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賢者の石とは

 二階の空き室は、ほんの小部屋程度の広さしかなかった。

 それでも一応小さな黒板があり、アイテムの作成に使うであろう妙な器具もあった。

 その狭い部屋に僕は今、ドリスさんと二人で向かい合って座っている。


「では、時間になりましたので講習を始めましょう」


「あの、その前にひとつだけ聞いてもいいですか?」


「はい、何ですか?」


「講習に参加するのは、もしかして僕だけだとか」


「そうです。言ったでしょう、錬金術師を志す者は少ないと」


「少ないって言うか……」


「見ての通り、レンが来なければ講習は中止の予定でした」


 ドリスさんが錬金術という展開には驚いたけど、知らない人に教わるよりは良い。

 厳しい指導でも別に良いし、教室が狭くても構わない。


 しかし一緒に切磋琢磨する仲間ができるんじゃないかという期待も込めてここへ来たので、生徒が僕一人というのはかなり寂しかった。


「毎回、無駄になると思いつつ講習の準備するのは辛いものです。ですからあなたが来てくれて本当に助かりました」


「この異世界の錬金術師って、本当に人気がないんですね……」


「この異世界?」


「訂正します。この街での」


「おそらくどこも同じでしょう。レンの生まれた場所では違うのですか?」


「僕の住んでいたところは、そもそも錬金術師が一人もいません」


「そうですか……やはりどこのギルドでも同じような問題を抱えているようですね」


「いえ、錬金術自体は結構人気というか……今はいなくても、やってみたい人はかなり多いはずです」


「それは良い話を聞きました。そんな人が少しでも増える事を願います」


 かみ合わないはずの会話が絶妙に成立している不思議を感じつつ、僕の言っている事はそう間違いじゃないと思った。

 ゲームや小説などの創作物において錬金術は定番の題材だし、職業のひとつとして実在したら錬金術師はそれなりの人気を博すだろう。


 だけどこの異世界でここまで不人気だと、何だかそれも怪しい気がする。


「レンは思うところがあるようですね。何か複雑な顔をしています」


「え、あの……そういう訳じゃありません」


「自分の職業だから言う訳ではありませんが、錬金術師は良い仕事だと思いますよ。人がその一生をかけるにふさわしい知の探究ができますからね」


「知の探究、ですか」


「はい。そもそもレンの知る錬金術とは何ですか?」


「それは錬金術の名前の通り、黄金を作る事です」


「よく知っていますね。かつて人は、卑金属から黄金を作り出す事を試みました」


 確か、昔の人が他の金属を黄金に変えようとしたのが錬金術。

 それは叶わぬ夢に終わったが、その過程において様々なものが生まれた。

 人は錬金術を通して、現代の科学や化学に繋がる道具や技術、そして知識を蓄えていった。


 僕が知っている一般的な錬金術の成り立ちと歴史はそれが全てだ。


「レンの知っている通りかつての錬金術師は黄金を作り出す事を試み、そして成功しました」


「成功したんですか?」


「なぜそこだけ知らないのです?」


「いや、だって……!」


 僕の世界の錬金術とは少しズレてきた。

 異世界の錬金術は、本当に黄金を作り出す事に成功したらしい。


「馴染みがなかったのなら仕方ないですね。かつての錬金術師が『賢者の石』を作成し、卑金属を黄金へ変質させる事に成功しました」


「はぁ、賢者の石……? 石がその他の金属を黄金に変えちゃうんですか?」


「石と呼ばれますが、実際は触媒の一つです。賢者の石はどんな鉱物も金へと変える事ができるのです」 


「そんなものがあったら大金持ちになれそうですけど。錬金術師は儲からないんじゃなかったんですか?」


「ええ、儲かりませんよ。いわゆる錬金術の『等価交換』の概念ですね」


「えーと……はい?」


「つまり、錬金術では必要とする結果に等しい代償が求められます。賢者の石が黄金を作り出す事ができても、賢者の石を作るのにはその黄金と同等の経費がかかります」


「あ、なるほど。それじゃ儲かるはずもないですね……」


「しかし、それでも黄金を作れることに変わりはありません。究極の錬成物である賢者の石の完成をもって、すべての錬金術師の夢は達成されたのですっ!」


「は、はい」


 熱っぽく語るドリスさんの目が少し怖い。

 しかし引いてしまったら失礼だと思い、僕も熱心に話を聞いた。

 実際、そういう話にはすごく興味がある。


「……と言いたいところですが、それだけではまだ半分でした。賢者の石は、人に不老不死の力をもたらすと考えられていましたからね」


「不老不死……それは叶わなかったんですね」


「えぇ、この世界のまだ誰もなし得た事はありません」


「うーん、そうなんだ……」


「賢者の石が不完全だったからだという説もありますし、賢者の石では不可能だという説もあります。どちらの説が正しいのかもまだ分かっていません」


「……」


