【第04話】リン
エマシンと呼ばれる巨人に乗込んだ俺は、操作方法をささやきへ問い掛けた。
即時に、アームバングルの表面に『同一姿勢』と日本語が表示される。
「しゃがみ込んで、こうか……?」
地上から見上げていた時の、エマシンの姿勢を思い出した。
膝を突いて、できる限り、同じ態勢を取る。
強烈な違和感と共に、意識が、何かへ嵌まり込んだ。未知の感覚である。
瞳の前が滲んだかと思った途端、視界が鮮明になると、その景色に驚愕した。
木々の背が縮んでいる。幹が細く、枝と葉が妙に小さい。
ふと、視線を下へ向けると、漆黒の鎧が目に入ってくる。
俺の姿は、エマシンになっていた。
足元で何かが動いたので、視線を這わせると、木の陰に隠れて、こちらを見上げる女性を見つける。
その姿が、三十センチほどの人形のように感じられた。
おそらく、俺の身体感覚が、エマシンに同期したのだろう。
なぜ、こんなことが起こるのか?
考えるのは、後回しにする。
現実的な対応を、始めなくてはならないからだ。
「立ち上がってみる。離れてくれ」
「気をつけて!」
「名前は?」
「リンナライアナ!」
「長い。リンでいいな」
「あなたは!?」
「槇島悠人」
「攻撃するときは、相手に近づいて! 離れていると、エマシンは傷つけられないから!」
「なるべく、遠くまで離れていろ!」
幹の陰から、リンが姿を現した。
生木の折れる音がしてくる方とは、反対へ走り出していく。
背後から、バキバキと枝の折れる音が、近付いてきていた。
立ち上がりながら、後ろを振り向き始める。
「なんだ、これは……? 動きが遅すぎる」
全身に強い水圧が掛かっているかのように、動作速度が鈍かった。
悪い夢の中にいるような、もどかしさを感じている。
ただ、エマシンは、自分の身体と同じように動かせた。
操縦房の中にいる俺と、エマシンの動作は、完全にシンクロしているらしい。
「動かすだけなら、誰にでも出来るというのは、本当のようだな」
立ち上がり終えるまでに、二秒を要した。
届いてくる音を頼りに、視線を彷徨わせる。
密生する巨木の隙間が狭いせいで、遠くまでは見通せない。
近付いてくる相手との距離が百メートルほどを下回ると、その姿が、はっきりと見えてくる。
青いエマシンだ。
右肩に、刃渡り八メートルほどの、大剣を担いでいる。
大剣は、手入れがされていないようで、刀身にヒビが入っていて、刃こぼれが激しい。
「こっちは、丸腰か」
俺の両手は何も掴んでいないし、腰回りを見ても、武器のようなものは一つも吊り下がっていない。
辺りの地面を見回しても、武器になりそうなものは、落ちていなかった。
こちらへ歩んでくる青いエマシンとの距離は、三十メートルほどを残すばかりである。
相手エマシンが、指さしてくると、声を掛けてきた。
「何を突っ立っている? さっきまで、足下に女が見えていたぞ!」
教養の欠片もない、野蛮さが滲み出た口調だ。
歩みを止めずに、こちらへ近づき続けている。
残りの距離は、わずか二十メートルだ。
「動けよ! ノロマが!!」
十メートルまで距離が詰まった瞬間に、かつてない身体の芯を震わせるような、強烈な戦慄が走り抜けた。
やられるっ!?
