水中の結界
「この水底に楽園が……」
「なによ、なーんにも見えないじゃないのよ」
期待外れ、とでも言いたげにユリアは湖を覗き込む。
「そりゃ、地上から見えたら意味ないからな」
湖の水面は夕焼けのような茜色を反射して、同色に色付いている。影を作ってやれば見慣れた水色に戻るけれど、水深はかなり深いようで底が見えなかった。
これだけ深いと、シーサーペントが泳いでいそうだ。
あの頃の記憶が、すこしだけ蘇って懐かしい。
「それで? どうやって楽園にいくの?」
「ちょっと待っててくれ」
先に周囲の警戒をする。万が一にも湖に入るのを街の女たちに見られるわけにはいかない。それは楽園に住む住人、すべてを危険にさらしてしまう。
なので、オチュー・アイズの眼球を総動員して周囲に目を光らせる。どこかから見られているなら、こちらからも見えるはず。そうして一通り警戒をしたが、幸いなことに誰にも見られていないようだった。
「よし、じゃあ行こう」
形態をオチュー・アイズからシーサーペント・スケイルに変換。
水の魔力で身を包み、二人の周囲に頑丈な泡を張る。内部は無重力のようになっており、二人を浮かべている。
「わっ、わっ」
「なにこれ? すごいじゃない! 楽しい!」
ユウリは驚いたようにジタバタし、ユリアは興味津々と言った様子で泡の内側を包んでいる。
かつての人魚の街を思い浮かべて魔力を込めて見たのだが、うまくいったみたいだ。
「あんまり暴れないでくれよ? 割れるかも」
そう注意をしつつ、泡を操作しながら湖へとダイブした。
「わー。すごいわね! 水の中なんてはじめて!」
水飛沫を上げて湖に入ると、数多くの魚たちに出迎えられた。
色取り取りの魚の群れが回遊し、大型の魚が悠然と游泳している。それはとても良い眺めで、まるで水族館にでも来ているみたいだった。
けれど、ここはダンジョンの中だ。観光気分のままとは行かない。
視界の端に微かに映る、鋭利な牙。それを認識してものの数秒で、それが近づいてくる。
巨体を揺らし、牙を剥く、大型の鮫。それが突っ込んできた。
「おっと」
すぐに泡を操作し、大型の鮫を回避する。
掠りでもしたら鮫肌で泡が割れてしまいそうだ。
「わ、わわわ、割れてませんか!? 大丈夫なんですか!?」
予想外の視覚にユウリが慌てふためいている。魔物に襲われることになんて、もう慣れているかと思ったけれど。
あぁ、ただ単純に水の中が怖いのか。まぁ、未知の体験だろうし、それもしようがない。
「ふー! ほらほら! さっさとやっつけて!」
ユリアは別なようだけど。
寧ろ、スリルを楽しんでいるように見える。ジェットコースターではしゃいでいる子供みたいだ。
「じゃあ、リクエストにお応えして」
旋回して戻ってくる大鮫に対して、対抗策をとる。
最初はサンダーバードの能力で倒そうと思ったけれど、水中で電撃はなにかと被害が大きくなる。隣に二人がいることだし、ここはやはり水に有利な氷で迎え打つべきだろう。
ということで、右手だけをジャックフロストへと変換。蒼白刀を握り、上から下へと振り下ろした。描いた軌道が凍てついて氷刃となり、それは真っ直ぐに大鮫へと向かう。
大鮫はそれを軽く躱してしまったが、それは織り込み済み。すでに回避先に新たな氷刃を放ってある。大鮫からすれば回避した矢先、目と鼻の先に氷刃が現れたように見えただろう。
驚愕し、後悔した頃にはもう遅い。身体が真っ二つになり、魔氷の中に閉じ込められている。
「さて、と。見えてきたな」
脅威を排除しながら沈んでいると、ようやく楽園が見えてくる。
水底に築き上げられた一つの街。水を遮断する結界のような膜は、まるでスノードームのようだ。かつて俺が見た、人魚の街と同じ方法で水中に空間を確保していた。
「あれが楽園かー。なんか、思ってたより地味ね」
「これで牢屋に入らなくて済む……助かりました」
反応はそれぞれで、けれど二人の表情には笑みが浮かんでいた。
「すこし周囲を見てまわるぞ」
俺たちの方法は言わばズルだ。正規の手段を踏まず、ショートカットした。
だから、あるはずなんだ。この楽園に続く正規ルートが。それを探して旋回していると、水底の端から伸びる通路が見えた。街を覆う結界と同じ、半透明なもの。あれが恐らく、正規ルート。あそこから街に入らなければ、二人は受け入れてもらえないだろう。
「ほら、下ろすぞ」
泡を通路に触れさせると、同化したように吸い込まれる。中にいた二人は弾き出されるように、通路の中に降り立った。
「あれ。あんたは来ないの?」
俺は通路に入ろうとはしなかった。
ここで俺の役目は終わったからだ。
「あぁ、俺は別にやることがあるから、ここでお別れだ」
「そう。それは……残念ね。あんたといると結構、楽しかったのに」
意外なことに、ユリアはすこし寂しそうな顔をしてくれた。
「ありがとう御座いました。この恩は決して忘れません。お達者で」
「あぁ、二人とも元気でな」
別れを告げて手を振り合い、俺は水面を目指して上昇する。
二人は無事に送り届けられた。次はフェンリルの討伐だ。
最初は手も足もでなかったけれど、二度目では傷を付けられた。三度目には殺せるはずだ。必ず、仕留めてみせる。