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君に捧げる花の名は、  作者: ???
エニシダ
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二十一輪

 

 ────アキ。あたし、貴女のことが好きよ。男の子よりも、他の女の子よりも、貴女が一番好き


 ボクは紫園と畳の部屋へ寝転んでいて。ざらりとした若草色の畳に反射する太陽がやけに眩しくて目を細めた。


 ────また君はそんなこと言って


 冗談でもそんなことは言わない方が良いよとか、そんな事を言っていたのかもしれない。だって、ボクが彼女に抱いている感情と彼女がボクに抱いている感情は、全く性質の異なるものだったのだから。

 ボクは右隣に寝転ぶ紫園から顔を背けるように左側に顔を背けて。淡く香る石鹸の香りから意識を背ける様にきつく瞼を閉じた。

 嗚呼、これは夢だ。だって、ボクは紫園とこんな会話をしたことは一度もなかったはずで。今の紫園は、中学時代と比べれば幾分が声が低くなっていたのだから。

 ────アキ、と、紫園が名前を呼んだ。名前と言うものは不思議なもので、音と音を組み合わせて結ばれた文字がやがてボク自身を形作ってゆくその行為は、何処か呪いにも似ていた。

 嗚呼、どうかもう許して欲しいなんて。そんなことを、今更いもしない彼女に頼んだって意味が無いのだけれど。


 ────ねぇ、アキ。こっちを向いて?あたし、無視されるの嫌いなの


 紫園はそう言って、ボクの頬に優しく触れて。体温の解らないその細い指と変わらない笑顔に、酷く泣いてしまいそうになった。

 ぐいと向かされたボクの顔を見て、紫園は酷く満足そうに笑って。薄桃色の唇をきゅっと釣り上げる。



 ────あたしを好きなあなたが好きよ、アキ



 そう言って笑った彼女の顔は、中学時代(あのころ)と変わらずに綺麗で。それがどうしようもなく好きで、愛しくて────そして同じくらい、怖かった。



 その連絡が来たのは、日曜日の早朝のことだった。メッセージアプリの乾いた音と、バイブレーションが部屋に響いて目が醒めてから、あの聞き慣れた洋楽が聞こえないことに一瞬だけ違和感を覚えて。それからすぐに、昨日、今日と休日だから切ってしまったことを思い出す。

 ボクは顔を顰めたまま、横着をしてベッドボードに手を伸ばす。冷たい感触が伝わって拾い上げようと手を伸ばせば、携帯電話はつるりとベッドボードを滑って、そのままボクの顔面へと落下した。


「────って……」


 寝ぼけ眼のまま襲った突然の痛みに気が動転して怒りが込み上げたものの、そもそも横着をしたのはボクだなんて思い直して。それでも些細な抵抗のように、「なんなんだよ」と呟きながら顔面に落ちた携帯を拾う。

 メッセージアプリに表示された名前は、「白石結」と言う文字で。不思議に思ってそれをタップしてから、ロックを解除する。

 真っ先に飛び込んできた文字は、『朝早くにすみません、白石です』と言う文字で。じょうろが謝っている独特なスタンプが送られてくる。


『大丈夫ですよ。どうしましたか』


 ボクから彼女に連絡することはあっても、彼女からボクに連絡することはほとんど無くて。何かあったのかななんて心配になってしまう。

 白石さんへ送ったメッセージはすぐに既読を示すマークがついて。連絡の内容は、なんて事は無い至って普通の内容だった。


『明日の放課後、写真部の活動はありますか?』


 送られてきた言葉に、はてと首を傾げて。『特に活動はありません』と返せば、相変わらずぱっと既読を示すマークがつく。


『じゃあ、一度園芸部の花壇に遊びに来ませんか?花が綺麗に咲いたので、もし宜しければ。猫ちゃ────猫山さんにも声を掛けさせて頂いて────』


 その言葉に、園芸部の育てる花は、確かに皆綺麗に咲いていたなぁなんて思い出して。少し悩んでから、少しずつ返信を打ち込んでは消してゆく。


『ごめんなさい、その日は────』


 誘ってくれたことはとても嬉しいけれど、猫山さんと違ってボクはまだ川蝉さんとは友人になって日も浅い。加えて、『Aster』のことも乙木君のことも何処か嫌な予感がしていて。出来れば一緒に居ない方が良いんじゃないか────なんて思いながら、断りの言葉を少しずつ打ち込んでゆく。するとその途中で、再び白石さんからメッセージが届いて。表示された文字を見た瞬間、頬に熱が集まってゆくのを感じていた。



