紫紺の一刀
身体中に開眼した瞳に各属性の魔力を流し込み、そのすべてを魔眼にする。
「ウォウッ」
目にも止まらぬ速さで襲い来るフェンリルを、通常ならざる魔眼で捉え、今度も紙一重で躱してみせる。通り過ぎ、切り返し、再び牙を剥くフェンリル。しかし、その時にはすでに魔眼から極彩色のレーザーを放っていた。
炎、水、氷、風、雷、石、宝石、毒。あらゆる属性のレーザーがフェンリルを襲う。攻撃を止めて回避に走ろうとも、曲がりくねりレーザーはその後を追尾する。
しかし、流石は高位の魔物だ。やはり速い。
超高速のレーザーを振り切るほど速く、フェンリルは駆けている。炎も、水も、氷も、次々に脱落して追いつけなくなってしまう。まともに追尾できているのは、しなやかに曲がる風と、どの属性よりも速度が出ている雷だけだ。
サンダーバードの雷とヒポグリフの風なら、フェンリルの速度に対抗できるかも知れない。
そう勝機を見いだした刹那。
「ウォオウッ」
フェンリルが銀色の魔力を纏う。風のように毛並みを撫でたそれは額に集まり、一本の雄々しい角となる。それは振り向きざまに刀のように美しく振るわれ、背後で追尾していた風と雷のレーザーが斬り払われてしまう。
追尾が出来ても簡単に迎撃されるのでは魔力の無駄だ。
「やっぱり、カウンターしかないか」
フェンリルの攻撃を躱して反撃を打つ。言葉の上では簡単だが、実行に移すのは非常に難しい。正直なところ、オチュー・アイズをもってしても紙一重で躱すのが精一杯。更に反撃を打つとなると、かなりの危険を冒さなければならない。
とはいえ、危険なら今まで何度も冒してきた。今更、怖じ気づいてはいられない。
「――」
得物を紫紺刀に染め直し、右腕だけをサンダーバード・フェザーに変換する。
バチバチと紫電が走り、火花が散る。それを感じ取りながら、数多の視線でフェンリルを射抜く。
勝機は一瞬。それを見逃さないよう、瞬き一つせずに出方を窺う。
フェンリルも俺の異様な気配からか、慎重になっている。俺の周囲を回るようにゆっくりと足を進めている。それが数秒か十数秒か続き、その時は来る。
「ウォオオオッ」
地面を蹴り、跳ね、銀の一角が好みに迫る。
それに合わせて紫紺刀の威力を最大にし、最速を持って一刀を叩き込む。
火花が散る一瞬の刹那に、銀と紫が交差する。
その結果は――
「ぐっ」
銀の角に左肩を穿たれた。砕け散り、魔殻の内側で漂っている。激痛が走り、左腕の感覚がなく、動かせもしない。
だが、振るった紫紺刀の刃には血がべっとりと付着していた。
「グゥ……ルルルルル」
こちらの一刺しもまたフェンリルに当たっていた。
脇腹に走る一筋の朱い刀傷。滴り落ちる血液が銀の毛並みを穢している。
痛み分け。いや、負傷はこちらのほうが大きい。
まだ足りない。なにかあともう一つあれば、フェンリルの上をいけるのに。
「ウォオオオオオオオッ」
刀傷の痛みを押して、フェンリルは吼える。
それに反応してこちらも魔力の糸で砕け散った左肩の破片を繋ぎ、組み上げた。
そうして再び銀の一角と紫の一刀が交差する――かに見えた。
フェンリルが地面を蹴り、こちらに迫ったその瞬間。
「この犬っころめッ!」
側面から横槍を入れるように乱入者が現れる。
言うまでもない、ユリアだ。
彼女はフェンリルに合わせて跳ぶと、その刀傷が走った脇腹に膝蹴りを食らわせた。
「ギャンッ」
不意打ちで負傷したところへ跳び膝蹴りを食らっては流石のフェンリルと言えど堪らない。地面に転がったフェンリルは直ぐさま体勢を立て直すと、恨めしそうにユリアを睨み、以前と同じように逃走した。
どうもフェンリルは多対一を嫌っているらしい。
なにはともあれ、助かった。
「あっ、こら! 待ちなさいよッ!」
とうに逃げ去ったフェンリルに向かって、ユリアは怒鳴る。
けれど、その声ももはや届かないところにフェンリルはいるだろう。
逃げられたら追いつけない。どうやらフェンリルと戦うには、一対一じゃないとダメみたいだ。利口で賢い奴だな、本当に。
「まったく……それで、大丈夫なの?」
「あぁ、なんとか」
砕かれた左肩も組み立てたお陰が繋がり始めている。あと数分もすれば完治するだろう。
「助かった。ユウリは?」
「影に隠れてるわよ。休んでたら物騒な音がするんだもの、隠すに決まってるじゃない」
「そっか」
無事ならそれでよかった。
「……」
しかし、偶然が重なるものだ。
フェンリルと一度目にあったのが、この大規模空間に入ってすぐだった。
そして二度目が見回りに一人になった時。
フェンリルは多対一では戦わないようだし、タイミングが良すぎる。
「もしかして――」
フェンリルは俺を狙っているのか?
たしかにこの身はあらゆる魔物の魔力を有している。魔力量も膨大だし、エサとしては申し分ない。狙われる理由なら挙げたら切りがないほどだ。
街の女たちに狙われたかと思ったら、次はフェンリルか。
まぁ、犬って骨が好きだっていうし、その延長なのかも。いやな好かれ方だけど。
「でも、参ったわね。フェンリルが近くをうろついているとなると、楽園探しも楽じゃないわ」
「そう……だな」
もし俺が狙われているのなら、二人を巻き込んでしまうことになる。
だが、かと言って此処でわかれるというのも無責任な話だ。なんとか次の襲撃までに二人を楽園に送り届けないと。
そのためには――精霊を頼るしかないか。
頼らないようにしているとはいえ、現状が現状だ。いたしかたない。
問題は精霊が導き出した答えを、どう二人に伝えるかだ。余所者の俺が楽園の位置をいきなり言っても信じないし、仮に楽園に二人を連れて行っても、今度はどうして知っているんだと当然の疑いを抱かれる。
それは無用な面倒事を招きかねない。
だから、あくまで俺たち三人で見つけ出したという体で秘密裏に二人を導かないと。
なかなかに面倒臭い話になってきたが、こればかりはしようがない。
どうにかして楽園に連れて行こう。