10 すれ違い
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男子生徒は名前を名乗ったけれど、一発では覚えられなかった。学年はわかった。三年生だ。
魔法技専の制服は基本的に全専攻で共通のデザインだが、しかしそれぞれの専攻により肩章の色が違う。なので制服では学年の差はわからない。もっと今、相手は私服だったから、専攻さえわからない。
「カフェで仲間が待っているんだけど、来ないか?」
実にざっくりしたお誘いだったけど、俺としては断る理由はない。もしこれが寮のルール違反だったら初日から問題を起こすことになるとも思ったけど、ただ、目の前にいる三年生は間違いなく寮生だから、きっとルール違反じゃないんだろうと思い直した。
短い観察時間しかないが、不良のようではない。魔法技専に不良はいないと思うけれど。
二人でエレベータで一階へ降りる間、三年生は「じゃんけんで負けて俺が呼びに行くことになてさぁ」と話した。「大変ですね」と答えたものの、やや素っ気無さすぎたのか、相手が鼻白んだので返答を失敗したとわかった。わかっても、どう答えればよかったかは、判然としない。
その後は二人とも無言だった。実に気まずい。
一階のエントランスから寮を出るらしい。門限という概念はないのか。寮のルールを知らないので、些細なことに不安を感じる。三年生男子は、特に躊躇うようでもなく外に出て歩き出す。時間も時間なので生徒の姿はない。いや、何が特別で何が日常化すら、俺にはわからない。
それにしても、カフェなんて寮のそばにあるのだろうか。しかもこんな時間に営業しているのか。俺はまだ魔法技専の敷地のどこに何があるか、知悉しているには程遠かった。
三年生の背中を追っていくとほんの五分ほどのところに、確かにカフェがあった。それもかなりレトロな外観のカフェ、というか喫茶店に見える。純喫茶という奴かもしれない。
表には「面影屋」と看板が出ていた。
「食堂の上のラウンジも遅くまでやっているけど、あそこは寮から遠いから使いにくいんだよねぇ」
そんなことを言いながら、三年生は中に入っていく。開けたドアが軋んでいるあたりにも何かこだわりがありそうだった。もちろん、ドアについている小さなベルがたてる些細な音にもこだわりを感じる。
店内は比較的静かで、控えめな音量でジャズらしい音楽が流れている。ジャズの知識がないので誰の何かは不明だけど、一世紀くらい前のものかもしれなかった。かすかなノイズが混ざっているのは、そういう音源を収録したからか、それともレコード盤を再生しているのか。よくわからない。
俺が店内を見回しているのとは別の理由で店内を見回してから、三年生が「こっち」と俺を誘導した。
向かった先は角の席で、三人の生徒が待っていた。三人とも私服だが、様子からして上級生だ。揃って笑顔で、ようこそという雰囲気だけどどうして俺がそんな歓迎をされるかは不明だ。
俺が名乗る前に、三人が次々と名乗ったけれど、すぐに忘れてしまった。三年生だということはわかり、メガネの男子が管理者候補生で、髪の毛を一つにくくっている女子が探求者候補生だった。もう一人は特徴のない男子で、管理者候補生だった。俺をここまで案内した男子は探求者候補生だとここで判明した。
行使者候補生は、一人もいない。
三人はすでに飲み物が手元に来ていて、店員がやってきて案内役の男子と俺も飲み物を注文できた。俺はミルクティーにしたけれど、実は茶葉について確認されるかと少し不安だった。幸い、店員は何も言わずに戻っていった。助かった。
「きみの名前を知りたいのたけど」
メガネの男子がまずそう言ったので、俺はやっと名乗る機会を得た。といっても名前と専攻しか今のところ、こちらから言えることはない。
「八角くん、あなた、どこかのグループに所属する予定はあるの?」
女子の探求者候補生が切り出してきたので、ありません、と正直に答えた。
その時に場に流れた空気は、俺にはちょっと判断しづらいものだった。四人ともが安堵したようだったが、四人がちらっと交わした視線には何かを確認するような色があった。
