十九輪
────アキと私の間に隠し事は駄目よと彼女によく言われた。何かを隠すって言うことは、何かを失うことと同義なのよなんて言葉が、頭に残っている。
────何で?
ボクはその言葉に、無神経にもそう聞いて。彼女の為に蒸らし終えた紅茶を注ぎながら尋ねれば、呆れたように溜め息をついてからころころと鈴が鳴るような声で笑った。
────だって隠されていたら、どこにも行けなくなってしまうでしょう?
私達、他人の気持ちは読めないんだものなんて彼女は笑って、蒸らし終えたボクの注いだハーブティーに口をつけた。
お年玉の貯金を切り崩して鎮静効果のあるハーブティーを購入したのは、少しでも彼女の眠りが良いものへと変わるように願ってのことだった。……彼女に抱いていた感情は、最初はそんな綺麗な友愛だった筈だ。
それはいつの間にか、醜い恋愛感情へ姿を変えてしまって。行き場の無い熱が燻るように、化け物のように姿を変えた欲求が生まれているだけだった。
それからきっちり四時間後に、予想通りがくりと眠りに落ちた彼女に毛布を掛けて。底の方に少しだけハーブティーが残った彼女のカップを片付けながら、彼女の薄い唇を指の腹で優しく撫でた。
慈しみたくて、欠けた穴を埋めて欲しくて、同じくらい、欠けた相手の穴を埋めてあげたくて。そんなことを思ってしまうのはどうしてだろうか。お互いに依存する恋愛関係を、馬鹿馬鹿しいと思っていたはずなのに。……そんな風でしかお互いを満たし合えないのなら、それは最早恋なんて呼べないんだろうなとすら考えていたのに。
そんな気持ちを抱くくらいなら────恋なんて、しない方がずっとずっと良いと、あの頃のボクは悟っていたはずだったのに。
正門前は帰宅する生徒で少しこみ合っていて。五月の若葉の匂いが柔らかく鼻腔を撫でた。
「もう五月かぁ、早いねぇ」「はは、そうだね」
隣でパシャパシャと写真を撮る猫山さんを見ながら、ゆっくりと頬を緩めて。その表情が、少しでも笑っているように見えれば良いなんて思った。
あれから、猫山さんは特に何も聞いてこなかった。深追いしない方が良いと思っていたのかもしれない。細やかなところに気がつく彼女の行動が、今はただ有り難かった。
「あっ、みてみて晶ちゃん!」「ん、何?どうしたの?」
穏やかな時間を過ごしながらも、頭の中で考えるのは「Aster」のことで。ボクがアカウントに鍵を掛けてからというもの、特に何か向こうからアクションが起こされたわけでは無かった。しかしそれと同じくらい、その静かさが怖かった。
アカウントに鍵を掛ける前にフォローされていたアカウントは、こちらがそれを返していなくても呟いた内容が確認できる場合が稀にある。「Aster」にフォローをされていなかったことは、まだ不幸中の幸いと言えるだろう。
────よかった、これで暫くは大丈夫だろう
あのアカウントは暫く放置して、そもそもSNSそのものもやめてしまおうかなんてぼんやりと考えながら、猫山さんの指差した先を見て。そこに可愛らしい猫が眠っているのを見て、二人で顔を見合わせて笑った。
「星花女子学園一のボス猫、山田さんの貴重なオフショット!」「はは、本当だ。山田さん、綺麗な顔して喧嘩が強いんだもんなぁ」
そう言って笑えば、猫山さんはにっこりと微笑んで。そうしてから、「良かった」と笑った。
「良かった。晶ちゃん、さっきより元気になったみたい」「────ボク、そんなに顔に出てる?」
莉菜ちゃんにも言われたことを思い出して苦笑いすれば、猫山さんは「うん」とけろりとした表情で笑って。「でもわかりやすいのは良いこと思うよ」と続けた。
