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小さな国だった物語~  作者: よち


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89/218

【89.形見】

トゥーラの城内。


「……」


普段は1段飛ばしで駆け上がるほどに軽やかな、国王居住区へと続く螺旋階段を登るマルマの足取りも、最近は重たいものへと変わっていた。


手にした丸いお盆の上には、王妃様の昼食が載っている。

今日の献立は、中身が白い手のひらサイズのパンが一個と、木製の器に入った干し肉入りの野菜スープ。量は普段の半分で、覗くことのできる器の内側がますます哀しさを増長させている。


「昼食、お持ちしました」


いつもは背中で押し開ける、居住区とを隔てる厚い扉を右手を使って開けながら、エプロン姿の女中はまるで初めてこの部屋を訪れた時のように口を開いた。


「ありがとう」


この瞬間いつもなら、お気に入りの小さな席に座った王妃様の温かな声が届く筈――


読書を愉しまれている事が半分くらい。他には、まだ寝ていたり、裁縫をしていたり、夜になって国王様と嗜むのか、一人でボードゲームの盤上と睨めっこしているなんて時もある。

お相手できるようになりたいと思った事もあるが、途方もない道のりに思えて彼女の足は動かぬままであった――


そういえば一度だけ、激しく身体を動かした後なのか、肩で息をされていた事がある。

その頃は未だ、気軽に話し掛けられるような間柄ではなく、お一人で何をなされていたのか見当も付かなかったが、いつかお尋ねしようと思いつつ、現在に至っている。



「入ります」


澱んだ空気の中を静かに進み、普段は風通しを良くする為に開いている事の多い、寝室へと続く扉を開けると、上半身を起こした状態でベッドに佇む、華奢な王妃様の背中が覗いた。


「お食事です」


入って左に配置された棚の上にお盆を載せると、マルマは病状を確認すべく、最近少しだけ身軽になってきたと感じる身体を翻した。


「リア様!」


その刹那、マルマの顔が青ざめる。

ビクッと跳ねてから、咄嗟に体躯を投げ出した。


「何してるんですか!」


両の腕を前にして、憧れの人が右手で握っていたモノをすかさず奪い取る。


「痛っ」


次の瞬間、マルマの指先に鋭い痛みが走った――


「え…大丈夫?」


リアが握っていたものは、手のひら大のナイフだ。

華奢な手首を掴まれて、小さな右手から離れたそれが、マルマの左手を傷つけた。


「大丈夫です! それより、そんなもの、早く仕舞って下さい!」


伸ばした膝の上に乗っかったマルマの恫喝が、生気の失せたリアへと届く。


「くっ」


だが、リアの鈍い反応を悟って、マルマは白いシーツの上に転がった、銀色のナイフに素早く右手を伸ばすと、それを掴んで腹這いのまま、頭の方へと放った。

カランと乾いた音が発せられ、安堵が胸にやってくる――


「痛っ…」


気を抜いたところに痛みが走って、思わず左手の指を右手で覆った。


「ちょっと、マルマ大丈夫!?」


ようやく正気を戻したか、前屈みになった王妃がマルマの肩へと声を掛ける。


「大丈夫です。それより、お怪我はありませんか?」


王妃からの心配に対しても、姿勢はそのままで、マルマは顔だけをリアへ向け、当然の気遣いを見せるのだった――



「ほんとに、死ぬつもりかと思いましたよ」

「ごめんなさい…」


呆れたような、しかしながら明らかに怒気を込めた声色で、いつもの丸椅子にどかっと座ったマルマが口を開くと、ベッドの上で上半身だけを起こす小さな王妃が、夏の終わりを迎えた向日葵みたいに萎れた。


