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君に捧げる花の名は、  作者: ???
トリトマ
40/50

三十六輪

 

「じゃあ、こっちの列に並んでくださーい」


 グラウンドに入ると、会場係の誘導のもと自分の走るコースの列に並んで。視線を感じて振り向けば、ボクから斜め後ろの方で白石さんがこちらに手を振っているのが見えて。一緒に走ることは無いのかとどこかほっとした気持ちでその場に座りながら、競技の説明を受ける。

 借り物競争を担当する教師は点呼をとると、トラックを指差しながら説明をしてゆく。白線についてスタートした後自分のコースに置かれた紙をめくり、そのお題に書かれたものを観客席に聞くと言うシステムだそうだ。中学生の頃は人数も星花と比べれば遥かに少なかったななんてどこか懐かしくも思いながら自分の順番を確認して。一番最初に走る生徒がスタート位置に着くと、生徒会の役員がマイク越しに「位置について、よーい」と声を掛ける。一番最初の走者たちは、その声を聞くと走る体勢になって。パン、という乾いた音とともに一斉に駆け出してゆく。

 学年合同で行われる借り物競争は、様々な色の体操服の生徒がせわしなく動き回っていて。「眼鏡貸して!」「王子ー!」「髪の毛! ……髪の毛!?」「アイドル!……ってこれ特定の人じゃん!」なんて声が飛び交うなか、やがてボクの番がまわってきて。少しだけ緊張しながらスタートラインに立つ。


「位置について、よーい」


 パン、と言う乾いた音とともに駆け出すと、机の上に置かれた白い紙を手にとって。周囲の人と同様、ボクもゆっくりと紙を開き────そのお題を確認すると、思わずぶっと吹き出した。


(な、なんでこんなお題────)


 照れ臭い感情を隠すように口元を手の甲で覆いながら、会場にいる星花女子学園の生徒をぐるりと見渡す。様々な生徒が楽し気に応援席から応援の声を飛ばして、会場係と生徒会は忙しそうに動き回っている。その外側からこちらに向かってレンズを向けるのは、生徒会から撮影許可証の代わりに配布された腕章を付けた写真部の部員たちで、その中に茶色の猫耳を付けた猫山さんが動き回っているのが見えた。

 心臓がバクバクと音を立てているのが解った。それを宥めるように何度も深呼吸をすると、()()の方へ向かって少しずつ駆け出す。白い体操着が太陽の光に反射して、やけに眩しかった。

 ボクが向かって行った先では、ボクが来ることは予想外だったようで。戸惑ったような表情をしながら、「やかん? クッキー?」と聞き返して。ボクは「ううん」と答えてから、()()()()()の手に出来るだけ優しく触れれば、彼女はほんの少しだけ怯えたような、それでいて少しだけほっとしたような表情で「ど、どうしました?」とその穏やかな声で聞き返す。


「川蝉さん、ボクと一緒に来てくれる?」「……え、あ、あの」


 ほんの少し怯えたような目でこちらを見る彼女の手を取ったまま、「お願い」とその耳元で囁く。「君にしかお願いできないことなんだ」と伝えれば、彼女はほんの少し困ったような、それでいて少しだけ照れくさそうな表情で考えるように目を伏せて。その表情に「やっぱりだめか」と思いながら、「あの、無理にではなくても────」と口を開いた瞬間、



「……わ、わたしでいいなら、その、お願いします」



 薄く形の良い唇が、怯えるように言葉を続けて。その表情にほっと息を吐いてから、「……ん」と微笑みかける。



「ありがとう、川蝉さん」



 繋がれたままの手が、まるで発熱しているように熱かった。怯えたように微かに震える彼女の手を出来るだけ優しく握りながら、ボクは自分の顔に熱が集まっているような気さえして。どうかこんな表情を彼女に見られないようにと願いながら、彼女の走るペースに出来るだけ合わせて走って────やがて、既にゴールテープが切られたゴールへと到着する。


