1. 万年筆
時代設定は平成です。
拙い表現も多いと思いますが、新しい回の追加と並行して、以前の回も適時修正しています。エピや会話の増補もあります。
よろしくお願いします。
それは隕石ではなかった。
成層圏、日本海上に突入したその物体は、東北東に向けて輝きを増していく。
ネブラスカ州、米戦略軍 USSTRATCOMの司令施設では、照明を落としたフロアに淡い青と緑の表示が整然と並んでいた。巨大スクリーンには、ミサイル警報、衛星軌道、宇宙監視などの状況が更新されている。
当直士官が紙カップのコーヒーを片手に画面を眺めている。その表情は穏やかだ。
ミサイル発射警報なし。既知衛星の軌道逸脱なし。高高度での異常熱源なし。
ただ一度だけ、画面の片隅で日本海南部の大気密度モデルが小さく乱れた。
士官は眉を寄せた。隣席の分析官が端末を引き寄せる。
「ノイズですね。再取得してみます」
表示は正常に戻った。
人類はその落下をまだ知らない。
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『生徒のみなさんは、速やかに下校しましょう。部活動のない生徒は校舎内に残らないように…』
校歌の前奏に続いて女生徒の録音が校舎に響く。
彼方は、トイレの個室で膝を抱えていた。
便座の蓋を閉め、その上に体育座りで収まるというあまりに情けない姿勢だ。
もう三十分は経ったか。とても寒い。
校内放送を境に気配が減ってきた。廊下に響く嬌声も運動部が引き上げる足音も遠のいた。
もう少しで誰もいなくなる。そうしたら教室に戻って…
「ウンコですかー?」
甲高い声がタイルの壁に跳ね返った。ドアの下の隙間から小さい上履きが見える。
一年生だ。
ドアがバンバンと叩かれる。額を汗が伝う。
「なんでもないよ、あっちいけっ!」
「…」
「先輩じゃね?」
「まじぃか⁉︎」
嘲る笑い声が遠ざかる。廊下を駆ける足音は反響しやがて消えた。
彼方は額をドアに押しつけた。
…今日は散々だ。
3時限目の休み時間、その屈辱がこみ上げる。
2年1組の休み時間はいつも少しだけ世界の終わりに似ていた。
黒板の上の御祓中学校訓の額に喧騒が被る。黒板に落書きを大笑いしてる学生服、机に突っ伏した眼鏡っ子は肩を揺らし、後ろの扉から飛び込んできた女子たちが無意味な悲鳴を上げる。
彼方の席は、近視で背も低い方なので教壇から3列目だ。
すぐ後ろの席には、ひょろっとしたスポーツ狩りの佐備が小さな椅子を背に反り返っていた。ちょっと目立つ前歯が親しみやすさなのだが、本人は随分と気にしている。
「なぁ」
その佐備が顎をしゃくった。
教室の後方、そこだけ空気が少し違っていた。
汐ノ宮がいた。2人の男子と談笑している。
ショートボブ、真面目で聡明。教室に散在する男子の視線を統計できたなら、かなりの人数が相当な頻度で彼女にフォーカスしているのが判明しただろう。
同級生とは異なるオーラの、しっかりした体格の男子がそこにいて、女子が遠目できゃあきゃあ、「藤井寺先輩」「生徒会長〜」と口にしている。その藤井寺生徒会長と汐ノ宮の輪に、痩せぎすのいかにも堅物といったメガネが加わっていた。学級委員長の不動ヶ丘だ。
彼に視線を向けた彼方の表情が、僅かに曇ったのに佐備は気づかない。
藤井寺が中腰で片手を机につき「じゃ今日放課後、生徒会資料作るの、すこし手間だけれど」
「今日は塾も無いし大丈夫です」汐ノ宮は笑顔で答える。
そんな様子を遠目で見ている彼方に、佐備は
「生徒会長人気あんな…」
「汐ノ宮ってよ、全国模試で50位だって聞いた?」
「あ〜、不動ヶ丘も良いって聞いたよ」硬い表情で答える彼方。
佐備はため息まじりに「汐ノ宮と雑談したことないんだよな〜」
《女子と喋れる佐備でも躊躇するのか…じゃ俺は仕方がない…》
彼方は苦笑いしつつ視線を落とし、
「一言も喋ったことないよ、同じ班だけど…」
そこへ楠風台が、机をひらひらよけてやってきた。彼方の心臓が暴れない数少ない女子だ。くるりんぱツインがそのキャラを醸し出す。