『────それから弥斗さんも、塩瀬さんとお話ししたいようでしたので。花壇の花が綺麗に咲いたから、皆に見せたいって言っていましたし』



 どうですか、と言う文面に心臓からどくどくと音がするのを感じていた。思えばボクは昔から、紫園のように他人から求められることにとても弱いのだ。

 少しだけ視線を左右にさ迷わせて。緊張する心を落ち着けるように数回深呼吸をしてから、ゆっくりと返信を打ち込んでゆく。


「ボクでよければ……いや、違うな。もっとこう気の利いたことを────うーん……」


 こんな時、日色だったらもっと違うんだろうななんて同い年のいとこのことを思い浮かべて。暫く悩んでいれば、自室のドアをノックされる。


「晶、起きてんのか?朝ごはん出来てるって母さんが言ってる」


 呆れたような兄の声に、「すぐ行く」と返して。兄が立ち去った気配を感じてから、携帯のメッセージアプリに急いで文字を打ち込んだ。


『ありがとうございます。よろしくお願いします』


 あれほど悩んでいた結果がこれかなんて何処か自分自身に呆れながら送信ボタンを押して、携帯を置いたままリビングへと向かう。味噌汁の匂いが鼻腔を擽って、意図せずに腹が空腹を訴えるように鳴った。

 近頃は、少し自分が変だと思う。穏やかな気持ちになったかと思えば、急に昔のことを思い出して物悲しいような気持ちになったり。満たされたかと思えば、零れる様に突然心の中が空っぽになってしまったり。────紫園のことを引きずり続けているかと思ったら、案外そうではなかったり。

 鈍く銀色に光るドアノブを押してリビングに入って、自分の分のご飯と味噌汁をよそる。席に着くと、手を合わせてから味噌汁を飲んだ。


「兄さん、今日は何で家にいるの?」「今日は説明会が休み。明日は都内で説明会だから朝早く出るけど」


 ボクの家は食事中にテレビをつけることが無い家だから、必然的に家族間で会話をすることが多くて。だから、お互いの変化にも気が付きやすい環境だった。


「……なんか今日、機嫌良いな?」「────そうかな、普通でしょ」


 そう言いながら麦茶に口をつければ、兄さんは訝しげに眉を顰めて。「ふぅん」とだけ答えると、味噌汁に口をつけた。


「────あ、アキ」「うん?」


 向かい側で朝食を食べていた母親に呼ばれ視線をそちらへ向ければ、「後でスーパーにおつかいに行って来て貰える?」と言われて。「いいよ」と返してから朝のニュース番組を見れば、天気は快晴で二十度近くなると示していた。


 ────ついでに散歩でもしようかな


 空っぽになった器を重ねると、「ご馳走様でした」と手を合わせた。



 歯磨きと食器洗いを終え着替えるために自室に戻ると、一眼レフのバッテリーを抜き、専用の充電器に差し込んでから充電をする。『FULL』と『CHARGE』に別れた充電器は、コンセントに差し込めば『CHARGE』の左側の緑色の光が点滅した。どうやらまだ充電はしなくても大丈夫だったみたいだ。

 バッテリーをカメラに戻してから、新しいSDカードを差し込んで。カメラバックと財布を入れたリュックを背負うと、おつかいのメモを持って家を出た。

 青い葉の香りが静かに鼻腔を擽る。スニーカーがアスファルトに擦れてざりと音をたてた。


「ええと、ティッシュ、トイレットペーパー、湿布……ってこれ、薬局の方が安いな」


 24時間営業のスーパーマーケットに向かう方向から、反対側にくるりと向きを変えて。昨晩読んだ新聞に入っていた薬局の折り込みチラシの特売品の中にそれらが入っていたことを思い出しながら、そちらの方向へと歩いて行く。

 秋には金木犀の花が綺麗に咲く並木道を通って、そのすぐ傍にある二十四時間営業の薬局の自動ドアをくぐる。大手チェーンドラッグストアの店内には、一度聞いたらなかなか頭から離れない、独特な店のテーマソングが流れていた。


「ええと、ティッシュ、ティッシュ────」


 高校生になってからと言うもの、地元の薬局へ行く機会もなかなか無くて。昔は良く紫園とお菓子を買いに来たり、アイスを買いに来たりしていたななんて、何処か懐かしい気持ちになりながら買い物カゴを持って店内を探す。

