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小さな国だった物語~  作者: よち


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87/218

【87.墓標】

大国スモレンスクが起こした侵攻を小さな国が防いでから、四日が経っていた――


昼を迎えると、杖は借りるが、ようやく立ち上がって足を進めるまでに回復を果たしたトゥーラの重臣ラッセルが、人目を避けるようにして大広間を抜け出そうとしていた。


「どこに、行かれるんですか?」


間抜けにも、あっさりと見つかった細目の男が視線を上げると、麻のエプロンを前にして、長身に短い金髪を覗かせるライラの姿があった。


「あ…えと…」

「王妃様とは、面会できませんよ」

「……」


言い当てられて、呼吸が止まる。


「それほどに…悪いのか?」


詫びを入れたところで、どうなるものでもない。

しかしながら、先ずはそれを為さなければ、心が収まらない。


ともすれば身勝手な思考だが、謝罪する以外に相応しい行動が思い付かないのだ。


「今は、マルマリータさんがお側に付いてます。食は細いみたいですけど、きっと大丈夫です」


薄い顔に浮かんだやつれた表情は、まるで病人のようだった。怪我はしているが、食欲に問題は無い筈である。本来なら。

憔悴の理由を慮って、ライラは励ますように付け加えた。


「そ、そうか…」

「はい」


王妃の病状を自ら確認した訳では無い。

しかし目標とする先輩の表情に落胆はあれど、険しい様子は窺えないという状況が、自信の根拠である。


「わかった…じゃあ、ちょっと外に出てくるよ。少しは、動かないと」

「そうですね」


細身で頼りなく思えるが、ライラにとっては恩人である。

無理矢理にでも微笑みを作ったラッセルの表情に安堵して、彼女は杖を右手によたよたと、離れていく貧相な猫背を見送った――



「……」


空から降り注ぐ短い夏の陽射しは、素肌に針のように厳しくも、傷ついた心身が生き返るような心地の良いものであった。


生きている実感――


そんなものを全身で受けながら、南の城門に掛かる石橋の欄干に右手を沿えると、ラッセルは思わぬ眩しさに薄い顔に乗った瞳を普段以上に細くして、脇腹の痛みを感じながらも一歩一歩と足を進めた――


目指すは、北側である。


どんな罰を下されようと、物足りない。


それほどの失策を犯した、戦いの結果を焼き付ける為に向かうのだ――



「事後の対処としては、間違っていない」


これは失策を知った翌日、将軍グレンが見舞いに訪れた際に掛けられた言葉である。


四角い顔の将軍は、妻であるアンジェが大広間で浴びせた叱責を詫びると同時に、愛娘を助けてくれた感謝を述べる為に訪れた訳であるが、ラッセルにとっては何を言われても引け目にしか感じない事象であり、自らその話を打ち切った。


そして犯した罪を、訥々と語り出したのである。


「あそこで、私が降りなければ…王妃様が苦しまれる事はありませんでした…」

「……」

「それ以上に…私はロイズ様から、北に目を向けるよう、言われていたにも関わらず、怠った…」

「……」


事の顛末を耳にして眉をひそめるも、グレンは彼を責めようとはしなかった。


「失敗など、誰にでもある」


一言を口から放つと、冒頭の言葉を続けたのだ。



「……」


戦いが始まって、二日目のこと。

南側に気を取られ、梯子を抱えて北の城壁を目指す複数の兵団を察知するのが遅れたその直後。

どう知らせようかと一瞬迷った末に、直接危険を伝えるために階下へと走った――


まさか後から、寝室で寝ていた王妃様が屋上へと逃げ出してくるとは想像できる筈もなく、結果として被害は出したがトゥーラの防衛は成った訳で、グレン将軍の慰めも、それを踏まえてのものである。


それでも――


リア様を危険に晒せば死んで詫びると叫んだグレンの妻、アンジェの言葉が胸に刺さった――


実際、そうなっていたかもしれない…


比較して、根本の原因を招いた自身は、悔やむ事しかしなかった…


アンジェの覚悟を耳にして、己の甘さというものを、彼はまたもや思い知ることとなったのだ――



彼は、彷徨っていた。

文字通り、心身全部で――


ふらふらと、トゥーラ城の堀に沿って北へと向かって歩く中、西へと続く通りに目をやると、投石器からの砲弾によって破壊された家屋や都市城壁の修復に務めている民衆の姿が飛び込んできた。


