5 印象
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俺が何も言えないところで、まだ名乗ってもいない女性は愉快げに笑っている。
「結構、これまでの実技試験をチェックしてきたんだけど、あんな結果は滅多にない」
うんともすんとも言えない俺に、女性は笑いが止まらないようだ。
「防具をつけている相手を病院送りにする中学生って、そうそういないもの。一人は肋骨にヒビが入って、一人は歯が二本折れた上に顎の骨にヒビが入るとは。恐れ入った、としか言えないなぁ。そういう結果を、まさか本人は忘れているとか?」
とんでもない、と答える俺だが、顔は苦り切っていただろう。
実技試験の中に格闘技の実戦的な試験があった。ルールはほとんどなく、殴るか蹴るか締めるか、投げ倒すか、ともかくありとあらゆる手段で相手を降参させるのが勝利条件になる。当然、お互いに防具をつけてやるのだ。武器の類は使用不可能だったから、受験するものは仮に剣道の有段者であっても、素手で戦うことを求められる。
はっきりと聞いたわけではないが、受験者には見るからに空手や柔道の経験者、ボクシングや総合格闘技の経験者が大勢いた。他にもレスリングや相撲の経験者もいたようだ。
行使者候補生になろうとする受験生は、管理者候補生や探求者候補生を目指すものより年齢層が高めになる。試験の段階で格闘技能を求められるために、一般的な中卒程度の体力や技能では高卒組などにはとても敵わない。体力もだが、インターハイに出るような人材が大勢いるので、インターミドル程度の実力でも苦戦することになる。
それでも中卒入学の行使者候補生がいるのもまた事実だ。
ともかく、俺はそんな百戦錬磨の体力自慢、腕自慢に混ざって、三試合を行う試験を、三人とも打ち倒して終えたのである。
試験の時に俺の相手をした三人のうち、一人は試合後も自力で立って下がったが、二人は無理だった。俺の拳が顔面に直撃した方は、試験会場の武道場の畳に完全に伸びていて、ピクリともしなかった。
すぐに救護班がやってきたし、俺も様子を見ていたが、係員に試験の邪魔になると遠ざけられてしまい、相手がどうなったのか、知ることはなかった。たった今まで。
女性が嬉しそうに話す。
「あなたのストレートが顔面に完全に入った子、失神していたからね。あれは驚いた。プロボクサーでも無理じゃないかな。ヘッドギアを付けている相手を、グローブをつけた拳で殴っているわけだから」
「……あれは、たまたまです」
「たまたま? 相手の負傷が? それともあなたの一撃が入ったのが?」
どう答えろというのか……。
ふふふ、と少し怪しげに笑った女性がすっと場所を空けた。俺と彼女は薄暗い通路で向かい合っていたので、彼女が横に退いたことでその向こうに階段が見えた。そこを上がればドームの客席に出るのだろう。入学式がどういう形かは知らないけれど、既に終わっているというが、では、今は何をしているのだろう。
すっと、女性が身振りで通路の先、眩しい方を示す。
「ま、楽しい学校生活の始まりだね、八角八一郎くん」
「えっと、それであなたは、どなたですか? 先生、ですよね?」
ああ、とやっと名乗っていない気づいたように女性が軽く頷いた。
「私は藤吉星羅と言います。教師だけど、あなたは行使者候補生だから、基礎教養でちょっと教えるくらいかな。それじゃあ、八角くん、入学式の後のイベントを楽しんで」
どうも、とやっと答える。それしか言えなかった。さすがに俺も内心、狼狽えていたのだ。
自分が技専の教師、教官の間でそこまで話題にされているとは想像もしていなかった。確かに試験ではやりすぎた感があったけれど。他の受験生も似たようなものだろうと勝手に想像していた。
バイバイ、と手を振って星羅は俺の横を抜け、元来た通路を戻っていった。
彼女の姿が見えなくなるまで立ち尽くし、意味もなく首を振りつつ、俺は通路を先に向き直った。ゆっくりと歩を進め、短い階段を上がりきった。
光の中に、踏み出す。
それまでも聞こえていた歓声が爆発的に膨れ上がった。
「おーっと! これは危ない! 凌げるか!」
興奮した実況の音声が響き渡る。
客席には制服姿の生徒が大勢いて、一部には新入生の保護者らしい人々が密集している。
ぐるりと客席が囲むコート上では、二人の人間がぶつかり合っていた。
人間が、というか、おそらく人間か、としか言えない。
動きが早すぎて、咄嗟には視線が追いつかない。
二人の機動は目まぐるしい。どちらも人間の本来的な運動能力を超越している。
本能的に動きの速度が理解され、徐々に二人の姿が見えてくる。
どちらも体に密着するスーツを着ていて、膝や肘、肩など各所を防具が覆っている。頭部は小ぶりなヘルメットで隠れていた。
注意を引くのはそれよりも、二人の周囲の空間が揺らめいていることだ。
俺のような素人でも、それが魔力波動の発露だとわかる。
魔法というものにはいくつかの段階があるが、魔力波動とは人間に本来的に備わっているものだ。この魔力波動を操作、増幅することにより超常的な力を行使したり、身体機能を底上げさせるのが現代の魔法使い、行使者である。
スーツ姿の行使者がぶつかり合い、拳打と蹴打の応酬の後、弾かれたように距離ができる。先に青いスーツの方が距離を取ろうとするが、赤いスーツがそれをさせじと追いかける。
青がさっと手を振り、さらにもう一振りする。