叫び声を上げた本能に従って、身体が動き出していた。
だが、鈍すぎるエマシンの動きのせいで、思うように駆けていくことが出来ない。
アクセルを踏みながら、同時にブレーキを掛けているような、どうしようもない苛立たしさに、気が変になりそうになる。
こちらの挙動に、不穏さを感じ取ったのか、青いエマシンが戸惑いを見せていた。
「おいっ……!? 急に、なんだ?」
もつれているんじゃないかと疑うくらい、前へ出ない脚を、必死に動かし続けた。
相手にリーチが届くと判断した瞬間に、巨大な右拳を叩き込む。
嘘のように、トロいパンチだ。蚊が止まれるんじゃないかと思うほどである。
「お前、何のつもり……ッ……!!」
予想に反して、緩慢な右拳が、青い右腕を捉えていた。
相手は、大剣を取り落としている。
これで、武器のハンデは解消できた。
「何しやがるッ!?」
激高してくる相手エマシンを、左拳で殴りつけた。
後ろへ仰け反っていくが、青い顔面には、傷一つ付いていない。
殴った程度の衝撃では、打ち砕くことは、出来ないらしい。
だったら、これなら?
態勢を低くすると、相手へ向けて、肩からぶつかっていった。体当たりである。
「イカレ野郎がッ!!」
体勢を大きく崩した青い巨体が、巨木をメリメリと折りながら、地面へ仰向けに倒れていった。
「痛みは、軽減されるのか……」
両拳と右肩には、痛みとは言えないくらいの、微かな感触が残っていた。
おそらく、エマシンからの皮膚感覚はフィードバックされるが、操縦の妨げにならないよう、調整されているだろう。
青いエマシンが、立ち上がろうとしていた。
相手に視線を留めたまま、後ずさりを始める。
脚に触れてくる感触に、意識を集中した。
「……このあたりのはずだ」
相手との距離が十メートルより空くと、全身に感じていた戦慄が、ふっと消えた。
「なるほど。多分、この感覚を頼りにすればいいんだろう」
これが、エマシンの持つ、ブロムの感覚なのだろうと推定した。
後退をし続けていると、折れた枝や石とは違う、重みのある感触が右踵に伝わってきた。
急いで拾い上げると、突進する。
相手エマシンが、間もなく、立ち上がるところだからだ。
俺の振り上げている大剣を見て、相手が驚きの声を上げてくる。
「何をするつもりだっ……!?」
距離が十メートルまで詰まり、再び戦慄を感じた直後、最大限の力を込めて、大剣を振り下ろした。
「待て、やめろッ!」
相手エマシンの脳天を、大剣が捉えた。
金属の砕ける感触が、右腕に伝わってくる。
すかさず、蹴り飛ばして、相手を仰向けに倒してやった。
再び、振り上げた大剣を、その腹に叩きつけた。
砕けた金属片が、辺りに、ぶちまけられる。
……おかしい。
青い腹に食い込んでいるのは、ほんの切っ先だけだ。
「何だ、この武器は……? 叩き切れないのか!?」
青い腹を踏みつけると、力を込めて、大剣の刃先を引き抜いた。
飛び散った金属片から、理由が判明する。
圧倒的に多いのは、青い装甲の破片ではなく、砕けた刃の破片だった。
「エマシンというのは、どうすれば無力化できるんだ……?」
分からない以上、出来ることを続けるしかなかった。
しかし、大剣を四度も叩きつけたのに、青いエマシンの胴体が断ち切れない。
五撃目を叩き込もうとして、大剣を振り上げた。
青いエマシンの操縦房が開いて、男が飛び降りていった。地面に突いた脚が、あらぬ方向へ曲がっている。
こちらを見上げてくる表情は、恐怖に引きつっていた。
顔に入墨を彫った、二十代くらいの男である。
必死の形相で、地面を這って、逃げ果せようとしていた。
「放っておくわけには、いかないだろうな」
つま先で地面を削ると、土砂を叩きつけてやった。
「簡単に、這い出られたりはしないはずだ」
大量の土塊が積もっていた。男の姿は消えている。
耳を澄ませてみた。
注意深く周囲の様子に聞き耳を立てたが、枝が折れたり、土を踏むような音は捉えられない。
当面の危機は、避けられたようだ。
そう結論づけた途端、胸の奥深いところから、強烈な怒りが湧き上がってくる。
感情が抑えきれずに、思わず胸の中で怒鳴った。
(何だ! このエマシンという奴はッ!!)