【91.マルマの叱責】
「国王様は、お辛くありませんか?」
「うん?」
トゥーラ城の地階。時刻は夜。手許のランプが一つだけ。
淡い灯りを放っている食堂のテーブルで、女中のマルマが正面に座る国王を気遣うと、意図を量れなかったロイズが問い返した。
「王妃様と…お話されていませんよね?」
「……」
先ほど彼女は、仕える相手との会話に行き詰まっている事を吐露してくれた。
日頃から仲の良い女中と王妃。
夕食の席でマルマ経由だと思われる話題が幾つも上がってくる事からも、城の内外で起こっている出来事を肴に、あれやこれやと会話を交わしているのだろう。
リアの話す内容には、前情報として流す事が可能な政策が含まれる。
会話の内容が滞っているからと、彼女は心配になって声を掛けたのだ。
何故ですか? それでいいのですか?
そんな意図だと汲み取って、ロイズは言葉を選ぶように口を開いた。
「僕から声を掛けると、気に病んじゃうんじゃないかと思ってね…」
「……」
「あいつ、頭良いでしょ。だから、込み入った話は控えたんだ」
「……」
ロイズが話す回答は、全く以って過誤が無い。
しかしながら、大事な核の部分を排した返答である事も、事実であった――
核とは即ち、小さな国を御している根幹が、彼女であるということ…
「そうなんですね…」
マルマには、ロイズが語る表面上の理由が容易に解読できた。
聡明な王妃様は、どうしたって会話をしようとなさるだろう。
しかし恐らくは、体調がそれを許さない。自覚を宿したら、どんなにお辛いだろうか…
苦しむ彼女の姿を、国王様は危惧…或いは、既に体験したのかもしれない。
だからこそ、現在の経過観察ともいえる状態を、維持しているのだ――
「お辛く…ないのですか?」
「……」
マルマが寂しそうに吐き出すと、ロイズは穏やかな心となって口角を上にした。
「リアは、僕の支えだから…立っててもらわなくちゃ、困るんだよね」
「……」
飛び出した発言は、伴侶への深い情愛を、端的に表したものだった。
信頼や敬愛。そんなものが窺える――
だからこそ、自らの力で立ち直って欲しいと願うのだ――
「でも、心配しないで。支えが無くなっても、立ってるつもりだから」
「……」
見透かしたように、覚悟の声がやってきた。
しかしながら声色は、殆ど抑揚の無いもので、どうしたって寂しいものに映った――
「はい…」
一国を担う責任。
国王様に寄り添えるのは、結局のところ王妃様だけなのだ。
それは大そう孤独なのだと認識をして、マルマは意思を汲み、現状を受け入れることを決するのだった――
翌日、ロイズの了承を得た上で、マルマはラッセルと共に、螺旋階段をゆっくりとした足取りで登っていた。
「……」
右手で杖を突き、左手は石壁で支えつつ、一段、一段と同じテンポで貧相な身体を揺らしている。
そんな彼の様子を、螺旋階段の2段上から、マルマは先導することに徹するべく見守っていた。
「先ずは、こちらでお待ちください」
階段を登り切ったところで、一礼をしたマルマが声を開く。
見慣れた筈の防音扉が、この時のラッセルには怖気すら感じる冥府の門であるかのように思われた――
「…分かった」
何よりも、王妃様の了承を得なければならない。
マルマから体調が優れないのは勿論、精神的にも落ち込んでおられるという話は聞いている。
左手を壁に置いた男は当然だと短い言葉を返した。
「……」
ギギッと扉が開いて明るさがやってきて、次にマルマが足を進めて防音扉が閉まると、圧された空気と一緒に再び静寂とほの暗さが身体を包んだ。
審判を仰ぐ罪人のような心境を起こしながら、薄い顔の男は両手を杖に預けて赦しを待つしかなかった――
「どうぞ」
しばらくすると、ゆっくりと目の前の防音扉が開いて、杖を前に出す事を許された。
数歩先。居住区へと続く扉は開放されていて、細い視線を上げた向こうには、敬慕を抱く女性へと続く木製扉が映った。
