第2話 ダルマストーブ
その1 暖房と言えば
一〇年ほど前、市内にダルマストーブを売っている店が一軒ある、と聞いた。骨とう品屋か。希少価値である。そのうち、ダルマストーブのことを知る人間も少なくなるだろう。
御存じない人は取り敢えず、ダルマさんのようなストーブと考えていただくとよい。ただ、ストーブの性質上、ダルマのように転びやすい物ではなく、しっかりと足が生えている。
また、ずんぐりむっくりではなく、ボディはくびれてスマートだ。前方に薪をくべる窓が開き、上部には取り外しのできる蓋がされていた。目見当で、幅・奥行き各五〇センチほど、高さ約九〇センチ。鋳物製だった。
これが一世を風靡し、全国の学校などで暖房器具の定番になっていた時期があった。
その2 燃料は自前
山奥とはいえ、四国の学校なので、ダルマストーブを焚くのは一、二月くらいだった。シーズンオフには倉庫で眠っていた。
寒くなってくると、ダルマストーブを教室に運ぶ。煙突が取り付けられ、煙は窓の外に排出される。何本もの煙突がもくもくと煙を吐く光景は、田舎の学校の冬の風物詩だった。
燃料は薪が使われた。石炭を燃やそうにも、四国には有力な炭鉱がなかった。
生徒は自宅から薪を運んだ。薪がない商家の子どもなどは金を出していたようだ。
その3 寒いのは慣れっこ
クラスにはたいていストーブ係がいた。
薪が燃え落ちないように監視したり、薪が燃え尽きそうになれば補給する。これは、ストーブの近くに陣取る男子の担当だった。
古い木造校舎だった。陽当たりも悪かった。教室の出入り口や隅っこに座った生徒は寒かったに違いない。
それでも、不思議なことに、文句をいう生徒はいなかった。何しろ、家に帰っても、古い家では隙間風が吹き抜け、囲炉裏端には煙出しから雪が吹き込む。寒いのにはすっかり慣れっこになっていた。
その4 極上の弁当
ダルマストーブは暖を取るには十分でなかったにしても、もうひとつ大切な役割があった。弁当を温めるのである。
昭和三〇年代には田舎ではまだ学校給食は普及しておらず、弁当持参だった。
ストーブが熱せられるのを待ち、各人、ストーブの上に弁当箱を乗せる。専用のカゴがあった。
弁当箱はアルマイト製だった。腐食しやすい、傷つきやすいなどアルミニウムの弱点を補うため、表面に特殊な加工が施されていた。あの技術がなければ、弁当箱は子どもたちの乱暴な取扱いに音を上げていたことだろう。
お昼前になると、教室に得も言われぬ香りが漂い始める。香りはたいていお新香が発していた。「香の物」とはよく言ったものだ。
みんなが貧しかった。
家庭によっては、米に押し麦を混ぜて炊いていることがあった。大したおかずが入っていなくても、温かい弁当は子どもたちの空きっ腹を満たしてくれた。
ダルマストーブはアルマイトの弁当箱とセットで、多くの人々の記憶に刻まれてきた。