『三着! 続いて四着、五着……』


 最下位ではなかったことにほっとしながら、隣に立つ川蝉さんに「ご、ごめん、痛くなかった?」と尋ねれば、彼女は呼吸を整えながら「……その、大丈夫、です」と言って微笑んで。それにほっと息を吐きながら「ゆっくり戻ろう」と言って視線を下に落とすと、繋がれたままの手が視界に映って。それを見て思わず、「あ、」と声をあげる。


「塩瀬さん?」「……あ、い、いや! なんでもない! ……っ、その!き、今日は暑いね、そろそろ夏が来るから……あ、いや、ごめん、あんまり関係ない……かも……」


 そう言って慌てて手を離せば、一人ぶんの体温が欠けた自分の左手がやけに寒々しく感じられて。それにどこか居心地の悪さを感じていれば、川蝉さんは一瞬だけきょとんとした顔をして、それから困ったように「……っ、あ、あの」と言うと、申し訳なさそうに会場係の方を指差して。その視線の先を追えば、どうやら会場係に一度、借りてきたものの確認をして貰わなければならないようで。それに気がついて恥ずかしい気持ちを持ちながら、「……その、係の人に確認して貰いたいんだけど、その、大丈夫……かな?」と彼女に問えば、彼女はぱちぱちと瞬きをしてから「……その、はい」と言って、再び俯いた。

 何処か気まずい気持ちを持ちながら会場係へ向かって「一年二組の塩瀬晶です」と言えば、彼女は「あっ、はい、わかりました。ええと、借り物の書かれた紙を見せて貰っても良いですか?」と言って。それに内心酷く焦りながら、握りしめていたせいでところどころ折れ曲がってしまった紙を差し出すと、会場係の人は「はい、大丈夫です」と言って、少しだけ笑った。


「じゃああそこの、三着の旗のところに座ってね」「わかりました」


 心臓がバクバクと音を立てているのが解った。無理矢理落ち着かせるように深呼吸を繰り返せば、隣に座った川蝉さんが「だ、大丈夫……ですか?」と、微かに震える声で問いかけて。それに「だ、大丈夫」と答えれば、川蝉さんは少し心配そうな顔をして、それから微かに表情を綻ばせた。


「……ふふ」「……え、」


 隣から聞こえてきた密やかな笑い声に視線を向ければ、川蝉さんはいつもより少し柔らかい表情で、囁くように言った。


「……ご、ごめんなさい、その、何だか初めて会ったときに似ているな、って思って。……そ、その、少し懐かしくて」


 そう言った川蝉さんの表情をみて、ボクも同じように笑い返す。何だか少しだけ、肩の力が抜けるような気さえした。


「……そうかもしれないね」


 ボクはそう言うと、目の前で次々とゴールしてゆく様子を眺めていて。次の走者が移動する様子を見て、借り物の発表はしないのかとほっと胸を撫で下ろした────時だ。


『それでは借り物の発表を行います。一位、アイドル! 二位、王子!』


 マイクを通して、次々と言われてゆく借り物に内心酷く焦りながら川蝉さんの方を見て。すると川蝉さんは、ボクの視線に気付いたようにこちらを見て、柔らかくはにかんで。そんなことに少しだけ嬉しくなってしまう自分に呆れてしまう。


『それでは三位────これはラッキー問題でした!』


 お題が明確で解りやすいものをと生徒会に言われ、体育祭実行委員会で作り替えたものなのだそうだ。確かに他の人と比べると解りやすかったなと思いながら、頬に集まる熱を逃すように手の甲で触れる。どうしてか、隣に座る川蝉さんの方を見ることが出来なかった。


『三位────借り物は『友達』でした!』


 続いて四位、五位と借り物が発表されてゆく中で、ボクはどうしてか彼女の方を見ることが出来なくて、つい彼女から顔を背けてしまう。五月の終わり特有の柔い葉の香りとほんの少し気怠い夏の風を含んだ風が吹いて、熱を持った頬を撫でたあと、ボクの伸び始めた髪を揺らした。