「……」
約一週間ぶり。
気兼ねなく足を踏み入れていた筈の石壁の室内が、やけに新鮮で尊いものとして瞳に映った。
ほんのわずかに鼻腔へ触れる、王妃様が使う香水の香りが感慨を起こして、改めてこの国王居住区が、自らが望む居場所だという事を認識させた――
「王妃様。ラッセルさんが、ここに」
三歩先を摺り足のようにして歩いていたマルマが、寝室の扉を前にして立ち止まると、その先へ向かって穏やかに語りかけた。
離れたところからでは分からなかったが、声を通すために親指程度ではあるが、少しだけ扉が開いていた。
「はい…」
想い慕う小さな声が、扉の向こうからラッセルの鼓膜に届いた。
覚悟はしていたが、彼女の声は思った以上に弱々しいもので、こうした事態を引き起こした根源は自身に在るという自覚を、弥が上にも呼び覚ました。
「こちらからで、お願いします」
「……」
一言を述べて、一礼したマルマがラッセルの背後へと回った。
普段は冗談を言い合ったりと気心も知れた仲ではあるが、この場では流石に公私の区別がついている。
日頃から女中頭のアンジェに鍛えられているからか、その堂に入った所作は一目を置くべきもので、ラッセルは感心すると同時に、気格の足りない自分自身を自覚した――
「だいたいの話は、聞いてるから。別に、気にする事じゃないわ」
「……」
謝罪の言葉を述べる前に、それには及ばないと扉の向こうから冷静な声が届いた。
先手を打たれたラッセルは、思わず言葉を無くした。
「あなたの失敗なんて、大したことじゃない…」
続いて後悔を含んだ声色が、扉の隙間から漏れてきた。
「……」
王妃様の沈んだ心。引き上げるのは容易ではない…
疲弊の声を耳にして、改めて事態の深刻さを理解したマルマの前で、次の瞬間、視界を塞いでいた麻の衣服が忽然と消え失せた――
「リア様!」
叫びの声と同時に、凹凸の少ない石床に、カランと杖の倒れる乾いた音が広がった――
「……」
下げたマルマの視界には、石床に四肢を接して顔を上げ、開いた隙間の一点だけを見据えたラッセルの姿があった――
「私は、あなたを、お守りしたいのです!」
突然に響いた激しい声――
内容に驚いたマルマは思わず振り向いて、階下へと繋がる螺旋階段へと視線を動かした――
幸いに、厚い扉は閉じていて、一先ずほっと胸をなでおろす――
「何を言われようと、私の行動があなたを危険に晒したことは事実です! その事についてだけでも、謝罪をさせて欲しいのです!」
「……」
マルマの心配などお構いなしに、男の発言は尚も続いた。
「どうか…」
「……」
醜悪を含んだ嘆願は、回答にしばらくの時間を要した――
「分かったわ…」
「ありがとうございます!」
ラッセルの短い頭髪が、素早く下へと落ちる。
「それで…あなたは、どうしたいの?」
続いて四つん這いの彼の元へ、溜め息交じりの質問が届いた。
「相応の、処罰を…」
「そうじゃなくて。あなたはこの後、どうしたいの?」
「……」
王妃の声は、明らかに苛立ちを含んだものだった。
感じ取ったマルマは無様な男を引き剥がすべきかと、左の手足をピクと動かした。
「私は、リア様のお側で、この場所で、ずっとお仕えをしていきたいのです!」
「……」
彼の声質は、見方によっては恋慕の告白のようだった。
無防備な背中を晒して訴える憐れな姿に、マルマは軋むような、小さな胸の痛みを確かに感じ取っていた――
「リア様…」
「分かったから!」
続きを厭う声が漏れたところで、マルマが一歩を踏み出した。
「ラッセルさん! ここまでです!」
「……」
怒りの感情すら沸いたマルマの声が、ラッセルの頭上から落とされる。
彼女の膝辺りが視界を塞いで、ラッセルはそれからの言葉を止めざるを得なかった――
「リア様、ありがとうございます…」
申し訳ないと心で詫びながら、マルマは扉の向こうに呟くと、男の声がこれ以上届かぬようにと、静かに扉を閉めるのだった――
