【94.踏み台】
裸の二人は、ベッドの上にいた――
右肩を下にしたロイズは、目の前でうつ伏せとなっているリアからこぼれる赤みの入った癖のある髪にそっと右手を伸ばすと、愛しい曲線を指先でくるくるっと弄んだ。
「……」
生涯を共にするであろう相手の、艶の消えた髪…
普段は柔らかなものであるのだが、温浴には入らず、清拭のみで一週間もベッドの上で過ごしていては、髪質に変化が生まれるのも無理はない。
髪の毛一本でさえも、彼女の現在を訴えている…
ロイズが視線を下肢へとずらすと、ともすれば少女にすら見える華奢な身体が視界に覗いた。
南の窓から差し込むオレンジ色が石壁に反射して、透き通るような白い柔肌を艶美な肢体として浮き上がらせていた――
「……」
重ねた肌の密着は、異質な二人を結い合わす――
解かれて尚、触れたいと心に灯るのは、自然の習いであろうか――
ロイズはしっとりと汗ばんだ柔肌のくびれ辺りに視線を向けて、再びの欲求に促されるままに、左手をふっと伸ばそうとした。
「……」
気配を察したか、もそっと頭を動かしたリアが、ふっと瞳を覗かせた。
「……」
次に身体の下から小さな右手が這い出して、髪と戯れるロイズの意地悪だった右手を探索するように訪ねると、やがて辿り着き、そっと愛おしむように指先を絡ませた。
「ここからね…」
そして、一声を絞るように発した――
「ここから、降りるのが怖いの…」
「……」
そんなの、いいよ…
などと…男は柔らかな視線を注いだ――
甘美な時間は憂いを和らげて、次なる時間の力となる。
しかしながら、溺れては駄目である――
「こうしてるだけでも、嬉しいよ…」
穏やかに心の声を渡すと、ロイズは浮かんだ左手を自身の腰の裏へと戻して、くしゃっと丸くなった白いシーツの端を探し掴むと、ふわっと上から愛しき女性の艶やかな曲線を隠した。
「うん…」
満たされた小さな王妃は、柔らかな言の葉の裏側を、少ないながらも汲み取った。
囲いを出る…
為すべき認識を、ポッと小さな胸中に灯すのだった――
翌日の午前中の空模様は、陽光を背中に浴びる白い雲が全面に広がっていた。
「あ…」
朝食を載せたお盆を手にしたマルマが、螺旋階段を上って国王居住区へと続く扉を開けると、寝室の方にぷらんと垂れた、華奢な白い素足が姿を覗かせているのが目に入った。
「リア様!」
足取りが軽くなり、自然と明るい声が出る。マルマは弾むようにして寝室へと足を踏み入れた。
「あ、おはよう…」
神妙な顔もちで、それでも明るく返そうとする意志を伴って、小さな王妃はベッドに腰を下ろし、膝から下だけを外側へと向けていた。
ぷらぷらと、恥ずかしそうな白い脚線美が揺れている。
「おはようございます!」
明るく、元気よく。
声高になったマルマの笑顔の挨拶が、窓から降り注ぐ夏の白光の中に響き渡った――
「なんか…痩せた?」
ベッドの袖に座ったまま、マルマから受け取ったお盆を膝の上に置いて食事を摂ろうとしたところで、正面の丸椅子に腰を下ろした懇意の女中の変化に気付いた王妃が、ちょっと申し訳なさそうに尋ねた。
「あ、はい」
王妃の声音は、思いのほか明るいものだった。
腰から曲がって、マルマの笑顔が僅かに近付いた。
「リア様の、おかげですよ」
「え? 私?」
皮肉のような台詞だったが、語尾は上がって、感謝の声が開いた茶色の瞳からやってきた。
連日の看病。気疲れへの憂慮が、無用だと思えるくらいに…
思わぬ返答に、リアの瞳も大きくなった。
「そうですよ。痩せろって言ったのは、リア様ですよ?」
「…そんなこと、言ったかな?」
「言いました。そこの上で、抱きついた時です」
言いながら、マルマが視線でベッドを示した。
「あ、ああ…」
「おかげで、ちょっと身体が軽くなりました」
