが半々の顔つきだ。
「怪我をしても知らんぞ。サングラスは外せ」
「いえ」どう言えばいいかは考えていなかったから、返答はヤケクソだったと言える。「怪我は自己責任だと思っています」
それでも教官は何か言おうとしたが、彼の自己責任ですから、と俺の相手をする生徒が口にしたことで説得を諦めたようだった。
ただ、教官は俺の相手をする生徒に「気をつけろよ」とは注意した。
何に気をつけるかは俺には微妙なところだったが、その生徒は俺に怪我をさせるなと言われたと解釈したようだ。表情を見ればわかる。
俺ははめ直したグローブの感触を確認し、相手の生徒の前に立った。
相手はすでに構えている。
合図は何もない。すっと相手が踏み込んでくる。
動きが露骨だ。
何かの欺瞞、誘導が隠されているのではと疑いたくなるほど、まっすぐで、単純だった。
俺の体が動く。
滑らかに。
そして鋭く。
右の打ち下ろすようなストレートがまさしく一直線に相手の生徒の顔面を捉えた。
生徒は体ごと横転し、そのまま畳の上に伸びてしまった。
室内が静まり返り、俺だけが自分の右手の様子を確認していた。
教官が駆けつけてくるのを眺めつつ、俺は短く息を吐いた。
サングラスなどという小手先の工夫で、こんな形になるとは驚きだ。
不思議なこともあるものだ、と化かされたような気分だった。
教室に教官が呼んだらしい医者が駆けつけてきて、その場で生徒の様子を診始めた。すでにその時には生徒は意識を取り戻していたし、受け答えもはっきりしていた。
重大な怪我はしていないのははっきりしているが、これでまた俺に変な噂が増えるのは確実だ。
「失敗だったな」
生徒が介抱されている横で教官が俺のそばに来て小声で言う。
「殴られる方に気をつけろというのではなく、殴る方に加減しろって言うべきだったよ」
どう答えていいかわからないので、すみません、と答えておいた。
傲慢に聞こえる返答だっただろうが、他に言いようもない。
その日の講座では、俺はさらに三人を殴り倒し、一人を蹴り倒した。
さすがに加減したので医者の世話になる生徒はもういなかったが、講座が終わる頃には俺に向けられる視線は蔑視ではなく、畏怖のようなものに変化していた。
俺が怯える以上に、周りが怯える、か。
教室を出る前にサングラスを外して視界に明かりが戻った途端、わずかに指が震えた気がした。
手を握ったり開いたりしてみた。
震えはそこには少しもなかった。
(続く)




