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小さな国だった物語~  作者: よち


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89/250

【89.形見】

トゥーラの城内。


普段は1段飛ばしで駆け上がるほどに軽やかな、国王居住区へと続く螺旋階段を登るマルマの足取りも、最近は重たくなっている。


手にした丸いお盆の上には、王妃様(リア)の昼食。

今日の献立は、手のひらサイズのパンが一個と、木製の器に入った干し肉入りの野菜スープ。量は普段の半分で、覗くことのできる器の内側が、悲哀を増長させている。


「昼食、お持ちしました」


いつもは背中で押し開ける、居住区とを隔てる厚い扉を右手を使って開けながら、エプロン姿の女中は、初めてこの部屋を訪れた時のように口を開いた。


「ありがとう」


この瞬間。普段なら、お気に入りの小さな席に座ったリア様の、温かな声が届く筈――


読書を愉しまれている事が半分くらい。他には、まだ寝ていたり、裁縫をしていたり、夜になって国王様と嗜むのか、一人でボードゲームの盤上と睨めっこしているなんて時もある。

お相手できるようになりたいと思った事はあっても、途方もない道のりに思えて、彼女の足は動かぬままだった。


思えば一度だけ、激しく身体を動かした後なのか、肩で息をされていた事がある。

その頃は未だ、気軽に話し掛けられるような間柄ではなく、一人で何をしていたのか見当も付かなかったが、いつか尋ねようと思いつつ、現在に至っている。


「入ります」


澱んだ空気の中を静かに進み、普段は風通しを良くするために開いている、寝室へと続く扉を開けると、上半身を起こした状態でベッドに佇む、華奢な王妃様の背中が覗いた。


「お食事です」


入って左の棚にお盆を載せると、マルマは病状を確認すべく、最近少しだけ身軽になってきたと感じる身体を翻した。


「リア様!?」


刹那。マルマの顔が青ざめる。


「何してるんですか!」


続いて両の腕を前にして、体躯をベッドに投げ出した。


「痛っ」


王妃が右手で握っていた異物を奪い取る。

その瞬間。マルマの指先に、鋭い痛みが走った。


「え……大丈夫?」


リアが握っていたものは、手のひら大のナイフ。

華奢な手首を掴まれて、小さな右手から離れたそれが、マルマの左手を傷つけた。


「大丈夫です! それより、そんなもの。早く仕舞って下さい!」


伸ばしたリアの膝の上。マルマの恫喝が、生気の失せた王妃に向かった。


「くっ」


だが、反応が無い。マルマは白いシーツに転がった、銀色のナイフに素早く右手を伸ばすと、それを掴んで腹這いのまま、頭の方へと放った。


そしてカランと乾いた音が発すると、安堵を胸に灯した。


「痛っ……」


同時に痛みが走って、思わず左手の指を右手で覆った。


「ちょっと、大丈夫!?」

「大丈夫です! それより、お怪我はありませんか?」


ようやく正気を戻したか。前屈みになった王妃が声を送ると、マルマは遮った。


「う、うん……」


しかしながら、突然の出来事に、王妃は戸惑いの声を発するしかなかった――


「ほんとに、死ぬつもりかと思いましたよ!」

「ごめんね……」


怒気を含んだ声色で、いつもの丸椅子にどかっと座ったマルマが口を開くと、ベッドの上で上半身だけを起こした小さな王妃は、夏の終わりを迎えた向日葵のように俯いた。


「なんで、そんなものを持ってるんですか」


左手の裂傷を、唾液で済ませたマルマは、怒りの指数を下げながら尋ねた。


藁と麻の寝具。備え付けの棚には、衣服と帽子。加えて、腰の高さの本棚が一台。

およそナイフとは、無縁な場所である。


「これはね、父から貰ったものなの……」


ぽつりとした声が、リアの口から零れた。

ナイフのハンドルが左側。(やいば)の銀色を、右手の人差し指が優しく(さす)った。


「……」


つまりは、形見だ。


両親が他界した、同じ境遇。

しかしながら、マルマは俯く王妃の姿に、複雑な感情を抱いた。


