二十輪 オトギリソウ/???
────着信音が携帯電話から鳴った。紫音と表示された通知を見て、思わず口元を緩める。どうやら上手く引っ掛かってくれたようだ。
僕は────いや、ボクはひとつ咳払いをして喉を整えると通話ボタンを押した。画面に表示されているカウントは、通話時間を示している。
「こんばんは。君から電話が来るなんて嬉しいよ」『前置きはいらないわ。────アキが星花女子高校に通ってるって、どう言うこと?』
端々に刺々しい口調を感じるのは、暗に「塩瀬晶に何か余計なことを伝えていないだろうな」と言う牽制のようなものだろうか。そんなに彼女が大切なのかと、身代わりながら少々嫉妬に近い感情を抱いてしまう────なぁんて、嘘だけど。
彼女────シオンの話す言葉は、どこか呂律が回らないもたついた話し方だった。今日はまだ薬を飲んでいないのだろうななんて考えながら、着替える途中だった制服を再び着直してソファーに腰掛ける。鈍い光沢を放つ革張りのソファーは、僕の体重を受けてゆっくりと沈んだ。
「どうって、言葉通りの意味だけど」『っ、そんなはずない。だってアキは────』
彼女の言葉は僕の言葉を否定しているようで、その実「そうであって欲しい」と言う願望を表していたようだった。自分で捨てておいて手に入りそうになったら執着しだすなんて、人間と言うものはつくづく業の深い生き物なんだろうななんて考える。
『────だいたい、あたしが貴方に聞いたのはアキと偶然駅で会ったって話だけ』「そうそう、それは前の偶然の話。今回は二回目の偶然の話」
くつくつと喉を鳴らすように笑えば、電話越しの彼女は酷く不愉快そうな溜息を吐いて。その態度は何ひとつ彼女になんて似ていなかった。
『なるほど?つまり、生徒会の用事があるからって言ってあたしを先に帰らせたのは嘘だったわけね』「人聞きが悪いなぁ。生徒会の用事はあったよ。ただ予定よりも早く終わったから、塩瀬に遊んで貰ってただけ」
平然と答える僕の声が気に障ったのか、シオンは小さく舌打ちをして。「そう言うのはあの人は絶対にしなかったからやめて欲しいなぁ」なんてぼんやりと考えていれば、
『────それで?』
結論を急ぐように掛けられた言葉に、自分の口角が上がっていったのを感じた。────嗚呼、これだから身代わりの関係は止められない。相手が頭を下げる優越感と、いざとなればこの関係全てを塩瀬に話してしまうことも出来る、この万能感。生殺与奪権を握っているようなものに近いのだろうか────なぁんて、そんなの全部嘘だけど。
「塩瀬は星花女子高校に通ってるそうだよ。制服にもそれらしき校章が付いていたし、なにより自分で言っていたし。ICカードの行き先は見えなかったから本当のことを言っているのかは怪しいけど」
まぁでも、あの怯えようからしてまず間違いは無いだろうななんて考えながらそう言えば、シオンは少し悩んでから『そう、ありがとう』と言った。
「君のきちんとお礼を言うところ、ボクは好きだよ。────それで、結局どうするの?」
僕は手元の携帯を通話中のまま、SNSのアプリを立ち上げる。そこに表示されている二つのアカウントを見ながら、紫園に問い掛けた。
「お陰様で、『Aster』は警戒されて向こうのアカウントには鍵をかけられちゃったし。どうするの?」
そう言えば、紫園は『大丈夫よ』と呟いて。『アキは怖がりだから、訴えたりはしないわ』と笑った。
『そもそもあたしは、今のアキがどんな様子なのか知りたかっただけよ。あそこまでするのは流石にやりすぎ。アキが可哀想よ、繊細な子なのに』
ほうと悩まし気な溜息を吐くその様子は、どこか子供の成長を憂いている母親にも近い印象を受けて。「嗚呼、気味が悪い関係だなぁ」なんて言葉を押し隠して、「そうだね、やりすぎたよ」と返した。
『まぁでも、そのお陰であのアカウントがアキだって解ったし、ちょうど良かった。このまま上手くいけば、もしかしたらアキはあたしのところに戻って来てくれるかもしれないし』
紫園はその様子を想像したのか『ふふ』と楽し気に笑うと、『そうねぇ、暫く様子見ってところかしら?』と呟いた。
「────君は歪んでるなぁ」『あなたも大概だと思うけど』
紫園は次第に呂律が回らなくなってきて。もうそろそろ薬が切れる時間帯なのかと見当をつけて、「じゃあ、また明日の昼にでも電話するよ。……ああ、明日は土曜日だけど、学校は休みだよ」と言えば、『知ってるし、大きなお世話よ。くれぐれも余計なことはしないでね』と釘をさし、ピッと言う機械音とともに電話が切られる。
電話が切られたことを確認すると、着替える途中だった制服を着替え終え、クローゼットに掛ける。小さく伸びをすると、パソコンを立ち上げ、紫音にも伝えていない『あるアカウント』を開く。
そこに映し出された『Fiaba』と言うアカウントから、塩瀬晶のアカウントを探せば、彼女も今夜は特に誰とも関わってはいないようだった。
相変わらずロックが掛けられたままのアカウントを見て、「ふふ」と、まるで紫園のような笑い声が漏れた。
『Fiaba』は、イタリア語で「お伽話」と言う意味だ。お伽噺のその後のように、お互いを大切に愛し合って依存しあった結果、絡まって捻じれた可哀想なあの二人を面白がって見ている僕には、ちょうど良い名前だった。
「────さて、君達の結末はどうなるんだろうねぇ、塩瀬?」
悲劇でも、喜劇でもなんだって良い。だって僕は────……
僕は突然鳴った携帯電話を見れば、そこに表示された『芳田 紫音』と言う文字に頬を緩ませる。着替え終えてからベッドへ座って応答ボタンを押せば、ぐすぐすと鼻を啜りながら、甘えたような声が『もしもし』と言葉を投げ掛けた。
「────もしもし、紫音さん?遅くなってごめんね、どうしたの?……ああ、また陽が浮気したんだね。可哀想にね、紫音さんはなぁんにも悪くないのに。……うん、うん。わかった。明日の昼間は無理だけど、夜はそっちのマンションに行くから」
グスグスと鼻を鳴らしながら、『ごめんね、ごめんね晶くん』と泣く声に「大丈夫だよ」と返して。しばらく話していれば満足したのか、ぶつりと一方的に切られた携帯電話を眺めれば、頭の中に橘 紫園が過った。
建前上とは言え彼女がいるのに他の人のところへ行くのは、一般的に見れば恐らく浮気に入るんだろうななんて考えながら、でももう、そんなのは今更かなんて思い直して、切られたままの携帯の電源ボタンを押してスリープモードへすると、携帯を充電してからゆっくりとベッドへ身体を沈ませた。
────それだって、別にもうどうでも良いか。
────だって僕は、もうどこにも行けないんだから。
「────僕達、お互いにどうしようもない人生を送っているね。橘さん」
呟いた言葉は、届くはずもなくて。携帯電話の液晶に表示された『橘 紫園』の電話番号と更けていく夜が、ただ静かに僕を非難しているような気がしていた。