「……そうかな」「うん。わかりやすいって言うのは、助けやすいってことだから」
そう言うと、「ふぁぁふ」と猫山さんは欠伸をして。気ままなその行動に、ふっと肩の力が無意識に抜けていくのを感じていた。
「およ、ゆりりんだ」「────え」
猫山さんの視線の先を追おうと顔をあげれば、いつの間にか猫山さんは居なくなっていて。慌ててその後を追えば、猫山さんは一眼レフを構え、パシャリと写真を撮った。
「へへ、ゆりりんのジャージ姿、激写!」
軽快なカメラのシャッター音に反応したように、ゆりりん────アイドル・美滝百合葉はテレビの中と同じ、もしくはそれ以上の輝くような笑顔でポーズをとって。明るい茶色の髪が、太陽の光に透けて淡く煌めいた。
美滝 百合葉は、"天寿お抱えのJKアイドル"をコンセプトに活動するアイドルだ。その圧倒的な声量と存在感から、日本中でその名を知らない人はほとんどいないだろうと言われるトップアイドル。芸能界そのものに疎いボクですら名前を知っているんだから、それは本当のことなんだろうななんて思う。────それは良いのだけれど……。
「おー、さっすがアイドル!急に撮ったのに、ばっちりカメラ目線でキメてる……」「ふふん、まぁね。アイドルだもん!可愛く撮れてる?」
猫山さんと親しげに話すその姿に、「そう言えば彼女も三組だっけ」なんて思い出して。それと同時に、恐らくアイドルなら色々な権利も絡んでいるだろうと思い出し、「勝手に撮っちゃって大丈夫?」と聞けば、「あはは、良いの良いの」と美滝さんはひらひらとその白く細い手をひらひらと振った。
「猫ちゃんは私公認だから。私のオフショット載せると猫ちゃんのフォロワーさんも増えるし、私は猫ちゃんが撮った素敵な猫さんの写真も見せて貰えるし、一石二鳥だよ!」「もー、ゆりりん、猫ちゃんはやめてってばー。私は所詮人間の「猫山さん」だし、猫さんみたいな尊い存在と対等になろうとなんて出来ないもん。……あ、晶ちゃん!」
そう言いながら猫のカバーがついた彼女の携帯を「ほいっ」とこちらに投げて渡され慌ててキャッチすれば、猫山さんのSNSのフォロワーの数はどんどん増え、カウンターは回り続けていた。
「ひぇ……」
思わず呟けば、猫山さんと美滝さんはお互いに顔を見合わせてにやりと笑う。聞けば、お互いのフォロワー数が爆発的に増加する、WIN-WINの関係だそうだ。
「大切なのはゆりりんの私生活においての身バレ防止と!」「お互いのフォロワーを大切にすること!」
「ねー!」と顔を見合わせて笑う二人に「ははは」と苦笑すれば、悩むボクをよそに二人は猫のように無邪気に戯れている。
「私は猫ちゃんの写真ももっと欲しいなぁ。この前の黒猫の猫耳カチューシャも可愛かったのに、猫ちゃんってば撮らせてくれないんだもん」「えぇ!私は顔出しNGだもん。褒めてくれるのは嬉しいけどね!でも、ダメー!えへへ」
きゃっきゃっと無邪気な笑い声を上げる二人を見ながらゆるりと頬を緩ませれば、後ろから静かなモーター音が聞こえてきて。思わず振り返れば、長い髪の女の子がハンドル付き二輪車を操縦しながら「百合葉、おまたせ」とやって来ると、美滝さんの荷物を預かり、二輪車の足元へ置く。学年でも有名な、その長い髪を持つ人には見覚えがあった。
柳橋美綺さん。いとこの日色と同じ一組で、ボクも何度か日色から話を聞いたことがある女の子だった。
────はっはっは!僕のクラスにいる柳橋さんは、凄く頭が良いんだ!この前も、ヒーローと悪役の相互依存関係について語り尽くしてしまったよ!まぁでも、あまり宵闇さんに色々な人と話さないでって言われているから、まだ深くは話したことが無いんだけどな!
