【第06話】契約
見上げてくるリンは瞳を輝かせていた。
俺の乗るランデインは見惚れるほどの造型らしい。
ーー一体、どんな姿になったんだ?
気になったが、姿は確認できない。全天周モニターはエマシンの姿を映さないからだ。おそらく全身にサブカメラのようなものがあり視野を妨げないよう映像が補正されているのだろう。
戦闘時は、これでいいがーー。
「手足を見えるようにしてくれ。身動きが取れない」
『変更:映像処理』
光沢を帯びた白い装甲が視界に映る。手脚だ。胴体は半透明で処理されている。
リンへ向けて、月明かりを反射する右手を差し伸べた。
「ヘイノ村まで道案内を頼めるか?」
「待って。すぐに地図を書くから」
巨大な指先に怯えたのか後ずさっている。懐から紙片のようなものを取り出した。
「紙は溶けないのか?」
「そんなことない。だから見て憶えて」
「無茶を言うな。乗ってくれ。その方が手っ取り早い」
「でも……」
言い淀むと、視線を彷徨わせる。エマシンの掌と肩を交互に見ていた。
「……苦手なの。高いところ」
「操縦房に乗せる。落ちる心配がなければ大丈夫だろう?」
問い掛けると、呆れた様子で首を振ってみせてきた。
「エマシンは一人乗りなの」
操縦房の内壁に映る文字との距離を測った。多分、一メートル半ほどはある。
「多少狭くはなったが、お前一人を乗せるくらいのスペースは十分にある」
「……そうじゃなくって。これも常識なんだけど。操縦房に二人入ったら、エマシンは動かなくなるの。誰に同調すればいいのか、分からなくなるから」
説明された内容に納得する。確かにモーショントレースなら、そうだろう。
念のため、ささやきに問い掛けた。想定通りの答えが返ってくる。
「問題ない。大丈夫だ」
「どうして、そう言い切れるの?」
「エマシン、……じゃないな。ささやきから裏付けを取った」
「そんなことまで分かるなんて……、信じられない……」
「再構築を二回したエマシンだ。普通と違っていても不思議はないだろう?」
「……確かに。少しだけ考えさせて。何分も掛けないから」
神妙な面持ちをしたまま俯く。思案を始めたようだ。
二分ほど待つと、面を上げてくる。
強い視線。表情が張り詰めていた。
「私と、契約を交わして」
「……契約? どんな内容だ?」
「あなたの補佐をさせて。道案内とか交渉とか。それに面倒な雑務なんかも。多分、他の人よりずっと役に立つと思う。フルールで村を行き来する人は少ないから」
「つまり知見を提供するというわけか? で、代わりに何が欲しいんだ?」
「この先、あなたが得る利益の一割。それを報酬として私に頂戴」
「一割? やけに下手に出るんだな?」
「だって、急に信用は出来ないでしょう? だから最初は、それで。もちろん、後になって役に立つと思ったら、増やしてくれると嬉しいけど」
「契約期間は?」
「お互いが嫌にならない限り。それだと駄目?」
「幾つか、条件を変更して良いか?」
問い掛けると、硬い表情をしたまま頷いてきた。
「まず曖昧な部分を削ぎたい。お前の役割は三つだ。道案内。交渉係。相談役。それと基本的に俺と行動を共にする。異存があるか?」
「ない。それでいい」
「次に契約期間。期間は一年。年末の一ヶ月を交渉期間として合意に至れば更新する。それと報酬について。初年のお前の取り分は一割。以降、契約を更新する度に、最低一パーセント以上の増加を保証する。ただし上限は五割まで。それと行動を共にする間、生活費は俺が負担する。問題があるか?」
「全然ない。でも、本当に良いの……? その条件で?」
「もちろんだ。最後に。俺はお前に危害を加えない。こんなところで、どうだ?」
「それ、もしかして、私を女として見ているってこと……?」
「男と二人で過ごすんだ。不安なままは嫌だろう?」
余計な配慮だったのかも知れない。
明らかに戸惑っていた。その様子から予想外の疑念が浮かぶ。
「……まさか、男なのか?」
「怒っていい?」
「睨むな。もちろん分かっている。お前の態度が変だったから訊いただけだ」
「二度と、そういうことは言わないで」
怒気を含んだ声。もしかすると容姿にコンプレックスを抱えているのかも知れない。
そうだとするとこれ以上、外見に触れるのは止めた方が良い。
「分かった。話を戻そう。契約の条件に不服はないか?」
「一つだけ。私にも最後に何か条件を付け加えて」
「特にない」
「それだと、私の気が済まないの。何でもいいから、言って?」
