3-18 妻恋鳥《つまごいどり》(前)
しばらく空きましたが、
どうぞよろしくお願いします。
前後編になります。
「鳩が豆鉄砲を食ったような顔してるで?」
猫の時よりいくぶん低めだが、その声はすでに何度も聞いて、耳に馴染んだものだ。
「…猫――ちゃん…? 人間に…?」
化けた?? 皆まで言わずとも、フェイバリットの言いたいことなどわかるようで、少年がぷっと小さく吹き出した。
「そこは普通、人が猫に化けとったと考えるとこちゃうやろか? ええなあ――お前の天然ぐあい。俺、好っきやわあ」
聞き慣れた黒猫の声が、つらつらと少年の口から出てくる。
こちらで出来た初めての友達は猫じゃなかった。人が猫に化けていたのだとようやく気がついた。
不思議な気持ちで、フェイバリットはまじまじとその顔に見入る。
手触りの良さそうな艶やかな黒い髪。そして髪色と同じく深い闇色をした瞳。
利発そうで、それでいてやんちゃな目をした少年は、フェイバリットよりもずっと幼く見える。将来はさぞかし美しい青年に成長するだろう。
子供ながらにその片鱗が垣間見える可愛らしい顔だ。
「そんなにじっくり見られたら、俺、顔に穴あいてまうわ」
おどけた口調も同じ――。
フェイバリットの無遠慮な視線を咎めるでもなく、少年は楽しげに笑う。
その顔を見ていると、先ほどの言葉は何かの聞き間違いだと思える。自分を驚かせようとして言ったのか、あるいは冗談。うん、きっとそうに違いない。
「――あいにくやけどこんなこと冗談やドッキリで言わへんで。嘘も吐かへん。俺は本気や」
はっと我に返ると、漆黒の瞳がフェイバリットの目を探るようにのぞき込んでいる。真上から見下ろす子供の顔は、ドキリとするほど近い。
「ほ・本気って…けけ――ケッコン?」
「そや。猫やない以上、問題ないやろ」
「だ、だって私たち、まだ子供じゃない!」
自分も成人前だが、相手は見るからに年端もいかぬ男児。こんな幼い子供を手籠めにしたとあっては、下手をすれば――いや、しなくても犯罪。それよりまず人間性が疑われる。
子供の可愛らしい戯言と、適当に頷いてこの場をやり過ごす手もあった。だが相手のあまりにも真剣な眼差しに、嘘をつくのは躊躇われた。
「まあそやわなぁ――…君の言うことも一理ある」。少年がふむと少しばかり考え込む。
伝わった。やはり黒猫は、きちんとこちらの気持ちを聞いてくれる相手だ。ホッと息を吐きかけた時。
「ほな祝言は君が成人してからやな」
さらりと言い放つ。少年がニッカリといい笑顔を浮かべる。
「…は?」
「安心し。言うても、あと数年の辛抱やさかい。お利口さんで待てるよな?」
子供にでも言い聞かせるような口ぶりにフェイバリットは苦々しく閉口してしまう。
いやいや、あなたは数年どころではないよね? 辛抱という言い回しも微妙に引っかかる。なぜこちらが諭されているのだろう。
色々、間違っている。どこから突っ込んだものかわからず、フェイバリットは喘ぐように口をハクハクさせる。
取り乱すフェイバリットを見つめる目は、笑みを含んで柔らかい。かと思うとその勝気な瞳が刹那、切なげに陰った。
「…なんで俺、この姿なんや――」
ぽつりと、独り言のような呟きがこぼれ落ちる。
上手く聞き取れず、首をかしげてみせると。次の瞬間、ただでさえ至近距離のところにある顔がぐっと近づいた。
「!」
とっさに目を瞑ると、肩に重みがのしかかる。触れ合うところからじんわりと温もりが伝わってきた。
おずおずと薄目を開けると、少年の頭がフェイバリットの肩口にすっぽりと収まっていた。幼い腕が、そっとフェイバリットの頭を抱え込む。
髪の中に小さな手がもぐり込み、しきりに髪を撫でたりさすったりする。その間、あれほど口の回る黒猫、いや少年はずっと無言だった。
どう声をかけたものかわからず、フェイバリットは、黙ってされるがままでいる。鳥の囀りがまだ始まらない早朝の部屋は、静寂が耳に痛いくらいだ。
そろりと相手に手を回し、慰めるようにポンポンとその背を叩く。昔、そうやって養父からさんざん慰められたように。
「俺は…子供やない…」
押し殺した声が聞こえた。気持ちを落ち着かせようとしたこの行為は、彼にとって不本意なものだったらしい。
ピタリと手を止める。行き場を失った手は、宙ぶらりんに持ち上がったまま。これも嫌がられたりしないだろうかと迷った挙句、その手をそのまま相手の背にそっと置いた。
幸いにも相手から拒絶の反応はない。ホッとした、その時だった。
「――你真可爱」
「え?」
ぼそりと声がした。
思わず首を捻って相手を見ようとするも、少年は顔を埋めたままだ。
「我喜欢你的笑容――和你在一起很幸福」
今度はしっかりと聞こえた。その声は静かな部屋によく響いて、ビクッと肩が跳ねる。
「あ、あの…?」
「我真的喜欢你! 我特别喜欢你! 我一直喜欢你!」
口を挟む隙もなく、言葉が洪水のように溢れ、波のように押し寄せる。
図らずも、フェイバリットには神の加護がある。おかげで、言葉に関してはこの世界で不自由せずにいられる。
その加護を持ってしても翻訳が追いつかないのか、はたまた言葉に込められた少年の想いが強過ぎるのか。
聞き慣れない言葉が同時に耳に飛び込んでくる。きっとこれが本来、彼らが話す言葉なのだろう。
「我很想你。我想要一直待在你身边」
肩口に埋もれさせた顔を、縋るように肌に何度も擦りつける。
こんな時、どうしてやればいいのだろう。オロオロと、ただ抱き締めることしか出来ない自分がもどかしい。
フェイバリットの頭を大切そうに抱え込む少年の腕に、ぎゅっと力が込められる。だがけして乱暴な手つきではない。
「……我不想离开你……」
絞り出すように吐き出された声は、朝の光に溶け込んでいく。
ぎしりと音がして、体にかかる重みが急に軽くなった。少年が寝台に手をついて、体をゆっくりと起こしたのだ。
「今は俺を男としてみられへんでも構わへん。大事にする。一生、お前のこと大事にする――どうしたら、どう言うたらお前は俺と一緒になってくれるんや」
黒猫と同じ色をした少年。
自分を見下ろす必死な黒い瞳には、戸惑った顔をした自分が映り込んでいた。
続きます。
後編は明日、投稿します。




