26 初歩の魔法
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よーし、いいかぁ、と教官が声にする。
魔法技専では教師とか講師とか教官とか、先生の名称が異なることがある。教師というのは一般教養を受け持ち、講師はもっと専門的な内容の講義を受け持っているようだ。教官は実習の指導役である。
今、新入生のほぼ全てがドーム内のコートに整列していた。この時は制服ではなく、運動着姿である。
ドームは入学式後のデモンストレーションを見た時に知っていたけれど、実際にコートに降りてみると意外に狭い。広めのグラウンドという程度だ。
教官が拡声器を使って呼びかける。
「もうちょっと距離を取っておけよ。誰かが魔法を暴発させると怪我人が出るから」
ざわざわと生徒がお互いの距離をさらに調整する。
おおよそ全てが三人一組で、一部には二人組もいた。その二人組みのうちの一つが俺と満月だった。
「よーし、それくらいでいいだろう。行使者候補生は全員、模擬魔法杖を持っているな?」
模擬魔法杖は、模擬戦で使う試作魔法杖と違い、授業で使うための魔法杖のことだ。魔力波動を制御、増幅する機能は模擬魔法杖にもあるが、出力を制限するように設定されているし、そもそも模擬魔法杖は行使者候補生が魔法の扱いの基礎を学び、管理者候補生が魔法杖の管理と設定の初歩を学ぶためにある。探求者候補生にとっては、魔法杖の基本構造と意味を学ぶものだともいう。
「管理者候補生は相棒の行使者候補生の模擬魔法杖の安全装置を解除しろ。それが最初の仕事だ」
俺は隣に立つ満月を見て、「頼む」と模擬魔法杖を渡した。
見ていてわかるほど満月は緊張していたが、彼女は魔法杖を受け取り、傍に置いていた工具箱からよくわからない工具を取り出すと、その先で模擬魔法杖をなぞるようにした。
たったそれだけだった。すっと模擬魔法杖が返される。
「それだけでいいのか?」
「たぶん」
満月の声に自信がなさげなのが気になるが、いいと言うのなら、いいのだろう。
教官が、終わったかぁ、と間延びした声で言う。
「それじゃあ、行使者候補生は的の方へ移動しろー」
コートの一面に、的と呼ばれたものが置かれているが、どう見ても創作の中に出てくる射撃の的のようなものだった。的から離れたところに線が引かれているので、自然、行使者候補生がそこに並び、その後ろに管理者候補生や探求者候補生が控えた。
俺は模擬魔法杖を握ったまま、少し唸ってしまった。
的までは五メートルはあるのではないか。近いとも遠いとも言えない距離だ。
教官が全体を見て声をかけてくる。
「じゃ、適当に魔力を意識して、ぶっ放してみよう。生徒に向けて撃つなよ。的は容赦なくぶっ壊していいぞ」
始め〜、という声の直後から、的が吹き飛び始めた。同時にどよめきが起こる。
俺もやるか、と思ったけれど、やり方がわからない。まさか模擬魔法杖を振り回す訳にもいかない。
教官の声がする。
「魔力を模擬魔法杖に流し込むのをイメージしろー。次はその魔法杖から前に魔力を放射することをイメージすれば、何かしたが出るぞー。本当に生徒には撃つなよー」
魔力を流し込むイメージ。
魔法の系統だった発展の初期段階で、人間には大なり小なり、魔力と呼ばれることになるエネルギーが存在することが判明していた。そのエネルギーはしかし、生命力的なものとは無関係だともやがて解明された。
つまり、魔力がどれだけ多く内包されていても、病気になりにくかったり、怪我が早く治ったり、寿命が長かったりはいない。身体能力も特別には高くならない。
無用の長物として魔力は太古から人間に存在し続けたのだが、魔力回路の発見と発明、開発が魔力を本当の力に変化させた。
矛盾するようだが、一部の特別なアスリートなどは、本来的に魔力を多く持つ傾向にあり、彼らはその魔力を身体機能にお粗末ながらも反映できたとされる。
魔力回路なしでは身体機能に影響を及ぼすはずのない魔力が、身体機能に影響を与えたのは何故か。
彼らには魔力を生かす魔力回路がもともと備わっていたのである。
そしてそれは決して珍しいことではないともわかった。
身体に生まれながらに備わっている魔力回路を「原回路」と科学者は名付けた。
研究の結果、原回路は大した魔法を発揮できない、ということもわかり、つまり一部のアスリートは魔力に恵まれ、現回路にも恵まれた存在だった、ということになる。あるいはそれもまた。才能の一種ではあるかもしれない。
何にせよ、実は魔法使いはその力こそ弱いものの、昔々から存在していたのだった。