「そもそも限りある生命を無限へと変える事ができるのかどうか。それは現代に生きる錬金術師が解かなくてはならない、ひとつの主題なのです」


 もちろん、僕なんかにどっちだとも分かるはずもないし、それを解けるとも思えない。

 分かるのは、不老不死は鉱物を金に変える事よりもはるかに難しいだろうという事だけだ。

 黄金に価値があると言っても、金属はしょせん金属でしかないのだから。


 等価交換の概念が適用されるなら、不老不死に求められる代償とは一体何だろう。

 いつのまにか僕はドリスさんの話にすごく引き込まれていた。


「錬金術師が最後に到達しようとしている場所は、もしかしたら神や悪魔の領域なのかもしれません。つまり我々は不老不死と等価の物を作り出そうとしているのですから」


「そんなもの、この世界にあるんでしょうか?」


「あるかどうか今、錬金術師みんなで探している時代なのです。これからはレン、あなたも」


「話が壮大すぎて全く自信ないんですけど……」


「今のあなたには少し早すぎる話でしたね。経験のないレンは、まず謙虚に学ぶ姿勢を大事にしていきましょう」


「はい、そのつもりです」


「簡単に錬金術の説明をしようと思っただけなのに、話がそれてしまいました。申し訳ありません」


「いえ、貴重な話を聞かせてもらったと思います。僕も頑張ってみます」


「例え私たちが解けなくとも書物や口伝で思考の軌跡は残ります。そう思って励んでください」


「はいっ!」


「そのため、日記でも良いので些細な事でも日々の記録を書く習慣をつけるように。それが後世の錬金学の礎になる事もあるかもしれません」


「分かりました。そうしてみます」


 はじめに思っていたよりも、ずっと錬金術の世界は深くて広そうだ。


 自分は今、その深くて広い世界の波打ち際にいる。


 その浅瀬で貝殻をいくつか拾って終わるか、探求心をもって深遠へ潜り込むのかは自分自身に委ねられている。

 ドリスさんの言う通り、錬金術師はすごくやりがいのある職業なのかもしれない。


「では余談はやめにして、講習をしましょう。準備はいいですか?」


「はい。よろしくお願います!」


「目の前のろ過機を見てください。こちら側のフラスコに火をかけると、蒸留された水が管を通してこちらのボトルに溜まります」


「はい。これ、よくできた器具ですね」


「以上で精製水の作り方の説明は終わりです。何か分からない事はありますか?」


「ちょっと簡単すぎませんかっ!」


 精製水の説明は一瞬で終わってしまい、余談の方がずっと長かった。

 いくら僕でも分からないところすらない。

 ただ蒸気になった水が冷え、それが溜まっていくのを眺めるだけだった。


「そうは言っても、精製水とはそういうものなのです。あとはせいぜい、不純物がつかないよう器具を清潔に扱ってください」


「はぁ、清潔にですか……」


「蒸留は退屈で時間がかかるため、大抵の錬金術師に嫌われる作業です。まずレンはそんな錬金術師に蒸留水を納品すると良いでしょう。ひとまずのお金になります」


「そうなんですか?」


「純度の高い精製水はポーションなどあらゆる錬金薬品の基本です。器具の洗浄にも使えますし、毎日大量に消費されますから需要に事欠かないはずですよ」


「それは、良い事を教えてもらってありがとうございます」


 賢者の石や不老不死とはかけ離れているが、お金は大事。

 報酬を稼ぎやすいアイテムであるのなら、今の僕は進んで精製水を作るべきだ。


「それでは、次はレンもやってみましょう。火傷しないように気を付けてくださいね」


「言われた通り、火にかけましたけど……」


「そのボトルに水が溜まるまで、およそ五時間。それまでここでしっかり見張っててください」


「五時間も!?」


「蒸留は時間がかかるといったでしょう。あまりにも退屈でしたらこの初級錬金術の本を読んでください」


「それはぜひともお借りします」


「終わったら受付に私を呼びに来てください。それで今日の講習は終わりです」


「はい、ありがとうございました……」


「別に意地悪で言ってるわけじゃないですよ。錬金術とはどういうものか、この部屋でしっかり学んで欲しいのです。それでは」


 そう言って、ドリスさんはあっさり部屋を出て行った。

 残された僕は蒸留された水がぽたぽたと溜まるのを眺めるだけ。

 スケールの大きかった話とは大違いで、やりがいの欠片も見当たらない。


 仕方なく渡された初級錬金術の本を手に取り読み始めた。

 ドリスさんは人に無意味な事を強いる人じゃない気がするし、ここでこの本を読む時間をくれたんだと思う事にした。


 つまり、彼女の言う『謙虚に学ぶ姿勢』を試されている。


「この本も……。どうしてこの世界の本はこう読みにくいんだ……!」


 それは僕が普段読むような小説とはあまりにも違っていた。

 そもそも文字が小さすぎる。


 だけど初級なのが幸いしてか、内容は辛うじて理解できる。

 誰もいない小部屋で、僕は初級錬金術書に没頭した。


 

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