第一章 大帝死す
帝国に魔剣あり。
その名は皇帝アヴァンサといった。
魔性の剣に例えられたその男は、絶対必死と伝えられる戦場での皇帝突撃を生涯で三度成功させ、八十余年の生涯の間に大陸全土の大小諸国を平らげ、一代にして大帝国を築き上げた。
しかしそれは稀代の英雄による快進撃にあらず。
辿った道は冥府魔導、そしておびただしい血に彩られる。
今、黄昏時の窓から見える、この大都市のように。
「美しいな……」
万兵を鼓舞し、敵将を震え上がらせた張りのある声は、今や風が囁くようなか細さだった。
野戦焼けした肌はそのままの色として残ったものの、立ち枯れた木々に等しい肌は隠しようもなく彼に残されたわずかな時間を物語る。
皇帝――いや、魔導大帝アヴァンサは、寝所のベッドでその刻限をただ待っていた。
「はい。とても……」
彼が広げた版図よりは小さな寝台の傍らで、仮面の人物が悲しげに応じる。
大帝のたった一人の朋友。いや、たった一人になってしまった最後の朋友。ひどい火傷の痕を隠すために仮面を付け、素顔で会ったことなど一度もない相手であったが、アヴァンサはかまわなかった。もっと深い情の繋がりがあったから。
「この夕暮れの景色がわしが最後に見るものか」
「陛下、そのような……」
「悪くはない。わしとおまえの旅の終わりが、この静かに染まる街並みならば友たちも納得してくれよう」
「この街はすべて陛下のものでございます。人も、物も、時でさえも……!」
仮面の人物は感極まったように声を震わせた。そこには仮面では塞ぎ切れない嗚咽に似た揺らぎが確かにあった。
「……小さすぎるな。壊して、失ってきたものに比べれば。……セージュ、そなたが最後までいてくれてよかった」
「陛下……。わたしは見送る不幸にこれ以上耐えられません。すぐに後を追います」
「フフ……焦るな。その時は天が示してくれよう。それに、今少し頼みたいことがある。……墓じゃ。大臣たちは大層張り切っておるが、死してまででかい寝所がほしいとは思わぬ。そう……この夕暮れを満喫できるような良い場所に、こぢんまりとしたものを建ててくれさえすればそれでいいのだ」
「必ず……必ずや」
「うむ……。やはり頼み事はおまえにするに限る。安心したら少し眠くなってきたわ。年寄りの一日は短くてかなわんな、ハハハ……。そなたももう休むがよい」
「いえ……。今少し。陛下がお休みになってから……」
「そうか。おまえのワガママは珍しい。聞こう。ああ……美しいな、この街は……。思い出のすべてが……輝いて……」
老帝の口からため息が漏れた。
それきり、何も聞こえなくなった。
偉人の静かな眠りを妨げぬよう、歯を食いしばって泣く誰かの声以外。
大征暦8年。人類史上最強の闘神、魔導大帝アヴァンサ崩御――。
※
ぱちん。
その洟提灯がシャボン玉のように割れた途端、ミハルクの世界は劇的に広がった。
たった今見ていた長い長い夢が濁流のように身の内から溢れ、あたりを埋め尽くし、そして再び体に収まっていく。
それらが収まり切った時、彼はぽつりと。
「そうか、わし――いや僕は、魔導大帝アヴァンサだった……」
前世の記憶という言葉を、ミハルクは村の猫老人から聞いたことがあった。いつも山猫にやたら囲まれている謎の老人だ。
猫は九つの魂を持ち、一度の生涯で九度死ぬ。だから時折、過去の自分を覚えているやつがいる。それだと。
折しも。
積み上げられた藁の上から見る山々は夕暮れ時を迎えていた。
皇帝アヴァンサが最後に見た景色と何も変わらない。美しい。思い出の中はいつもこの茜色だった。友との出会いも、別れも。昨日まで何の感慨もなく見ていたものが、急に郷愁を誘った。ここが生まれ故郷なのに何を。だが涙が止まらない。
しばらくそのままにしていると、大人たちがやって来た。
村の男たち。皆、農具を肩に背負い、一日の畑仕事に疲れながらもご機嫌な様子だ。
山間の小さな村がミハルクの生地だ。男も女も皆優しく、自然の恵みも多い。自分もそれに浸かってきた。そうして大人になり、そして死んでいくのだと信じて疑わなかった。それが最大限の世界だった。だが今は――。
「おとう殿」
「おとう殿!?」
男たちの中から父親の姿を見つけ、ミハルクは藁の山の上から呼びかけた。父だけでなく周囲の男たちも皆目を丸くする。
「あんれ、どこのクニの言葉だべっさ。神様んとこか?」
「昨日まではお父呼びだったよな」