空間に広がった魔力波動が凝縮し、波濤となって赤に襲いかかる。
赤はそれを地面すれすれまでぐっと身を沈めて回避しつつ、低空で飛び込んで一挙に間合いを詰めていく。
跳ねるようにして逃げる青と、それを追う赤。機動力に差があるせいで、赤が間合いをじわじわと縮めるのがよく見えた。
青は赤の足を止めようと次々と魔力波動を放つが、まったく当たらない。
そうして、ついに間合いはゼロになった。二人が改めて衝突し、瞬間的な超高速の攻防の結果、青がよろめいたところへ赤の回し蹴りが直撃する。
跳ね飛ばされた青がコートを転がり、起き上がろうとするところへ赤がとどめを刺そうと襲い掛かる。
赤が勝ち、青が負ける。
そう見えたが。
違うな、と俺にはわかった。
客席にいるどれくらいがわかったかな、とも思ったけど、知る方法はない。
客席の視線が集中する中で、赤が拳を振り上げ。
打ち下ろす。
まさにその刹那、赤の動きが不自然に止まった。
コートに倒れこんだ姿勢で、不自然な体をひねるような態勢になった青が、手のひらを赤へ向けている。
はじめは、何も見えなかった。
徐々に、浮き上がって見えてくる。
赤の周囲に漂う魔力波動が姿を現していた。
青の操る魔力波動が、赤の四肢を絡め取っていた。
赤から逃げながら青が放射し続けていた魔力波動はコート上に自分の魔力波動を配置するためで、命中しても良かっただろうが、罠を仕掛けるのが本来の目的だったのだ。
自分を拘束する魔力波動を赤が振りほどこうとするが、青がゆっくりと立ち上がった時には拘束は完全なものになり、赤は少しの身動きも取れなくなっていた。
ブザーが鳴り響き、決着を告げる。
青の勝ちだ。
実況が何やら叫んでいる。客席からは盛大な拍手が送られていた。コートでは模擬戦を終えた二人が構えを解いて、魔力波動の揺らぎは消滅し、赤と青のスーツの二人も引き上げ始めている。
まだ続くようなら俺も席を探さないと。
周囲を見ると、自分がいるのが新入生の席の一角だとわかる。空席はあまりない。それもそうか、一年生で入学式をすっぽかす人間はゼロではないとしても、そうそういない。
階段状の客席で上の方はそれでも空いているようだ。俺は階段を上がって、空いている席に着いた。その頃にはコート状では黄色と黒のスーツの二人が進み出ている。今度は二人共が得物を手にしていた。黄色が槍で、黒が剣のようだ。
席に腰を落ち着けた俺に、前の席にいた生徒が急に振り向いた。
「あんた、制服は?」
少年で、同年輩に見える。髪の毛を刈り上げていて、どことなく野球部を連想させる。彼の左右は空席だった。特にとっつきにくいようにも見えないけど。
「制服は、寮にある」
そう答えると、そうかい、と答えて彼は前に向き直った。と思うともう一度振り向き、自分の隣の席を示した。
「空いているから、こっちに来いよ」
はあ、と咄嗟に中途半端な返事をしてしまったが、せっかく誘ってくれたのだし、断るのも気が引けたので俺は立ち上がって、シートをまたぐようにして一列前に移動した。少年の右隣の席である。
「俺は増本辰っていうんだけど、あんたは?」
ナチュラルで簡潔な自己紹介もやはり無視はできない。
「八角八一郎」
フゥンと興味なさげだった辰が前に向き直ろうとしたが、何かに気づいたようにまた俺のほうを向いた。なんというか、忙し奴だ。
「なんか、あんたみたいな名前の奴が試験で受験生を病院送りにしたって噂を聞いたが、それってあんたのことかな」
どうだろう、と答える以外に、何ができたか。その通りです、と素直に応じる胆力は今の所、ない。
今度こそ興味を失ったように辰は前方に目を向けた。天井付近にあるスクリーンでカウントダウンが進み、試合が始まるところだった。
「これは何をしているわけ?」
それとなく辰に聞いてみると、彼はギョッとしたようだった。
「何って、新入生に向けた模擬戦のデモンストレーションだよ。聞いていなかったのか?」
「今さっき来たところなんだ」
「あ、そう。入学式に遅刻って珍しいな。肩を固めているようだけど、そのせいか?」
「そんなところ。で、これは何?」
「これはデモンストレーションで、俺たちが年に三回ある模擬戦で何をするか、実際に見せてくれているわけ。戦っているのは上級生だよ。でも、本気じゃないと思うけどな」
今度は俺がフゥンと応じる番だった。あまりよくわからないが、つまり目の前で戦っているスーツ姿の行使者はやはり候補生ということだ。実際の自衛隊の魔法行使者部隊の隊員などではなく。
カウントダウンが終わり、黄色の槍使いと黒の剣使いが間合いを詰めていく。と言っても剣道の試合のようにはならない。常に激しく動き続けている。間合いは刻一刻と変わり、立ち位置も変化し続ける。背後はもちろん、側面を突かれないようにしているのだろう。
結果、ジグザグに二人が疾走し、反転し、その間を武器による応酬が行き交うことになった。
「さすがに速いな」辰が呟く。「力任せじゃダメってことだな」
俺に言っているようでもなかったから答えなかったけど、俺はコートの上の二人には何かが足りない気がしていた。
辰が入っている速度や打撃力ではないし、戦術とかでもない。
二人の行使者候補生は、本気を出していない、というか……。
試合は進行していく。俺は席で黙ったまま、それを見続けた。
黄色と黒のスーツの残像、コートを満たす魔力波動の残滓を見つめ続けた。
(続く)