随分と律儀な性格をしている。このタイプは簡単に引き下がらないことを経験していた。
どうせなら。契約で縛った方が良いことを考えてみる。横領、漏洩ーー。
「……背信を禁じる。これでどうだ?」
「分かった。あなたを裏切らない」
「契約は成立だ。書面化は後で良いな?」
「要らない。紙に書いたって意味ないから」
「破る時は、破る。……まあ、その通りだ」
冷めた口調と世間慣れした物言い。随分と苦労をしてきたらしい。
差し出したままの巨大な右手に、リンが乗ってきた。
「ゆっくり動かして。それと、絶対に落とさないで」
「当たり前だ。動かすぞ。しゃがんでいろ」
跪いたのを確認すると、慎重に運ぶ。リンを乗せた掌をランデインの首元まで寄せた。
「足場が狭い。気をつけて降りるんだ」
「掌は下げても大丈夫。ちゃんと降りられた。それに出入り口は踏んでない」
無駄のない説明。最初の印象通り、本当に頭の回転が速い。
ハッチを開けて、外へ声を掛けた。
「降りられるか? 怖ければ脚を伸してこい。支えてやる」
「待って。まだだから」
「まだって、何を……」
疑問の途中で気づく。頭上から微かに聞こてくえるのは衣擦れの音だ。
「ちょっと待て。本当に服を脱ぐのか?」
「もしかして、溶けないの!?」
「いや、溶ける。俺の服はボロ布同然だ」
「……余計な期待をさせないで」
「服は、そんなに貴重なのか?」
「冬になると特に。……お待たせ。腕を伸してきて。掌に足を乗せるから。それと、絶対に上を見ないで」
ひんやりとした柔らかい感触を掌で受け止める。
ゆっくりと腕を降ろしていくと、急に緊張が伝わってきた。
「待って! そこ、どうなってるの!?」
「外の景色が映っているだけだ」
逃げようとする足首を掴んで、強引に半透明の肘掛けを踏ませる。
足首を放すと、椅子の脇に置いたままの鞄を指さした。
「床はある。もちろん壁も。見えないだけだ」
「ガラス張りの部屋みたいになっているって事?」
素晴らしい洞察と理解に舌を巻く。
ただ、知恵は常に感情を制御するわけではない。見ていられないほど足が震えていた。
「心配ない。大丈夫だ」
「頭では分かっているんだけど。足が……」
確かに落ちないと分かっていても、ガラス張りの床に立つのは誰だって怖い。
要は視覚の問題だ。だったらーー。
「俺に背中を預けてみるか?」
「そうする。いいって言うまで目を閉じてて」
「目を瞑ったまま操縦できると思うか?」
「すぐ済むから。私が座るまで。脚、もう少しだけ開いて」
すべらかで柔らかな温もりを内股の間に感じる。座り具合を確かめた後、背中を強く寄せてきた。
隙間をなくした方が見られる部分が少なく済むと考えたのだろう。
「目、開けていいけど。あんまり下を見ないで」
「着ていろ。ないよりましだ」
脱いだボロ布同然のパーカーを、頭から被せてやる。
すぐに袖を通すと裾を伸して太ももの半ばまでを布で覆った。
「これ、ずっと借りていていい?」
「やる。それは、もうお前のものだ」
「ありがとう。すごく助かる」
肩の力を抜くと軽く首を振ってくる。白金の髪が裸の胸を擽った。
半裸になったことで思い至る。室温を始めとした環境面が最適化されていることに。
不意にリンが身じろぎする。手首に嵌めたアームバングルと景色を見比べているようだ。
「良かった。五分も経ってない。でも、だったらどうして? こんなに明るいの……?」
「今、目にしているのは微かな光を十万倍ほど増幅して出来た映像だ」
ささやきから得た情報を、そのまま伝える。
辺りを見回していたリンが頷いた。
「これなら、きっと大丈夫。景色は憶えているから」
「……もしかして、ここまで来た道を引き返すつもりか? 追っ手を撒きながら、ここまで来たんだろう?」
「心配しないで。記憶力には自信があるの」
「それだと時間が掛かりすぎる。大体でいい。方向は分からないか?」
「迷っていたんだから分かる思うけど? ファルア大森林は、ものすごく深いの。むやみに進めば、村に着くどころか遭難するだけ」
リンの言葉を聞きながら、ランデインのスペックを見返している。技能に何かあったはずだ。
放射線遮断、自己修復は違う。衝撃移動。これだ。
急いで、ささやきに問い掛けて答えを得る。
念のため左腕でリンの身体を抱きかかえた。
「何!? やめてッ!?」
「初めてなんだ。どうなるか分からない。歯を食いしばっていろ」
暴れる少女の身体を力で押さえつける。
上空を睨んで、フットペダルを思い切り踏み込んだ。