「こいつ、娘っこみてえな顔だけでなく、中身もおかしくなっただか」
お国訛りも甚だしい。彼らの視線は珍獣を見るもののそれだ。が、ミハルクは心の赴くままに続けた。
「おとう殿、わしは街に行ってみたい――」
この山々が世界の限りだと思っていた。他の土地はそう、“他”という別の世界の住人たちが暮らす世界。だから行ってみたいとも思わなかった。だが違う。前世の記憶を取り戻した今、知っている。世界は広い。そして常に動いている。そこに行くことは、誰でもできる。
結論から言うと、この願いはあっさり聞き届けられた。
十二という年齢は村では大人と子供の中間であり、大人たちの農具の見張り番から一歩進んだ役目を引き受ける段階にあった。
両親にはミハルクの他に三人の子がおり、すでに独り立ちやそれに近い状態だったのも一役買ったかもしれない。
「んじゃらば、昨日採れたイモさ街で売ってこい。これも勉強だんべ」
「んだなぁ。おめえ、おれさに似てめんこい顔してるから、さらわれんよう注意すんだぞ」
「ありがとうございます。おとう殿、おかあ殿」
ミハルクは理解ある両親に深々と頭を下げた。
「あんれこの子ったら、偉そうな言葉ったら使って。おれさ、まるで女王様になったみてえだべ!」
「んならオラぁお大臣だ! 畑さ耕してる間に偉くなったものよのぉ!」
彼らはとても能天気で愛すべき人々であった。ミハルクにとってその認識は、皇帝の記憶を取り戻してなお一層強化されたものだった。
――そして翌日。
ミハルクは自分の体に負けないでかさの籠をイモ満載で背負い、村を出た。
籠がでかいというよりミハルクが小さかった。
道中でせせらぐ川で、自分の顔形を確かめる。
なるほどこれは確かに可愛らしい。これまでは大して意識もしなかったが、今の知識と重ね合わせればまるで女の子だ。それも相当な美少女。
だがついている。念のためそこらで立小便もしてみたが、ついていた。まあそんな組み合わせもあるだろう。
山歩きはまったく平気だった。
段差を飛び降りるのも、駆け上がるのも苦にならない。
「おお」という感動と「なにがおおだよ」という冷めた感情が交互に来る。かたや老帝アヴァンサの感激、かたや山育ちの少年ミハルクの素直な感覚だ。さっき泥道で足を滑らせ、思わず手をついた時も「手首逝ったー!」と全身に悪寒が走ったものだが、柔らかい手首は軽い体を支えようと何ともなく、これにもまた大きな感動を抱いたものだった。
一晩寝て、両者の感覚はだいぶ整理され統合された感じだが、実体験の刺激はやはり強い――と、こんな小難しい思考を巡らすのも、莫大なまでに増えた人生の記憶からか。
そうして山を下る途中。木々の枝の切れ目から街が見えた。
でかい。素晴らしいでかさだ。
巨大な王宮を中心とした大都市。周囲を巡る極めて高い壁。その壁を囲うようにして下町が栄えている。そちらの方には外壁はない。急造の移民街にはありがちなことだ。
ここは帝国のどのあたりだ? 物知り村長によると今は大征暦324年だという。アヴァンサ帝の時代より300年。世界はあれからどう変わったか。知りたくてしょうがない。その弾むような好奇心に、また古い記憶が感動する。枯れたジジイめ。
そうして昼前には街に到着した。
街道まで出たところで、荷馬車に拾ってもらえたのが早さの決め手となった。
「こ、これは……!?」
そしてその街の景色は驚くべき、そして期待通りのものだった。
石畳にレンガの壁、赤や青色の屋根には見覚えがある。きっとどれだけ時間が過ぎようと、人が生きている限り形の大して変わらないものだ。しかし――。
人々の雑踏、雑談に交じって、カチカチと規則的な機械音が耳に届く。
正体はアレだ。水車――いや歯車だ。それは街の至る所にあった。家屋の屋根や壁、道の端で回っているものもある。まるで街自体が一つのカラクリ仕掛け。これは一体どういうことか? そして驚くべきはもう一つ。
あちこちに剣が刺さっているのだ。戦争の名残ではない。ちゃんと差し込み口があって、そこに挿入されている。
拵えもやや特殊で、刀身付け根あたりに小さな歯車が回っている。柄や鍔にも光輝く機構が見える。
「あれは……“魔導剣”なのか……?」
ミハルクはかつて自分が開発し、大陸統一戦争での最終兵器にまで磨き上げた武装群の名をつぶやいた。
大帝国のまさに原動力。魔の力を導き出す剣たち。これにより一騎当千は老兵の昔自慢ではなくなった。
それが、街のあちこちに刺さっている……?