で、俺は今、現代的な魔法を行使することを求められている。
念じるようにして、右手に握った棒状の模擬魔法杖を握りしめる。
手のひらの中で模擬魔法杖が熱を持ったような感覚。
瞬間、ビリッと痛みが走った。
不意に何かが俺の体から魔法杖へ突き抜けたのがわかった。
突き抜けたそれは、そのまま魔法杖から飛んで、離れたところにある的をかすめた。
的は壊れはしなかったが、グラグラ揺れている。
ちょっと、と満月が声をかけてくる。俺が的を外したせいで心配しているんだろう。
「落ち着けよ。まだコツが掴めないだけだから」
言いながら、俺は自分の内側にある魔力を把握しようとした。
古い時代の人間が魔力というものをほとんどに認識できなかったように、俺だってそんなことはできない。最初から出来る特異体質者もいるらいしけど、俺はそういう例外ではない。
ただ、模擬魔法杖を握っているうちに、よくわからない波のようなものが体の中にあるのはわかった。
どこから出てくるのでもなく、体の中でただうねっているのだ。
それを魔法杖の方に誘導してやるイメージ。
今度は模擬魔法杖を先に的に向けておく。
力をぐっと押し出そうとすると、漠然とした力が模擬魔法杖という狭い出口に流れ込み、それはまるで水が出ているホースの口をぐっと押さえて細くしたように、勢いよく噴き出した。
一瞬のことだったが、的は弾け飛んで、奥へ転がっていく。
周囲を見ると、大抵の行使者候補生が俺がやったのと同じようなことを成功させていた。
俺は満月を振り返り、掌を向けてやる。ちょっと躊躇ってから、満月が俺の掌に自分の掌を触れ合わせた。
「よーし、おおよそできたな。これからちょっとした文明の利器を使うから、今出来ない奴もそれでできるようになるから安心しろよー」
教官の言葉に、俺は首を傾げてしまった。文明の利器とは何か。
教官の引率でドームの一角にある部屋にぞろぞろと移動すると、そこには浅い水槽が並んで幾つか用意されていた。水槽はガラス製のようで、しかし、そこが底が厚く金属製のようだ。コードが何本も伸びている。
教官が説明を始めた。
「水槽に入っているのはちょっとした補助液で、それだけじゃ意味はない。板はちょっと熱いと思うが、基礎的な魔力回路を焼き付ける装置だ。ここで掌に焼き付けた魔力回路は模擬魔法杖はもちろん、試作魔法杖に共通のフォーマットに適合するから、魔力回路への魔力の巡りが良くなって、ぐっと魔力の扱いが楽になるんだ」
そんな便利なものがあるなら、先に使わせてくれればいいのに。
じゃ、順番にな、と教官が適当に言うので、生徒たちはめいめいに列を作って次々と水槽に手を突っ込み、両の掌を水槽の底の金属に押し付ける。熱っ! とか、痛っ! と声が上がっていた。
痛いのか……。
俺の番が来て、水槽のぬるくて少し粘り気のある液に両手を浸し、すぐに水槽の底を兼ねる金属板の上に手を押し付けた。が、すぐに離してしまうほど熱かった。
声こそ出なかったが、びっくりした。よく見ると、金属板はどこか市販のホットプレートのようにも見える。本当に大丈夫か不安になる。
腕から補助液をぬぐい取ってから満月の元へ戻ると、彼女は「手を見せて」とすぐに言った。俺の感想は必要ないらしい。
二人で俺の掌を確認するものの、赤くなっているが、皮が剥けたりはしていない、ということしか俺にはわからない。
よくよく観察すると赤い痕跡は何か細かな文様の複雑な組み合わせにも見えたけれど、俺にはよくわからない。
「わかるか?」
満月に問いかけると、彼女は運動着のポケットからルーペを取り出している。しばらく、俺は掌を観察させてやった。
「微細な魔力回路に見える」
満月の言葉に、教官が嘘を言うわけがないだろう、とは返さないでおいた。そういう冗談を言えないほど、満月は真剣な顔つきだった。
「よーし、全員が終わったな」
生徒たちがめいめいに騒いでいる中で、教官はのんびりしている。新入生が浮れる場面は見慣れているということか。
「あとは掌の魔力回路を管理者候補生と探求者候補生で微調整しろー。コートの的はいくらでも使っていい。今回は打ちっ放しの打ち放題だ。授業の残り時間、十五分は自由時間ということだ。よーし、諸君、行ってよし!」
わっと生徒たちが動き始めた。その一角で俺は満月に問いかけていた。
「微調整、出来そうか」
満月は少し迷ったようだが、無言で、しかし頷いてみせた。
不安もあるだろうに、立派なことだ。
俺はそれに応えてやらなくちゃな。
行こうか、と俺たちもコートへ戻るべく、歩き出した。
しかしこうなると、探求者候補生は是非とも欲しいな。
(続く)