ぼんやりとそんなことを思い出しながら二人を見ていれば、猫山さんは「そろそろゆりりん達も帰るみたいだし私達も移動しようか」と笑って。「そうだね」と返して二人と別れれば、猫山さんは去っていく二人の姿をパシャリと撮って、呟いた。
「────国民的アイドルと、ハンドル付き二輪車を軽快に操縦する美少女。……うーん、絵になるなぁ」
猫山さんを横目に、「あれ公道走れたっけ」と頭の片隅でぼんやりと考えて。それでも今、創作に没頭する猫山さんを見て、余計なことは伝えないでおいた。
「────じゃ、晶ちゃん、また明日ね」「うん、色々心配してくれてありがとう。帰り道気をつけて。……また明日」
ひらひらと手を振る猫山さんに手を振り返して、ICカードを改札に通す。遅くなってしまった為か、混んだ車内は人がごった返していて酷く息苦しかった。
ボクは人混みに流され、偶然空いたスペースにたどり着くと小さく息を吐いて。つり革に掴まると、窓の外を流れる景色を眺めていた。
二駅、三駅と電車が停車しながら、やがてボクの最寄り駅に着いて。「さて帰ろうか」と、ICカードを改札に通して、改札をくぐって出た────その時だった。
「────あれ、塩瀬じゃないか」
この間と同じ、少し低い声がボクの名前を呼んだ。そんな訳がないと思いながら、バクバクと騒がしく鳴る心臓が、それが現実であると告げている。
「やぁ、この前も会ったね。……って塩瀬、大丈夫?聞こえてる?」
ポンと肩に置かれた手は酷く華奢で、重みなんて殆ど感じないはずなのに、やけにそれから重圧を感じてしまうのは一体何故なのだろう。
「……っ、乙木、君」「あ、聞こえてたね。良かったよ」
流石に無視は良くないと思うなと苦笑する彼に、「ごめん」と返せば、「いやいや」と人を食ったような笑みで彼は笑う。
「……どうして、ここに?」「ああ、僕は生徒会の帰りなんだ。体育祭の運営とかで色々と忙しくてね。お陰で彼女とも満足に会えないよ」
「君は?」と尋ねる声に、「…………部活」と返せば「ああ、そうか」と笑い、
「そうか、君、写真部なんだっけ」「……え、あ、ああ、うん」
その言葉に違和感を感じていれば、乙木君は「ただかまを掛けただけだったんだけど」と笑う。そうしてから、ボクの胸の校章を指差して、「でも君、僕達と同じ高校じゃないよね?私立?」と話を変えた。
「え、あ、ああ、うん」「そう。どこに行ったの?」
思わず、そんなことまで教えなければならないのかと言う意味の「えっ」と言う声が出て。乙木君はそれを聞いて、「純粋な興味だよ」とにこにこ笑う。
「…………ああ、そうか。ごめんね、僕あまり同級生と会わないから嬉しくて。答えたくなければ別に構わないよ」
そう言われると断り辛く、少し迷ってから「星花女子学園」と言えば、「へぇ?」と楽しげに笑って。「そうかそうか」と一人で納得したように頷くと、手元の腕時計をちらりと見る。
「────ああ、もうこんな時間か。……引き留めてごめんね」「へ?あ、ああ」
やっと解放して貰える雰囲気に、気付かれないようにほっと息を吐けば、「話してくれてありがとう」と乙木君は笑って。それに「いや」と答えてから、「じゃあ、ボクこっちだから────」と反対方向を指差せば、「ああ」と乙木君は微笑んだ。
「……じゃあ────」「ああ、またね」
乙木君はひらひらと手を振って、ボクも同じようにぎこちなく手を振る。やがて反対側の階段を降りていったボクの耳には────
「────なるほど、星花女子学園ね」
乙木君が呟いた言葉は、耳に入らなかった。
「────はぁ」
夕食と入浴を終えると、途端に疲れが襲ってきて、思わずベッドへ倒れ込むようにして横になる。鉄の固まりを呑み込んだように、重苦しくてなんだか居心地が悪い。
携帯を充電器に差すと、枕に顔を押し付けるように、うつ伏せで眠る。微かな息苦しさが少しだけ心地良かった。
うとうととしながら頭の中で考えるのは、先程の乙木君との会話のことで。一体どうして、ボクの進学先を聞いてきたのだろうかなんて、頭の中で言葉がぐるぐると回った。
ボクと彼が話したのは、図書委員の当番活動が一緒だったときの業務連絡くらいだ。友達でもなければ、それを飛び越えた関係でもない。お互いのエンドロールに名前が登場しない他人だ。……なのに、そこまで気になるものなのか?
ボクは徐に携帯電話をとって、SNSのアプリを立ち上げる。今夜は『Fiaba』も『Aster』も、どちらも浮上していないようだ。
「────考えすぎか」
幸い明日と明後日は休日だ。ゆっくり過ごしていれば、きっと疲れもとれるだろう。
ボクは携帯電話をスリープモードに移すと、布団を掛け直して瞼を閉じる。夜がゆっくりとボクの身体に侵食して、やがて浸透するように消えていった。
一部百合宮 伯爵様のお話とリンクさせていただいております
「∞ガールズ!」/百合宮 伯爵様
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