「小さな頃にね……狩りに、連れて行ってもらった時かな」

「……」

「これは、お前が持っていなさいって。二本もくれて、手入れの仕方も、教えてもらったの」

「……」


リアの視線を独占する銀色は、鳥や兎を仕留めるための狩猟用よりは短くて、食事の席で、自ら切り分けるために使用するナイフにしては、鋭利である。


「でも、おかしいよね……」

「何がですか?」

「女の私が、こんなの持ってたら、おかしいよね?」

「……」


空虚を含んだリアの声。

マルマが尋ねると、王妃の瞳の色が翳った。


「良いのでは?」


マルマが保持しない一品は、絶対に手放してはならないもの――


「もう、普通の女の子じゃありませんから」

「……そうだね」


病人を肯定する一声は、機知に富んだものだったか。

思わず肩を(ひそ)めるも、王妃の口角が、久しぶりに上がった。


「そういえば、ラッセルさんが、謝罪したいみたいですよ?」

「……なんで?」


続いてマルマが状況を伝えると、王妃の瞳が上がった。


「理由までは……わかりません」


察しはついている。

しかしながら、差し出がましいという思いが湧いて、丸椅子に座ったままのマルマは、それ以上を控えた。


「なんか、骨折してるって、聞いたけど?」

「あ、ご存じでしたか」

「ロイズからね」

「そうでしたか……」


徐々にだが、会話の時間が増えてきた。

それは、側仕え(マルマ)は勿論。リア自身も、感じるところ。


他者への関心。

塞いだ心を(ほぐ)すには、良い傾向――


「あの人も……災難よね」

「ラッセルさんですか?」

「うん……ここへ来たばっかりに……」

「……」

「まあ、ロイズが誘ったんだけどね」

「え? そうなんですか?」


ぽろっと飛び出た発言に、マルマの声が上ずった。


「そのおかげで、こき使われて、骨折までして……散々よね」

「はは……」


こき使っているのは、誰なのか。

ラッセルとの会話を思い起こして、マルマは困ったような顔をした。


「でも、イヤって訳じゃ、ないみたいですよ?」

「そうなの?」


愚痴を口にしながらも、世話を焼くのは愉しそう――


「あの人は、王妃様のことが、お好きなんですよ」

「……」


ちょっと、妬けるくらいに……

自身と同じく。恋愛感情というものではない。リア公妃という、個人の人間性に惚れているのだ――


恐らくは……


「そうなの?」

「……」


しかしながら、彼の想いは、報われてはいないらしい。

リアが呟くと、両手を膝に置いたままのマルマの眉尻が下がった。


「そういえば、ロイズも、謝罪がどうとか……言ってたな……」

「リア様の許しを得るまでは、面会できませんって、伝えてありますよ?」

「そうなの?」

「はい」


心配無用。「構ってくれ」 と聞き分けのない飼い犬を、屋外へと締め出したのだ。


「私と会うたびに、リア様の様子はどうだ? って、聞いてきますからね……」

「……」


煩わしい。怒りと卑下を含んで、マルマが吐き出すと、部屋に静寂が広がった。


「……話だけでも、聞く気、ありますか?」

「え?」


唐突な質問に、大きな瞳が聞き返す。


「いえ。一応、聞いておかないと……」

「ああ、そうだよね……」


マルマの問いは、尤もだ。

ラッセルにしてみれば、餌を前にして、マテと告げられた飼い犬のように、今か今かと面会の機会が訪れるのを待っているに違いない。


「でも、今は……気が、進まないな……」


話の内容が見えてこない。

自身の体調も考慮して、王妃は余計な負荷を嫌った。


「分かりました……」

「……」


残念を宿した返答が、リアの心を微かに揺らした。

仄かな罪悪感。そんなものが、確かに灯ったのだ。


「でも……」

「はい」

「聞かない訳にも、いかないよね……」


(ラッセル)の肩書は、国王(ロイズ)の右腕。


「そうですね……」


リアの尤もな発言に、マルマの口角が上がった。

お読みいただきありがとうございました。

感想等、ぜひお寄せください(o*。_。)o

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