別の言い方をすれば、俺がフリーなのにホッとしたようであり、一方で疑問を感じたようでもあった。
それからは俺の経歴について確認されたが、懇親会での大勢の上級生とのやりとり同様、これといってアピールはできない。それを聞くうちに、どうも四人ともが俺が場違いな人間であることに気づいてきたようだ。全員の顔か怪訝なそれになっていく。
「きみは、何が売りなんだ?」
メガネの管理者候補生が直球を放り込んできたので、さすがに俺も困ってしまった。無視して答えないわけにはいかないので、いやぁ、などと誤魔化してみたが、四人ともが俺を食い入るように見ている。
答えないわけにはいかない。逃げることもできない。
「俺の売りは、うーん、背丈ですかね。一八〇あります」
見ればわかるよ、と真剣な顔で特徴なしの管理者候補生がやり返してきたので、俺は虚しく笑うしかなかった。俺だけが笑っていて、四人の上級生はくすりともしない。
「どうして彼女がきみに声をかけたのか、それを知りたいんだけど」
そう言ったのは俺を連れてきた男子だ。真剣に疑問に思っている口調だった。
ただ、俺は俺で疑問だった。今度は俺のほうが質問する番だろう。
「彼女って誰ですか? 石森満月ですか? それとも小田垣美緒?」
そう問い返したところ、四人の顔に一瞬、しかしはっきりと疑問符が浮かんだ。あの二人じゃないのか? 他に女性で俺に声をかけた人物がいただろうか。辰は女にはとても見えない。
なら、俺が覚えてない上級生の誰かか?
まったく、見当がつかない。
誰のことだ?
「ああ……」
必死に記憶を辿って、やっと思い出した。それがどう作用したのか、四人がパッと顔を明るくなったように見えた。
「藤吉先生のことですか? ちょっと入試でのことについて話しただけで……」そこまで言って、空気が冷え込んでいるのに気づいた。「……え? 違いますか?」
四人はそれぞれに呆れと苛立ちを表情に見せていた。四人が話題にしているのは藤吉先生ではないらしい。
じゃあ、誰なんだ? 本当にわからない。
さすがに俺も観念した。思い出せないのだから、もっと詳しく聞くしかない。
「あの、誰のことを話していますか? 彼女って誰ですか?」
誰って、と女子生徒が身を乗り出した。かなり凄みがある。
「山崎先輩のことよ」
「……山崎? 誰ですか?」
女子生徒の視線に、不穏な光が走った気がした。
「山崎潤よ。知らないの? 行使者候補生の」
誰のことかわからないし、山崎潤なる生徒について、俺は全く知らなかった。首を傾げるしかない俺に堪忍袋の緒が切れたのか、探求者候補生の女子がドスの効いた声を出した。
「いつもサングラスをかけている、あの人よ」
あ、そういうことか。やっと誰のことか見当がついた。俺が知っているサングラスをかけている女子生徒は一人しかいない。
満月が俺に紹介しようとした、あの人か。
「あの人、山崎潤っていう名前なんですか? すみません、知らないんです」
俺が素直に答えると、ぽかんとした顔が目の前に四つ並んだ。
「知らない?」
「今、知りました。あの先輩、俺には名乗らなかったので」
「じゃあなんで、先輩があなたと話をしたわけ?」
そりゃ話くらいはするだろうが、何かおかしいのだろうか。
しかし、事情は説明しないといけないようだ。そんな空気だ。四人ともが、答えろ、という目で俺を見ている。というか、睨んでいる。えーっと、どこからどこまで話せばいいのかな……。
「俺が起こした事故の現場で、偶然、助けてくれた人がいて、その人が山崎先輩? と知り合いだってことで、俺の友達があの場に呼んでくれたんです。それだけです」
いつの間にか場は静まり返っていた。他の席では生徒たちがちらほらと飲み物を飲んだり軽食を食べたりしながら話しているが、俺の周りだけは完全な沈黙に支配されていた。
「……きみの友達が、山崎先輩と知り合いってことでいいのかな?」
俺を案内した男子がどこか力無い声で確認してくる。どうも雲行きが怪しい。しかしここに至って嘘を言っても仕方がないし、嘘を言ったり取り繕う意味もないだろう。