「よっオタクたち、今日もすぐ帰ってアニメ見るんだろ〜」
佐備「彼方はアニメもだけど今日は戦隊モノかな…」
彼方は赤面して「そんなもの見てないって!!」
二人はもみ合いになる。
「そうかそうか、彼方くんヲタじゃなかったんだよね〜」楠風台はふんわりと揶揄する。
佐備はもみ合いながら楠風台を見上げて
「なぁ、汐ノ宮さんってどんな人?」
「良い人だよーあんたら憧れてんだー、って私に聞くか⁈私だって女子だよ…」「そしたら彼方くん小学校一緒じゃん。」
小5の春に小丸山小学校に転校してきた汐ノ宮は、すでに今と似た空気を纏っていた。遠くから眺めるばかりだったことを思い出す。
佐備は、藤井寺生徒会長の方を顎でしゃくり
「バスケ部キャプテンで全国大会だとよ」
「才色兼備と文武両道、天は二物同士でお似合い…俺らには縁がない…かぁ」
佐備と組んだ態勢でそれを聞いた彼方は、もう一度生徒会長と楽しそうに話している汐ノ宮、そして不動ヶ丘に目をやり、抗う力を緩める。
後ろから、いきなり日に焼けた腕が伸びた。乱暴に肩を組まれる。
「お ち か た くんっ、汐ノ宮さんには見とれちゃうよな〜〜」
現れたのは、古市。
子分の甲田と新家が後ろでニヤニヤ笑っている。
「汐ノ宮さ〜ん、彼方くんがお話があるってよ〜」
汐ノ宮と藤井寺はこちらを振り返る。
「や、やめろよっ‼︎」
「やめろよ〜」古市は小馬鹿に復唱し、
「彼方く〜ん俺たちの仲じゃないかぁ。悩みくらい相談してくれよぅ〜 」
彼方の肩から下がった古市の左手に、胸ポケットに差している筆記具が当たる。
「?おお、これは」
古市は筆記具を抜き取り、
「立派なボールペンだなぁ彼方くん」
「か、かえせよっ‼︎そ、それは…」
古市はキャップを外す。
「おおーう、昔の…これなんて言うんだっけかっ」
「18金と24金があってな」
真新しいブカブカの学生服を着た彼方は、失望を感づかれないようにうつむき加減でラッピングのリボンを弄りながら、長くなりそうなじいちゃんの説明を聞いていた。
「わしが入学祝いにもらった万年筆は18でな、友達が持っていた24金が純金だと聞いた時は悔しかった」
「えっ?これって純金なの⁈」
「24Kと彫ってあれば純金だ」
黄金色のペン先を反射させると確かに24Kと刻印されている。
じいちゃんの話だと、昔の中学1年男子が新入生のうちは殆どが入学祝いの万年筆を誇らしげに胸ポケットに挿していたらしい。今同じことをすれば好奇の的になるのはうすうす予測できたが、常に純金という本物を所有している充足感は魅力に思えた。
古市の肩が後ろからグイと掴まれた。
「イジメはダメだなっ」強引に彼方から引き剥がされる。
慌てて振り向いた古市を、藤井寺が毅然と見下ろしていた。
「学校の風紀を乱す者は、生徒会長として見過ごせない」
「な、なんだテメーは⁈」
藤井寺の胸ぐらを掴む古市。
教室は聞き耳をたてるかに静まり返る。
藤井寺は微動だにしない。
揺るがない表情で
「リーチは考えないのか?」
「え」
藤井寺は毅然と言い放つ。
「君は胸ぐらを掴んでいる片手が使えない。僕は両手が自由なうえに君はリーチの中にいる。簡単にみぞおちに拳が届くよ」
古市は慌てて手を離し、二歩ほど引き下がる。
もうこの時点で趨勢はどちらにあるか明らかだ。
汐ノ宮も藤井寺のすぐ後ろに来ていた。不動ヶ丘は眉を顰めてなぜか椅子から立ち上がろうともしない。
教室のあちこちから視線が集まる。
古市はそんな周囲を見回して、
「せ、先輩だからってデカイツラすんじゃねー」
頬を紅潮させた古市は、甲田と新家に向いて
「ヘラヘラしてんじゃねー」と当たり
「行くぞ」
と、後ろの扉から退散していった。
「ど、どうもあ、ありがとうございます」
彼方が見上げた藤井寺は、机に手をつき、微笑みつつ、
「万年筆は大丈夫かな?」彼方の顔を覗き込む。
ハッとして胸ポケットを探り、両手を見比べるも何もない。
「も、持ってかれちゃった…」