「マルマ、ありがとう」
茶褐色の髪の毛を見下ろしながら、右手を石壁に添えて螺旋階段をゆったりと下りるラッセルが、心からのお礼を発した。
「いえ…」
後頭部への声には振り向かず、マルマは後悔に奥歯を噛み締めた。
「なんとなく、お許しも出そうだし、安心したよ」
「……」
杖を地階へと下ろしたところで、再びの声が届いた。
ほんの数十分前から一変。すっかりと安堵を全身で表現するラッセルに、マルマの苛立ちは沸点に達しようとしていた――
「マルマも、大変だったでしょ? 今は身体もこんなだし、なかなか外へは出られないから、迷惑を掛けたぶんも、リア様の側に居るようにするよ」
「……」
大広間へと先導中。背後から届いた間抜けな声に、マルマの足が遂に止まった――
「ちょっと、こっちへ…」
それでも、場所は選ぶ。
努めて平静な態度を装って、マルマは反転してラッセルの隣を横切ると、螺旋階段の向こう側へと足を進めた。
「え?」
突然の申し出に声を上げるも、ラッセルは彼女に従って背中を追うことにした――
「……」
杖を動かす彼が案内されたのは、廊下の一番奥。右手に備わる倉庫であった。
木製の扉を押し開けて、無言で中へと入ったマルマの後ろから、やれやれといった感じでラッセルが足を踏み入れる。
「どういうつもりですか!?」
扉を閉めた刹那、一歩を踏み込んだマルマの顔が、ラッセルへと近付いた。
「え?」
何のことだか、分からない。
ふっくらとした体つきが全体的に削がれたようで、顔も同様に、元から備わっている麗質を、確かに感じることができる。
そんなマルマが迫ってきて、ラッセルの頬が思わず紅くなった。
「いっつもそう。私と話をする時も、リア様、リア様って…」
茶褐色の頭が下がって、マルマが訴える。
突然に責められて、ラッセルの思考回路は追い付かない。
「あなたが、リア様をお慕いしてるのは分かってます!」
「……」
嫉妬のような感情…
茶色い瞳が再び覗いて、苛立ちを抱えた強い発言が、ラッセルの浮ついた鼓膜に襲い掛かった。
「ちょっと、マルマ…」
叫んでも気付かれないような場所ではあるが、それでも誰かが近付く可能性はある。
冷静さを促すように、ラッセルが低い声音で呼び掛けた。
「リア様の…お側に?」
それにも関わらず、マルマは睨み上げるような視線と声を吐きながら、普段の柔和な表情からは想像もできない、まるで神話に登場する化物が乗り移ったかのような不気味な顔となって、にたっと口を大きく下弦の三日月のように開いた。
「え? う…うん…」
「…いい加減にしてください」
スッとマルマの顔つきが、目つきは鋭いままで、平静なものに変化した。
化物よりはマシである。認めたラッセルの、一瞬だけでも気が緩む。
そこを突き刺すように、瞳が開き、身体が寄せた――
「私達は、女中です! 王妃様にお仕えしています!」
「う、うん…」
「あなたはいったい、誰に仕えているんですか!」
「……」
彼女の訴えは、決して醜い嫉妬心から生まれたものでは無かった――
凍り付いたラッセルに、語尾を上げる形で更なる諫言が下される――
「今の国王様を、一体誰が支えるんですか!?」
「……」
目を覚ませ――
涙ながらの訴えに、両腕を掴まれたラッセルの身体は、脱力したように揺らぐのだった――
「……」
「……」
沈黙は、僅かな時間であった。
石畳の廊下の奥。人気のない時間帯の倉庫から、頭の浮かれた男に対して言いたいことをぶちまけた一人の女中が、重たい空気から逃げ出すようにして廊下へと駆け出した――
「……」
勢いよく開かれた木製の扉が、ギッと音を鳴らして閉じてゆく。
愚かを痛感した男は傍らで、石壁に預けていた貧相な背中を壁に沿って沈めてゆくのだった――
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