「いや、その、俺の友達もあの場で会ったんじゃないですか? よく知りませんけど」
「その友達の名前は? 専攻は?」
「石森満月です。管理者候補生です」
オーケーといきなりメガネの男子が言ったかと思うと、目の前のグラスの中のアイスコーヒーを一気に飲み干した。ポニーテール女子も特徴なし男子も自分の飲み物をさっさと片付けると、やっと飲み物が来たばかりの案内役男子に「後で料金は割り勘にしよう」と言うなり席を立っていく。
後に残されたのはがっくりと脱力している先輩一人と、状況が飲み込めない俺の二人だった。
「あのぉ、どうなったんですか? 俺に何の話があったわけですか?」
恐る恐る先輩に聞くと、メロンソーダらしい飲み物をストローで吸ってから返事があった。
「ま、勧誘の話はお流れになった、ということかもな」
「そうですか」それくらいは状況でわかる。気になるのは別のことだ。「どうして俺に声をかけてくれたんですか?」
ああ、そのこと、とやっと先輩は納得したようだった。俺の無知に初めて気づいたという感じの反応だった。事実、そうらしい。
「山崎潤っていう先輩は、ある種の伝説なんだよ。きみは、あの人が興味を持った特別な一年生、っていう認識で、それならさっさと囲い込もうって作戦で俺たちはこの場を設けたわけ。でも空振りだったなぁ。偶然に声をかけたんじゃなぁ……。てっきり、お前も先輩くらい使うのかと思ったよ」
山崎潤が声をかけた相手だから? それだけで俺を囲い込もうとした?
そう聞いて、なるほど、と納得できることがあった。
食堂での懇親会の時、俺はともかく、満月が急に上級生に囲まれたのも似たような理由なんだろう。視線が俺にまとわりついたのもそうだ。
山崎潤の関係者として、上級生が俺や彼女を勝手に評価し、注目したのだ。
不意に、満月のことが心配になったが、いったい俺に何ができるだろう。満月は満月なりに、なんとかするだろう。そう思うしかない。
ちょうどいいと、俺は自分の状況を即座に割り切って、逆に情報を集めることにした。
「山崎先輩って、そんなに凄いんですか?」
素直な感じで問いかけると、さあね、と返事があった。これにはさすがに俺も意味を確認した。知らないのに、高い評価を得る、というのは成立しない。食い下がってくる新入生に、うざったそうな様子だったが、他にやることもないのか先輩は答えてくれた。
「山崎先輩はここのところ、模擬戦には出場していない。全部、棄権だよ。だからランキングは最下位と言ってもいい」
「最下位、ですか? それで、なんで特別視されるんですか?」
詳しくはデータベースを見てくれよ、と前置きしてから、実に大雑把に答えがあった。
「何年か前に三期とも全勝でランキング一位になった。次の期の模擬戦で事故があって、山崎先輩と対戦した行使者候補生が負傷した。重傷だったらしくて、後遺症が残ったとか。それ以来、山崎先輩は模擬戦に出ていないし、他の生徒との接点もほとんどないってことらしい。というわけで、あの先輩はある種の伝説だな。生ける伝説、ってことだ」
俺には、はぁ、と気の抜けた返事が精一杯だった。
ランキング最下位で、その前はランキング一位。誰とも接点がない。
興味を惹かれる要素が多いが、それを考えると、逆にどうやって満月は彼女と接点を持ったんだろう? 山崎潤という先輩は幸坂葉太という先輩と同じグループらしいから、その筋だろうけど、どうして満月は幸坂先輩と山崎先輩の繋がりに気づけたのか。
その辺は次に満月にあった時、聞けばいいか。
いろいろとわかってきたが、わからないことも増えた。
「じゃあ、すみませんが、俺はもう用済みですよね? お茶を飲んで、帰っていいですか」
うん、と返事があった。まだ脱力しているようだ。
俺は手元に来たばかりのアイスティーをストローで吸おうとしたが、不意に気を取り直した先輩が素早く指摘した。
「きみのお茶代はそっちで持ってくれよ」
了解です、という意味で無言で頷くと、彼も真剣に頷いてきた。
新入生勧誘もシビアでハードなようだ。ちょっと同情するけれど、それだけこの学校の競争が激しいということだ。
そういうことにしておこう。
(続く)