 ティッシュとトイレットペーパーをカゴに入れ、湿布を買うためにコーナーを移動する。

 CMでよく見かける、『肩こりにきく!』と言う大きな吹き出しの下に陳列された湿布をカゴに入れると、メモと商品をもう一度確認して。買い忘れが無いことを確認してからレジへと向かう。支払いを終えレジ袋に入った商品をリュックへ入れて。ペポペポと言う何処か間の抜けた音と、「あっしたー」と言う面倒臭そうな声を背に薬局を出ると、カメラバックを斜めに掛けてふらふらと街を散策する。

 花鳥園や城跡など観光地が多いボクの市は、長期休暇になると観光客の方で賑わっている。とは言え長期休暇でもない今は、人通りもまばらで観光地らしいかと言えばそこまでではないのだけれど。


 ────そう言えば、川蝉さんは花が好きなんだっけ


 園芸部に所属しているし、この前猫山さんと一緒に居たときにアスクレピアスの説明をしてくれたときもとても楽しそうで。きっと彼女に育てられる花は幸せだろうなぁなんて考えれば、反射的に()()()のことを思い出す。



 ────…………私、にも、塩瀬さんのこと、教えてくれますか?



 ほんの少し怯えたように声を震わせていて。それでも、紡がれた柔らかな言葉は、やっぱり彼女らしくて。

 あの時は、つい冷静ぶって「もちろんだよ」なんて答えてしまったけれど。本当はもっと、叫びだしそうなほど嬉しかったんだ。


 ────もっと彼女のことが知りたい。好きなものも、苦手なものも。


 こんな気持ちを抱くのは、紫園以外には初めてで。だからこそ戸惑ってしまう。

 紫園との一件があってからと言うもの、誰かを傷つけることが怖くて当たり障りの無い言葉を返すことで友人関係を築いている。それはきっと、処世術としては正しいことなんだと思うけれど────



「────でもそれって、真剣に相手に向き合っているってことにはならないよなぁ」



 五月の柔らかな風が、あの頃より伸びたボクの髪を柔らかく揺らす。不規則に揺れる髪の毛は、まるでボクみたいで。それが何だか、少しだけ居心地が悪かった。

 知りたいのに知りたくない。解りたいのに解って欲しくない。……相手を知れば知るほど傷つけたくないのに傷つけてしまうなんて矛盾しているな、と自嘲してしまう。

 暫く写真を撮りながら散策していれば、ヴーッと携帯が低く唸り声をあげて、その音に思考を引き戻す。バイブレーションだ。ミュートにしていなかった自分自身に呆れると同時に、店内で鳴らなくて良かったとほっと息を吐く。

 道端で確認するのは迷惑だからと、隣にある空き地へ移動して電源ボタンを押す。そこに表示された通知をタップして確認すれば、どうやらそれは『Fiaba』からのメッセージで。そこに書かれた言葉に眉をひそめた。


『アキ、急にごめんね。実はちょっと悩み事があって、もし君が良ければ今夜か明日の夜あたりに相談に乗ってくれないかな』


 ここ数日、あまり話さなかった『Fiaba』からのメッセージに眉をひそめて。けれども、顔が見えない相手だからこそ話しやすいこともあるのかもしれないなんて考えて、ゆっくりと返信を打った。



『もちろん、ボクで良ければ。明日は学校だから、あまり夜遅くまでは無理だけど』



 そう打ち込めば、パッと既読を示すマークがついて。『ありがとう。こっちも明日は学校だから、あまり遅くならないようにする』と返信が帰って来て。お互いの都合がつく、今夜八時半頃に約束を取り付けると、『Fiaba』から届いた『じゃあ、また』と言う返事で会話を終わらせる。



「────悩み、か」



 紫園のことを気付かないうちにあんなに傷つけたのに、ボクだけが幸せになろうなんて傲慢で狡いよな、なんて考えながら携帯をスリープモードに落として、家への帰り道を歩く。

 傷つけたくない。悲しませたくない。……けれども同じくらい、相手を知りたい欲求が膨らんでいく。


「────気持ち悪」


 ボクは、ボクの中にある正体不明の感情がゆっくりと肥え太ってゆくのを感じながら。それでも今だけは、知らない振りをしていて。

 暮れてゆく街を歩いていれば、夕暮れが静かにボクを呑み込んで。覆い隠されるような夕日が、今はただ有り難かった。

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