それすらも、責任を感じる――


申し訳ないと心で詫びながら再び北を目指すと、右手に続く練兵場を越えた辺りで、正面から家族と思われる一組が歩いてくるのが目に入った。


自分より少し年上と思われる若い母親と、二人の娘。

お姉ちゃんが、妹の手を引いている。


「……」


すれ違う際に、金髪を風に流した母親が小さく瞼を下げると、背中に続くお姉ちゃんが真似をするように頭をちょいと動かした。

妹は、黙ったままに手を引かれ、上目遣いを覗かせる。


此度の戦いで負傷して、杖を手にした自分に対して、感謝と憐れみを捧げてくれたのかもしれない――


そんなもの、受け取る資格は無いのだが、幼い妹の愛らしい仕草に温かさが灯って、思わず口元がほころんだ――



<何故、こんなところに?>


ふとラッセルは、一つの疑問を浮かべた。


城の陰に入ってしまう北側には、民家は殆ど無い。

日の当たる場所を避けるようにして住んでいる貧しい者も居るが、すれ違った母娘(おやこ)は衣服に継ぎも無く、髪も艶やかで、所作も美しいものであった。


怪訝に思いながらも、杖を進めたその先で、やがて理由がやってくる。


「……」


北西の都市城壁。手前には、幾つかの真新しい墓標が立てられていたのだ――


「そんな…」


乾いた杖に支えられた右の手が、安定を逸してがたがたと震え出した。

すれ違った家族は、最前線で戦ったであろう近衛兵の遺族である――


妻は夫を、小さな姉妹は父親を亡くした…


欠損が、巡りまわって誰かを殺す。


上目遣いの妹。きょとんとした表情が、胸中を抉った――


「あ」


安定を損ねたラッセルが、杖とともに崩れ落ちる。

小石が剥き出しとなった乾いた地面に、彼は両膝を預けた。


「……」


涙は出ない。


潤まない瞳には、怒りすら沸き上がる――


それでも折れたあばら骨が内臓をえぐるような痛みを生み出す中、それすら生ぬるいと大地に残った己を嘆き、彼はひたすらな慚愧を心の中で叫ぶのだった――




一方、トゥーラ城の3階。

国王居住区には、重たい空気が漂っていた。

 

トゥーラが誇る頭脳、王妃の状態が思わしくないのである。


「マルマリータさん。王妃様の容体は、いかがですか?」


トゥーラ城。地階の廊下。

国王居住区へと続く薄暗い螺旋階段から降りてきたマルマに気付いて、ライラは少し遠慮がちに声を掛けてみた。


「え? うん。大丈夫よ」

「……ほんとですか?」


大丈夫と語る割には、いつものような覇気がない。

ライラは高い身長を生かして、ずいと迫るように訊き返した。


「ほ、ほんとよ」


思わぬ後輩の態度に、マルマが焦る。


「なんか、おかしいです」

「なにが?」

「最近の、マルマリータさんです」

「そう? いつもと変わらないでしょ…」

「いいえ。肌にツヤがありません。いつもはふっくらぷにぷにの頬も、痩せてます。おかしいです」


言い切って、ライラが更に詰め寄った。


「それはほら、ダイエットよ。王妃様にも言われたの。痩せなさいって」


これは、本当の事である。

得意気を咄嗟に浮かべた先輩が、両手を腰に当てて言い返した。


「失礼します」

「え? ちょっと…」


それでもライラは言いながら、マルマが普段から掛けている白いエプロンの内ポケットに、ずぼっと左手を差し入れた。


「…お菓子が減っていません。おかしいです」


ポケットの中から強奪した、真新しい麻布で作られた巾着袋を取り出すと、ライラは冷静になって指摘した。

巾着袋は手のひらに余るほどの大きさで、中身の減った様子が窺えない。


「だからそれは、痩せるために我慢して…」

「いいえ」


焦るマルマの言い訳を、ライラが首を左右に振って遮った。


「だったら、最初から持ってません。それは、王妃様と食べるために持ってるんですよね?」

「……」


わざわざ巾着袋に入れているのを見透かされ、マルマは観念したように吐き出した。


「確かに、ちょっと、元気がないの…」


俯いて、寂しそうなマルマの表情が、ライラの瞳に映り込む。


「なんだか、塞いでしまっているような…あ、それでも食事は大丈夫。いつもの半分くらいだけど、召し上がってくれるから…」

「そうですか…」

「なんで? 気になる?」


慕われる王妃様である事は間違いないが、ライラが強い態度で迫るにしては、理由が薄い。

今度はマルマが冷静になって尋ねた。


「さっき、ラッセルさんがお見舞いに行こうとしていたので…」

「……」


お見舞いである訳がない。


目の前の発言を脳内で変換したマルマは、呆れる感情と共に態度を強気に改めた。


「それで?」

「面会できませんってお伝えしたら、外へ出て行かれました」

「そう…ありがと」


言いながら、マルマの脳裏には一つの危惧が浮かんだ――


絶対に、王妃様の元へと足を向け、懺悔をするつもりだ…

彼の肩書は国王付きの尚書。普段から直に接しているだけに、断る理由がそれなりに要る――


「……」


そんな未来を浮かべながらも、マルマは同時に考えた。


リア様の塞いだ状態を変えるには、むしろ懺悔の機会を与えるというのはどうだろうか…



明るく聡明。気さくな王妃様。

女中の誰もが知っていて、マルマも当然ながらその一人だ。


しかしながら彼女たちは、そんな王妃様が国王ロイズや尚書のラッセルを差し置いて、政務は勿論、軍務の指揮まで執っているとは露ほども思っていない――



賭けである。


それでもトゥーラの頭脳が止まったままでは、重要な事案が動かない。


結果としてマルマの提案は、暫くの時間を置いたあと、国王ロイズの認可をもって実行されるのだった――

お読みいただきありがとうございました。

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