↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小さな国だった物語~  作者: よち


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
95/250

【95.あの日①】

身体より、大きな窓の向こう側――


その日は、薄い雲に覆われて、大好きな青い空は、どこにも見えなかった。


ゆえに初夏の陽射しは和らいで、庭に居場所を求めた低い緑は風に遊ばれて、垣根の向こうでは、家屋の高さ以上に茂った緑の木々が、時折り左側に、揃って頭を傾けていた。


「……」


赤い髪の女の子は、木組みの椅子に両膝を乗せていた。

大きな瞳には、いつもと同じように、窓越しの風景が映っている。


「こりゃ、ほんとに、天気が崩れるな……」


彼女の背後から、父親と思われる男性が近寄ると、暗澹(あんたん)を顔に作った。


「昨日、言ったよ?」


肩に掛かった髪を翻すと、女の子は得意気な声を発した。


「そうだったな……」


男は言いながら、大きな掌で、女の子の赤い癖毛の頂点を、上から撫でるように覆い隠した。


「そろそろ、ロイが来るから遊んでくる」

「え?」

「雨が降って来たら、帰る」

「それじゃあ、濡れちゃうだろ。降る前には、帰ってきなさい」

「はぁい」


時刻は、朝食を食べたあと。

一点を見つめる上目遣いと、少女を見守る柔らかな瞳が会話を交わした。


「あ、来た」


大きな双眸を見開いて、小さな両手を窓枠に置いた女の子は、待ってましたと声を出す。

窓から身を乗り出すと、乾いた土の一本道を走ってくる少年の姿を捉えた。


「じゃあパパ、行ってくる!」

「リア。どこ行くの? 雨、降って来るよ!」

「降る前には帰る!」


振り向きながら声を上げ、椅子から飛び降りた少女は、高台に建てられた丸太小屋を飛び出した。


更には、洗濯物の入った網籠を抱えた女性の忠告をふいにして、傾斜を駆け降りた。


「ロイ!」


庭の緑を抜けると、少女は垣根を潜って右を向く。

続いて頭の上で右手を振って、走ってくる男の子を励ました。


「はぁ……ごめんね……遅くなった……」


両手を膝で支える。肩で息をするロイズの背中は、苦しそう。


「いいよ。予想通り」


そんな彼を見下ろして、少女の頬は綻んだ。


「じゃあ、行きましょ」

「ちょ、ちょっと待って……」


麻の衣服から白い脚が一歩を踏み出すと、リアが促した。

しかしながら、変わらぬ姿勢で息を整えるロイズの声に、しょうがないねぇという表情になって足を戻した。


「お待たせ。今日は、どこ行くの?」


息を戻した少年が、背筋を伸ばす。

目線のやや低い、リアの瞳に問い掛けた。


「川へ行く」

「え?」

「何?」

「だって……危ないよ? 雨も降って来るし……」


言いながら、少年は白に灰色が上塗りされている空を眺めた。


「大丈夫だって。雨は西から。あっちは、未だ晴れてるもん」


言われてロイズが北西の方を見やると、一部では青空が覗いている。


「降って来る前には帰れって言われてるから、急ぐよ!」

「え? また走るの?」


少女が離れると、小さな背中に不満が届く。


「走るわよ。一分一秒だって、無駄な時間は無いんだよ!」

「ええ? リアは、待ってただけじゃん……」

「なんか言った?」

「……分かったよ」


一歳だけ。リアが年下。

しかも女の子に言われては、男が引き下がる訳にはいかなかった――


「結構、水の流れが速いね……」


幅12メートル。ドニエプル川。

緩やかな浅瀬では、膝までを水に浸けて遊ぶことができた。


「気持ちいい!」


警鐘など、お構いなし。少女はずんずんと胸にまで伸びた草を掻き分けて、じゃぼっと水の感触を受け取ると、快感に満足を発した。


「あ。ロイ。ちょっと、滑るから……」

「わわわっ!」


リアの注意も空しく、斜面で足を取られたロイズが腰から砕けた。

思わず両手を付いて痛みは走ったが、幸いにして手のひらに擦り傷が生まれた程度で、大したことはなさそうだ。


「大丈夫?」


生い茂る青草に埋もれたロイズに向かって、動きを止めたリアの眉尻が下がった。


「うん。大丈夫っ……って、わわっ!」


立ち上がろうとしたところで、またもや足を滑らせた。


「何やってんの?」


理解に苦しむ少年の挙動。リアの瞳が怪訝となる。


「だって、滑るんだもん」

「跳べばいいじゃん」

「……」


コイツの言ってる事は、理解できる。

ぴょんぴょんとつま先だけを使って跳ねるようにして、回避しろという訳だ――


だが、前傾姿勢となって勢いが生まれ出る。水辺で止まる事は出来ない。


勢いのままに川へと飛び込んで、そのまま深みにハマったコイツの姿を知っている……


「……」


しかしながら、現在の状況は完全なる敗北。

再び足を滑らすような事があっては、後世まで語り継がれるとばかりに、ロイズは立ち上がりざま、助言に従って右足だけを使って跳ね飛んだ。


じゃぼんと音がして、水しぶきが舞い上がる――

透明な珠が夏の空気に照らされて、小さな女の子の赤みの入った髪の毛を、キラッと着飾った――



数時間後。リアの家。

窓枠がカタッと揺れて、風の音を捉えると、おてんば娘を心配する心が噴き上がる。


(そろそろ、帰ってくるかしら……)