続いてニコッと笑顔を覗かせて、明るい声で感謝を伝えた。
「それなら、良いんだけど…」
リアは拍子抜けしたような声を開いて、木製のスプーンを口へと運ぶ。
確かに女性らしい身体のラインが増しているようにも感じた――
「私、言いますね。リア様に、抱きつきたいんです」
「はい?」
思わぬ言葉が飛び込んで、王妃の右手が止まった。
「前に、言いましたよね? リア様は、私の憧れなんです」
「う、うん…」
「嫌われたくなので」
瞳を真っ直ぐに開いて訴える。
そんな彼女の告白に、悪い気はしない…
「……」
そういえば…と王妃は一つを思い返した。
心を許した相手には、この娘は誰が相手でも抱きつくな…
幼い子供が、愛玩人形を求めるように…
両親の存在しない寂しさ故に、そんな衝動が生まれるのだろうか…
「……」
今の私には、ロイズがいる…
でも、この娘には…
「大丈夫よ…」
小さな胸に憂いを灯して、伏し目となって、王妃は優しく声を渡した。
「リア様」
聞こえた声に視線を上げると、マルマがすっと両腕を、胸の高さへと上げていた。
「……」
意図を汲んだ王妃が膝の上に載ったお盆をマルマに手渡すと、彼女はそれを受け取って、後ろの棚へと預けた。
「いいよ…」
小さな身体に覚悟を決めて、リアがすっと両腕を前に出す。
「リア様!」
一週間。
心配をかけ倒した詫びだとすれば、大したことではない。
仄かな背徳感…
昨夕、ロイズの肌を強く求めたベッドの上で、少し気力の戻ったリアの身体は、翌朝、マルマの重みのある柔らかな身体を受け止めるのだった――
「ありがとうございます…」
暫くすると、マルマの声がリアの鼓膜に届いた。
「いいよ…」
情の宿った声に瞳を閉じて、リアは右手でマルマの茶褐色の細い髪の毛を捉えると、ぽんぽんと華奢な指先で優しく彼女の頭皮を叩いた。
「はやく…」
「ん?」
「早く、元気になって下さいね…」
「うん…」
マルマの重みを右の半身で感じながら、控えめな承諾を口にする。
「元気を、分けてあげます」
リアの脇の間にすっと両腕を通すと、言いながら、マルマは力を込めて、華奢な身体を締め上げた。
「いたいいたい」
ぎゅううっと締め付けられて、痛みの伴った愛情がやってくる。
「一緒に、おでかけしたいです…」
「うん…」
そんな願望も僅かに受け止めて、リアは小さな言葉を返すのだった――
起き上がった二人がベッドの袖に並ぶと、マルマが最近の階下の話題を伝えた。
大広間の傷病者も姿を消して、すっかりと日常の業務に戻っているらしい。
リアは明るい彼女の話を、膝の上に戻したお盆に載っていた丸パンを齧りながらふんふんと、時にマルマの愚痴に笑顔で相槌を打ったりしながら耳へと入れた――
「じゃあ、下げてきますね」
空になったお盆をリアから受け取って、明るくマルマが立ち上がる。
「そろそろ、窓枠だけの空は、卒業ですよ」
そして、身体を翻して励ました――
「そうだね…」
平たい声が、作られた笑顔からやってくる。
「約束ですよ」
「うん…」
見上げるリアの瞳は、瞬きを加えた――
「あ、マルマ」
「はい?」
開いている扉を潜ったところで、ふいに背中へと言葉を掛けられて、なんでしょうかと振り返る。
「ありがとうね…」
瞳は大きく、それでも、寂しさを覗かせて…
透き通るような素足の脚線は、床を捉えず、宙に浮いたまま――
「…はい」
私では、ここまで…
足を進めたマルマは居住区の扉を閉めると、国王ロイズを探すべく、茶褐色の髪を靡かせて螺旋階段を駆け下りた――
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【次回予告】
リアとロイズの子供の頃の話となります(全10話)