その時、立ち尽くすミハルクの前を一人の女性が通り過ぎた。
「あの、もし。そこなご婦人」
思わず呼び止めてしまった。黒ぶち眼鏡の若い女性だ。使い古したエプロンに『バフロン古書』と書かれていて、しめたと思った。本屋なら色々世情に詳しいに違いない。
「あら、ご婦人だなんてずいぶん丁寧な女の子ね。おイモなんて背負って、町の外から市場に売りに来たのかしら?」
ハネのあるこげ茶の髪を背中まで伸ばした大人しげな彼女が、身を屈めて友好的に語りかけてくる。
「イモを売りに来たのは間違いないが……や、失礼ながらご婦人、わしはこれでも男の子じゃて」
「えっ!? 君、男の子なの?」
女性は目を丸くし、こちらを上から下まで丹念に見つめ、
「うっ、うん、いいと思う。すごくいいと思う!!」
「? そうかの? それでちょっとお聞きたいことがあるのじゃが」
「な、何でも聞いて! お姉さん何でも答えちゃう! さあどうぞ!」
何と積極的な親切さなのだ。記憶の中の都会人はもっと淡泊だった。これが時代の変遷というものか。
聞きたいことは山ほどある。あの歯車は? 刺さっている魔導剣は? しかし一番にたずねたいことと言えば――。
ミハルクは街の一角を指さした。
「あそこに見えているやたら大きな白い壁はなんじゃろな? 山から下りてくるときに、中にお城が見えたのじゃが」
それだった。平地に下りてきてわかったが、外周街からは中がまるで見えない。外敵に備えるにしても病的にでかすぎる。色々知りたいことはあったが、かつて城に住んでいた身としてそれが一番気になった。
「ああ、あれはお墓よ」
「……ニャニ?」
古本屋の女性はさも当然のことのように言った。
「壁のむこうにあるのは魔導大帝アヴァンサのお墓。大墳都アヴァンシル」
「アヴァンサの墓!? あの“街”がか!?」
「ええ。ただ都と言っても人は住んでないの。アヴァンサ帝は大層大きいもの好きで、自分の墓も街レベルにしろと言ったそうね」
「えっえっ……何それ知らん……」
絶対言ってない。むしろ真逆のことを伝えたはず。が、ここで古書店の女性はさらにとんでもないことを告げる。
「墳都の中には彼にちなんだ数々の秘宝が副葬品として納められていて、さらにその最深部ではアヴァンサ帝の魂が今も現世に残っていると伝えられているわ」
「わしの魂じゃと!?!?」
「彼が生涯で身に着けた数々の魔導剣奥義、そして莫大な叡知を受け渡すため、後継者に相応しい者をずっと待っているの。ここはそんな大帝の魂と財宝を求める“後継者”たちの街。でもお墓の中はとっても危険なダンジョンで普通の人は入れないから、近寄ったら絶対ダメよ。お姉さんとの約束。ねっ?」
ニャ……ニャ……ニャニイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!????
こんなお話ですが、今回もどうぞよろしくお願いいたします。
コレジャナイしヴァンダライズじゃないしわたしはそこにいないし、何なら安定チャートじゃなかったし、一門はRTAの栄光寄りじゃなかったし、伯爵は更生しないし、無い無い尽くしかおまえはぁ!
※お礼
そう言えば前作「いつかラスボスになる君へ」が完結後に注目度ランキングで1位をいただいたようです! 見てくださった皆さん、どうもありがとうございます! それで……注目度って何だぁ……?