 マイクを通して会場に響く実行委員会の声を聞きながら、どことなく気まずい思いを逸らすように髪を耳に掛ける。友達だって胸を張れるほど長い時間を過ごしていた訳じゃ無いし、不愉快な思いをさせてしまったら申し訳ないなと思いながら、「ごめん」と伝えようと口を開いた時だった。


「────良いん、ですか」「……え?」


 ボクが口を開くよりも先に、川蝉さんが小さな声でこちらに囁くように問い掛ける。その声に思わず彼女の方に視線を向ければ、緩く三つ編みに編まれた焦げ茶色の髪と微かに俯いた表情が視界の端に映った。


「……その、塩瀬さんはお友達がたくさんいらっしゃるのに。わたしなんかで、よかったのかな、って」


 そう言った川蝉さんの声に、出来るだけ優しく聞こえるように「ボクは」と呟いて。どこか心の奥深くで引っ掛かる言葉を振り払うように深呼吸を繰り返して呟いた。


「……ボクはその、君のことを()()だって、そう思っていたんだけど」


 柔く吹いた風が、ボクと彼女の髪を揺らす。遠くでグラウンドの砂ぼこりが風に舞っているのがわかった。

 心臓が早鐘を打っていたのがわかった。酷く呼吸が苦しくなって、ボクはたちまち息苦しくなってしまう。誤魔化すように耳に触れれば、触れている部分が溶け出してしまいそうなほどに熱かった。

 川蝉さんは一瞬だけ、彼女にしては珍しく少しだけ呆けたような顔をして。どこか驚いているようにも見えるその表情に内心酷く焦っていると、「……塩瀬さんって、不思議な人、ですね」と言って微笑んだ。


 ────やがて競技が終わると、借り物競争に出場していた生徒は応援席へ戻るように促されて。ザッザッと靴底が砂利に擦れる音を聞き退場門へ川蝉さんと一緒に戻りながら「忙しいのに連れてきてごめんね」と言えば、彼女はふっと柔く微笑むと「い、いえ。……その、嬉しかった、ので」と呟いた。

 柔らかな声で呟かれた言葉を聞くと、思わず「あっ、あぁ、そ、そうなんだ」と返してしまって。裏返った自分の声に情けないと思いながら、それでも話をこのまま終わらせてしまうのはもったいないなんて思って、「そ、そう言えば園芸部は体育祭の手伝いってない────よね、はは」なんて、訳の分からない言葉が口をついてしまって。それに内心自己嫌悪していれば、川蝉さんはその澄んだ大きな瞳を戸惑ったようにぱちぱちと瞬かせると、「は、はい。園芸部はその、今は無くて。文化祭になれば、ポプリを作って販売してみようかって、皆で話してはいるんですけど」と続けて。「あ、そ、そうなんだ。良いね、ポプリ。ボクも買いに行こうかな」なんて会話しか出来なくて。そんな自分自身に酷く自己嫌悪すれば、川蝉さんは小さく微笑んで、「……あの、」と呟く。


「ん?」「……あ、あの、さっきの借り物競争、なんですが」


 川蝉さんの言葉に、先程のことを思い出して、ついぎくりとしてしまう。再び頬に集まってきた熱に「え、あ、あぁ、うん」と返せば、川蝉さんは少しだけ何かを言いたそうな表情をしてから────ふっと微笑むと「……いえ、やっぱり、大丈夫です。ごめんなさい」と呟いて微笑む。それに「そっか」とだけ返して、三組の応援席まで来ると、川蝉さんは「……あ、あの、わたしは、これで」と言って、少しだけぎこちなく微笑んで。それに「そ、そっか。ありがとう」と返すと、川蝉さんは「い、いえ」と言って、柔らかく微笑んだ。