「なんで、そんなものを持ってるんですか」


怒りの指数は下げながら、マルマが不思議そうに尋ねる。

左手の裂傷は痛みを生むが、気に病むほどではなく、綺麗な麻布を使って簡単な応急処置で済ませた。


ベッドは天蓋部分を外している。備え付けの棚には衣服と帽子。他には腰の高さの本棚が一つ。

およそナイフなどというものとは、無縁な場所である――


「これは、父から貰ったものなの…」


ぽつりとした声が、リアの口から零れた。

ナイフのハンドルを左手にして、(やいば)の輝く銀色を、愛おしむように右手の人差し指が(さす)っている。


「……」


つまりは、形見だ。


両親が他界した、同じ境遇…

しかしながら、マルマは俯く王妃の姿を、ちょっと複雑な感情と共に眺めた――


「小さな頃にね…狩りに連れて行ってもらった時かな」

「……」

「これは、お前が持っていなさいって。二本もくれて、手入れの仕方も教えてもらったの」


リアの視線を独占する銀色は、マルマの目から見ても手入れの行き届いた、鋭利な刃先であった。

というよりは、体験済みである。


「……」


しかしながら、鳥や兎を仕留める為に使う狩猟用のものよりは短くて、食事の席で出された肉などを、自らで切り分けるために使用するナイフにしては鋭利すぎる。

そんなところに、マルマは小さな違和感を覚えた。


「でも、おかしいよね…」

「何がですか?」


空虚を含んだリアの声色が耳に届いて、マルマが落ち着いた口調で尋ねた。


「女の子が…こんなの持っていたら、おかしいよね…」

「……」


沈んだ表情であった――

父の存在…思い出…そんなものに、別れを告げるような…


「いいんじゃないですか?」


自分では所持する事のできない一品を、王妃様は持っている。

それこそは、絶対に手放してはならないものだ――


想いを込めて、マルマは精一杯の声を発した。


「もう、女の子じゃありませんし…」

「…そうだね」


病人を肯定する一言は、機知に富んだものだったろうか。

思わず吹き出しそうになった王妃は、苦笑いではあったが、久しぶりに口角を上げることができた――


僅かではあったが、前向きになれる、普段通りの会話であった――



「ラッセルさんが、謝罪したいみたいですよ」


リアの表情は、重たいままだった。

少し上がった口角も、昼食のお盆を膝に置くと、元へと戻った。


「なんで?」


答える声も、弱々しい。

煩わしいとでも、言いたげな…


「理由は…よくわかりません」


なんとなく察しはついているが、王妃様は事情を知らないらしい。

差し出がましいという思いが湧いて、丸椅子に座ったままのマルマは、それ以上を控えた。


「なんか、骨折してるって聞いたけど…」

「あ、ご存じでしたか」

「ロイズからね…」

「そうでしたか」


少しずつではあるが、会話の時間が増えてきた。

それはマルマは勿論、リア自身も感じるところであった。


他者への関心。

塞いだ心を解すには、意識が外へと向かうのは良い傾向だろうと思われた――



「あの人も…災難ね」

「ラッセルさんですか?」

「うん…ここへ来たばっかりに…」

「……」

「まあ、ロイズが連れてきたんだけど」

「え? そうなんですか?」


ぽろっと飛び出した発言に、マルマの声が上ずった。


「そのおかげで、こき使われて、骨折までして…散々よね」

「はは…」


こき使っているのは、誰なのか…

普段から城内で顔を合わす事の多いラッセルとの会話を思い出しながら、マルマは困ったような顔をした。


「でも、嫌ってる訳じゃないみたいですよ?」

「そうなの?」


愚痴を口にしながらも、世話を焼くのは愉しい――


彼からは、明るい感情が見て取れる――


「…あの人は、王妃様の事が、お好きなんですよ」

「……」


ちょっと、妬けるくらいに…

自身と同じように、恋愛感情というものではなく、リア様という女性個人の人間性に惚れているのだ――


恐らくは…


「そうなの?」

「……」


しかしながら、彼の想いは必ずしも報われてはいないようだ。

リアの小さな呟きに、両手を膝の上に置いて丸椅子に座ったままのマルマは、少し哀しそうに眉尻を下げるのだった――


「そういえば、ロイズもそんな事を言ってたな…」


謝罪の話を思い起こして、リアが小さく口を開いた。


「リア様の許しを得るまでは、面会なんてできませんって伝えてありますよ」

「そうなの?」

「はい」


心配しなくて、良いですよ――

まるで構ってくれと聞き分けのない飼い犬を、屋外へと締め出したかのようにマルマが語った。


「私と会う度に、リア様の様子はどうだ? って聞いてきますからね…」


煩わしいような、ちょっと拗ねるような感じでマルマが吐き出した。


「話だけでも、聞く気ありますか?」

「え?」


唐突な質問に、思わず大きな瞳が聞き返す。


「いえ、一応、聞いておかないと…」

「ああ、そうね…」


マルマの問いは尤もだ。

リアにとっては有難い対応でも、ラッセルにしてみれば、今か今かと面会の機会が訪れるのを待っているに違いない。

好物の餌を前にして、マテと告げられた飼い犬のように…


「あまり…気が進まないな…」


自身の体調も考慮してか、正直な想いを王妃は口にした。

話の内容も見えてこない中では、重荷になるとしか思えなかったのだ。


「分かりました」

「……」


マルマの残念を宿した返答が、リアの心を微かに揺らす――

仄かな罪悪感…そんなものが、確かに灯った。


「でも…」

「はい」

「聞かない訳にも、いかないよね…」


トゥーラへの赴任以来、補佐役として仕えてきた薄い顔…


「そうですね…」


リアの尤もな発言に、マルマは優しい声音を発しながら、静かに瞼を閉じるのだった――

お読みいただきありがとうございました。

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