すると玄関扉がギィッと音を鳴らして、母の陰った胸中に光を戻した。


「お母さん。ただいま。拭くものちょうだい!」

「え? 降ってきたの?」


雨音は聞こえない。降り出したのか。

慌てて玄関へ駆け寄ると、戸口でずぶ濡れになった愛娘が姿を現した。


「……」


絶句のあと、ピキッと母のこめかみに、怒りの筋が浮かび上がったのは言うまでもない――



「雨が降る前には、戻ったのに……」


さあっと降り出した雨を窓から眺めると、椅子に両膝を預けた小さな身体は恨めしそうに呟いた。


あれから、母の小言はとことん続き、(つい)には、消した筈の過去の所業に再び火を点けて、直立不動となったリアの精神修行の場になった。


「雨の前に、行っちゃダメだろ……」


ため息交じりの父の声。丸くなった背中に放たれる。


「お前の服も、朝から洗濯してたんだぞ? 何にしろ、川はマズかったな」

「分かった。今度は、山にする」

「いや、汚すなって事だよ……」


口を尖らす娘を眺めると、父は苦笑いを浮かべた――


「さて、勉強するぞ。リアも、するか?」

「しょうがないなぁ」


机に向かって書類整理を終えたところで立ち上がり、ぽんと赤みの入った癖毛に右手を置いて慰めると、振り向いて上目になったリアが微笑んだ。


小言の後には、父が心を和らげる。

父が叱れば、当然のように母が慰める。


そんな慈愛に満ちた二人によって、幼い少女の心は育まれた――



識字率の低い時代。

勉強の内容は、親子とも一緒。


都市に出向いて借りてきた一冊を、父が紙に写して、それをリアがまた写す。

分からない単語や解釈は、想像を膨らませて二人で、時には母も交えて考える。


低い木に()っている、赤い食べ物……リンゴだろうか?

ザクロ? イチジク? 手で割って食べるみたいだから、リンゴじゃないね……


愉しい団欒の時間でもあった――


刀剣の手入れを生業とするリアの父親は、急な注文(しごと)が入った際にも対応できるよう、質の良い材料を採掘できる大地と、顧客のいる都市部の中間地点に住居を構えた。

加えて家屋の前には、良質な水を(たた)えた清流が、二本も流れている。


高台に建てられた家屋からは、川を挟んで、僅かではあったが都市の姿を望めた。


「なんで、勉強するの?」

「そうだな……文字を覚えれば、声に出さなくても、伝える事ができる。色んな事を、識る事ができる。遠く離れた場所でも、記して送れば、届ける事ができる」


小さな娘の疑問には、ハッキリとした見解を父は示した――


注文を入れるお客様は、貴族や豪族。

直接商品を預かることは稀だったが、時には注文書や預かり証にサインをしなければならない。

文字が分からないでは不便だろうと、本を貸与されたのだ。


渡されたのは、歴史書や法学書。聖書の類だったが、職業柄、求道者のような彼の知的好奇心を満たすには、険しい山は合致したらしく、壁にぶつかって尚、愉しそうにしている父の姿に、愛娘も自然と興味を持ったのだ。


難解な話を、時には例を用いて、優しく刀を研ぐように、鋭い刃となるように、愛娘に語った。


教えることで、彼の理解力は一層高みに登って、真綿が水を吸い込むように、小さな頭脳にも、知識が吸収されていったのだ――



「また、戦争が始まるの?」


隣接する作業小屋。

机の上に山となっている注文書が視界に入って、足を踏み入れた妻が嘆息を吐き出した。


「ああ……」


仕事柄。(いくさ)の動きには敏感だ。


貴族から需要が舞い込むと、注文者の戦歴から、およその侵攻方面が割り出せる。

階級。編成。土地の認知。得意な戦法……具体的には、そんなところだ。


抵抗の激しい、武功に乏しい場所には下級貴族が。いよいよ攻め落とせるという段階になって、初めて上級貴族が武器を持つ。


理不尽な構図に辟易を抱くも、一端を担う現実を相殺するように、彼は無心となって刀を研いだ――



季節は、夏を迎えた。


攻め込む時期は、麦の収穫が終わって涼しくなった頃だろうか。


冬の間にケリを付けられる手頃な小国……

男は、四年前に軍門に下ったヴィテプスクと同盟関係にあった、ドルツクを頭に浮かべた。


小国同士の同盟だったが、ドルツクの国王は、姻族関係となったヴィテプスクに対して援軍を送り、義理を果たした。


それこそは立派な事象であり、他国の民衆の喝采をも生み出した――


しかし。


滅ぼされては、意味が無い……


後世に名を残すだけの戦いに、どれほどの価値があるというのか。


実際に、槍を持つ幾多の兵士の名前など、歴史に残ることはない。


「ん?」


彼は、一本の刀剣の(つば)に目を止めた。

金銀をあしらった装飾は立派だが、刻まれた刻印が、これまた珍しかったのだ。


スモレンスク公国の、上級貴族の刻印。


「……」


譲り受けたものなのか。初めて扱う代物に、職人としての心が躍った。


やがて男は、輝きを放つ刀身を、丹念に、丹念に修復していった……


研磨を終えた切っ先が、やがて自身の胸を抉るとは、思いもせずに――

お読みいただきありがとうございました。

感想等、ぜひお寄せください(o*。_。)o

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。