「……その、また後で」「あ、は、はい。……またあとで」


 そう言ってぎこちなく、それでも確かな親しみをこめて手を振ってくれる川蝉さんに、少しだけ照れ臭く思いながら手を振り返して、隣の自分の応援席の方へと向かう。「あ、おかえり、晶ちゃん」と手を振ってくれる莉菜ちゃんに「ありがとう」と返しながら席に着けば、「ど、どうしたの?」と莉菜ちゃんが驚いたように声をあげる。


「ん?」「ううん、晶ちゃん、顔が真っ赤だよ? 走ったせいなのかな……具合悪い?」


 そう言ってぱたぱたと手で風を送ってくれる莉菜ちゃんに「へ?」と間の抜けた声を返して。言われるままに自分の頬に触れれば、その頬は発熱した時のように酷く熱くて。「何かあった?」とこちらに問い掛ける莉菜ちゃんに「いや、何も────」と返しながら、ふと先程の川蝉さんとの会話を思い出したものの、走ったせいで暑くなってしまっただけだろうと思い至り、「何もないよ」とだけ返した。


「……何もないよ。きっとさっき走ったから、暑くなっただけ」「そ?それなら良かった」


 そう言って微笑む莉菜ちゃんにふっと笑い返しながら、席に置いておいたペットボトル飲料に口を付けて、ごくりと飲み込む。少しだけぬるくなった水が喉を伝ってゆくのが解った。


「────ね、晶ちゃん」「ん?」


 水を飲んでいると、不意に隣に座る莉菜ちゃんがボクの名前を呼んで。ペットボトルから口を離してから「どうしたの?」と尋ねれば、莉菜ちゃんは一瞬だけ躊躇った表情をした後に、「あの、ね」と囁くように尋ねる。


「……あの、晶ちゃんはさっきの子と────」「さっき……ああ、見られてたのか。……そうだ。あの、四月に園芸部の白石さんを紹介してくれてありがとう。莉菜ちゃんのお陰で、川蝉さんと友達になることが出来たんだ。ごめんね、お礼が遅くなっちゃった」


 そう言って莉菜ちゃんに笑いかければ、彼女は「ううん、それは良いの」とぎこちなく微笑んで。「ただ────」と言って、その表情を曇らせて。それを不思議に思って「どうかした?」と問い掛ければ、莉菜ちゃんは数回深呼吸を繰り返すと、酷く真剣な表情でこちらを見る。


「……晶ちゃんは、さっきの子が好きなの?」「……え?」


 唐突に尋ねられた言葉に、少しの間ぼんやりと彼女の澄んだ真剣な瞳を見つめ返せば、彼女は目を逸らすこともなくボクの方を真っ直ぐに見返して。結局、真剣な表情から目を逸らしたのはボクからだった。



「────解らないんだ」「……え?」



 ボクはぼんやりと視線を逸らしたまま、無意識にそんなことを呟いて。柔い風が頬を撫でるのをどこか心地よく思いながら視線をさ迷わせれば、恐らくこれから競技なのだろうか、二組のクラスメイト達が足早に集合場所へ向かってゆくのが解った。


「……今はまだ、彼女に対する感情を恋愛感情だって言い切れないんだ。笑って欲しいとか、もっと話がしたいとかそんなことは思うけど、それを恋愛感情かって聞かれたらうまく答えられないんだ」


 そう呟いて「ボクは何かが人として欠けてしまっているのかもしれないね」と笑えば、莉菜ちゃんは「そんなこと無いよ」と呟いて。それに「ありがとう」と笑えば、莉菜ちゃんは複雑そうな顔をしていて。それを不思議に思いながらも、特に追及することもなくカメラをもって撮影を始めたボクには、



「────それは()()ってことなんだよ、晶ちゃん」



 莉菜ちゃんがため息とともに呟いた言葉は、届かなかった。

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